写真:塚本 隆司
地図を見る浮世絵師・歌川(安藤)広重の代表作「東海道五拾三次」。21番目の宿場として描かれているのが「鞠子 (丸子)宿」だ。本文の最後に有田焼の皿に描かれた浮世絵を掲載しているので、そちらを参照されるとよくわかるが「名物とろろ汁」の文字がはっきりと書かれている。
浮世絵の世界を彷彿とさせる茅葺屋根の店が「丁子屋」だ。創業は、慶長元年(1596年)。とろろ汁を旅人にふるまい始めたのは「関ヶ原の戦い」の翌年、慶長6年(1601年)というから驚きである。この頃から丸子は宿場町として急速に栄えていったという。
現在の建物は、昭和45年 (1970年)に築350年ほどの古民家を移築・改装したものだ。
店の前には著名人の碑がいくつかある。食事の店でもあるが、間違いなく観光名所だ。
写真は俳人松尾芭蕉の句碑。
「梅わかな 丸子の宿の 登路ゝ(とろろ)汁」
元禄4年(1611年)に発表されたこの句が、宿場名物として広く旅人に強い印象を与えるきっかけとなったという。この句が刻まれた大石は、文化11年(1814年)に建てられたものが移築されている。
この句碑の裏手には「十返舎一九 東海道中膝栗毛の碑」がある。言わずと知れた、弥次さん喜多さんの珍道中物語。発表されたのは、享和2年(1802年)頃で、弥次さん喜多さんは、宿場の夫婦が喧嘩をしてしまい名物のとろろ汁を食べ損ねてしまう。
写真:塚本 隆司
地図を見る写真:塚本 隆司
地図を見る店の外観からの予想以上に店内は広い。右手奥には、棟続きの大広間「広重」がある。部屋の壁にズラリと掲げられている絵は、歌川(安藤)広重の「東海道五拾三次」だ。
12代目(当代は14代)が収集された原画は、テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」でも取り上げられ、保存状態もよいことから驚きの価格がついたそうだ。店内にある資料室でも一部の原画を見ることができる。
写真:塚本 隆司
地図を見る江戸時代から400年変わらぬ伝統の味と聞くだけで心が躍る。一番人気のメニューは「丸子(まりこ)定食」。とろろ汁に麦飯・味噌汁・香物・薬味がつく。(写真:お酒はセットに含まれません。)
他にも丁子屋名物の「揚げとろ(自然薯の揚げ物)」などを加えたセットや一品料理があり、もちろん静岡の地酒もある。とろろが苦手な方用に刺身定食も用意されている。
土作りから研究を重ねてきた自然薯を使い、自家製味噌と玉子と鰹だしで作られる「とろろ汁」は、なんとも美味しそうなよい香りがする。味噌の甘い香り、土の匂いというべきか自然薯を皮ごとすりおろした香りだろうか、食欲をそそる。
まずは、椀に「とろろ汁」だけをすくい、ひと口すする。ほどよい濃さとねばりが口の中に広がり、思わず椀を手にしたまま、もう一方の手が御櫃へとのびてしまう。麦飯を軽く椀に盛り「ととろ汁」をたっぷりと。ここから最後のひと仕事。しっかりと混ぜ合わせるのだ。米粒にとろろがよくからむ。
あとは、ズルズルと掻きこむだけでよい。麦飯はおかわり自由なので、思い存分「とろろ汁」を味わうことができるのが嬉しい。
写真:塚本 隆司
地図を見る丁子屋はまるで歴史資料館といっていい。建物はもちろん、店内に設けられた資料室も興味深いものばかりだ。十返舎一九の木像・徳川慶喜が大政奉還したことを知らせる高札・浮世絵版画などが展示されている。
写真は、東海道五拾三次の鞠子宿の絵を有田焼の大皿にしたもの。歌川広重はこの絵の中にふたつの物語を描いている。店先には、松尾芭蕉が詠んだ「梅わかな」の句にちなみ梅の木を描き、十返舎一九の東海道中膝栗毛で、とろろ汁を食べ損ねた弥次さん喜多さんも笑顔で美味しそうに食べている。
そんな物語の世界に今の時代からでも参加できる喜びは、旅の醍醐味といえるだろう。
何杯でも食べたくなるととろ汁はもちろんだが、歴史をこれほど感じられる店は数少ないだろう。
「丁子屋」へは、JR静岡駅下車・静岡駅北口7番のバスのりば中部国道線「藤枝駅」行きにて「丸子橋入り口」下車徒歩1分だ。バスは20分毎にでている。
宿場町の建物などは残っていないが、400年も昔の旅人が眺めた旧街道の面影と名物グルメが今も残っている丸子宿。静岡での食事には、ぜひ訪れてみるといいだろう。
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2024/3/29更新)
- 広告 -