中国屈指の名園!北京の世界遺産「頤和園(いわえん)」を徹底ガイド!

中国屈指の名園!北京の世界遺産「頤和園(いわえん)」を徹底ガイド!

更新日:2018/08/14 09:11

渡部 洋一のプロフィール写真 渡部 洋一 フリーライター、カメラマン
アジア随一の世界遺産登録数を誇る中国。世界第2位に当たる47件もの世界遺産を保持しています(2014年)。
その首都北京に、「中国屈指」と称される世界遺産の名園「頤和園」はあります。18世紀、清朝の皇帝が母親の長寿を祝って造営した、北京最大の皇族庭園です。万里の長城と並ぶ北京有数の観光名所であり、その面積が日本の皇居の2倍以上という広大な庭園の歴史と魅力をご紹介します。

昆明湖を中心とした広大な庭園

昆明湖を中心とした広大な庭園

写真:渡部 洋一

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4000年という歴史と世界有数の世界遺産登録数を誇る中国。その首都北京は、12世紀より700年に渡る王都の歴史を刻み続けてきた歴史ロマンに溢れる都。歴代皇帝たちが描いた夢の跡が、街のそこかしこに息づいています。

北京だけでも数ある歴史遺産の中で、今回ご紹介するのは「頤和園(いわえん)」です。北京市街地の中心部に建つ故宮(紫禁城)の北西に位置する広大な庭園で、1998年ユネスコの世界遺産に登録されています。

清朝第6代皇帝の乾隆帝(けんりゅうてい)が、母親の還暦を祝って造営したという頤和園。中国屈指の名園と謳われ、その敷地面積はなんと約290万平方m!東京ドームに換算するとなんと約62個分、皇居と比較しても2倍以上という気の遠くなるような広さを誇ります。
あまりにも広大な庭園の約4分の3の面積を占めるのが、人口の湖「昆明湖(こんめいこ)」。乾隆帝がこの地に江南地方の風景を再現しようと、杭州の西湖を模して造られたと言われています。
この巨大な人工湖とその周囲に点在する色鮮やかな中国風建築の数々が、頤和園の風光明媚な景観を作り上げています。

頤和園のシンボル「仏香閣」

頤和園のシンボル「仏香閣」

写真:渡部 洋一

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園内にある万寿山の中腹に建つ、仏香閣(ぶっこうかく)。八角三層の美しい塔は、頤和園のシンボルです。
約20メートルの基壇の上に聳える高さ約36.5メートルの塔は壮大なスケール。母の健康と長寿を祈願してこの塔を建立した乾隆帝の慈愛深さが窺い知れます。
1860年に焼失し、後に清朝末期の西太后(せいたいごう)によって再建された現在の塔の内部には、高さ5メートルの千手観音菩薩像が安置されています。

清朝皇帝の壮大な夢が詰まった頤和園のシンボルにふさわしい美しさを誇る仏香閣。湖畔から仏香閣の華麗な塔へと上る階段には、乾隆帝も自らの足で上ったという伝説が残っています。また基壇上部からは、頤和園の全景を見渡せる絶景を望むことができます。

乾隆帝の散歩道、長廊

乾隆帝の散歩道、長廊

写真:渡部 洋一

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昆明湖の北岸に沿って伸びる長い長い回廊「長廊(ちょうろう)」。長さ728メートルの道の梁には、花鳥画、風景画、歴史画など14000枚もの絵が描かれています。

「乾隆帝の散歩道」として知られる長廊は、清国を中国史上最大の国家にした乾隆帝の政治理念を見て取ることができる場所でもあります。乾隆帝は当時の中国の人口の1%にも満たない満州族出身。少数民族出身の乾隆帝が、大半を占める漢民族やその他の民族をいかにして統治したのか、その秘密の一端がここ長廊に隠されているのです。
長廊の梁に描かれた絵の多くは、2000年に渡る漢民族の歴史や文化を描いたもの。三国志や西遊記等、私たちの良く知る物語がテーマとなった絵もあります。自分たち満州族の文化で統一するのではなく、漢民族の文化を取り入れて統治した乾隆帝の賢明さが、この長い回廊には表れています。
「乾隆帝の散歩道」とも伝わり、清国繁栄の要因の一端を垣間見ることができる長廊を、あなたも歩いてみませんか?

皇帝が愛した蘇州街

皇帝が愛した蘇州街

写真:渡部 洋一

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仏香閣と並ぶ頤和園の人気エリアとして有名なのが、万寿山の北にある蘇州街(そしゅうがい)。頤和園の中で乾隆帝が最も愛した場所だと言われています。

乾隆帝は江南地方へ6度に渡り行幸し、蘇州の美しい風景を大いに称えたと言われています。蘇州の街に魅了され、頤和園内に同じ風景を再現したのが、この蘇州街。莫大な富と権力が実現した、皇帝の壮大な夢の結晶です。
再現された街並みは東西約300メートル。60以上の商店が軒を連ね、雑貨屋、質屋、薬屋、骨董品屋、茶楼等が蘇州の華やかさを演出しています。

西太后お気に入りの清晏舫

西太后お気に入りの清晏舫

写真:渡部 洋一

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乾隆帝の時代から約100年後の1860年、頤和園は第二次アヘン戦争によってイギリスとフランスに破壊されてしまいます。壊された頤和園を再建し、より豪華にしたのが、清朝の咸豊帝(かんぽうてい)の妃西太后(せいたいごう)です。
その西太后のお気に入りだったのが、昆明湖北岸の西端にある「清晏舫(せいあんほう)」。全長約36メートルの石造りの船です。この場所を気に入った西太后は、しばしば船の上で豪華な宴会を催したと言われています。
「沈まぬ船」を意味する清晏舫は、清朝末期の妃がその栄華を謳歌した夢の跡なのです。

北京を観光するなら、必見の頤和園!

いかがでしたか?
乾隆帝の威信が造り上げた豪華で広大な頤和園。世界遺産にも登録されている中国屈指の名園の歴史と魅力をご紹介しました。
北京観光と言えば万里の長城や故宮(紫禁城)などが有名ですが、ここ頤和園もその歴史といい美しさといい、まさに必見と言える観光名所です。
清国皇帝が描いた巨大な夢の跡を、あなたも歩いてみませんか?中国という国の壮大なスケールを感じることができるはずです。

頤和園へのアクセス、入場料や入場時間等の情報は、記事下部にある「MEMO」よりご覧いただけます。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2012/09/14 訪問

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