大田神社は、京都市北区上賀茂に位置します。上賀茂には世界遺産の上賀茂神社があり、京都三大祭のひとつで今から約1400年前に始まった「葵祭」を筆頭に、一年を通じて様々な祭典・行事が執り行われています。
大田神社の起源は上賀茂神社よりもさらに古く上賀茂では最古の神社と言われています。大田神社は上賀茂神社の東約500mのところに位置しており、大田神社からさらに東に進むと国の天然記念物に指定された「深泥池生物群集」が生存する深泥池があります。また、神社背後の小山には、「大田の小径」と言う約750mの山道(散策路)が続いていて、展望所まで行くと京都市内を眺めることができます。
上賀茂神社からの道を辿り、大田神社に着いて参道からすぐ右手にある大田ノ沢に向かうと、かきつばたの群生が目に入ります。シーズンには大勢の観光客の方々が訪れていますが、誰もが平安時代から変わらないその風景、色合いに思わず引き込まれます。
平安時代からずっと続いている原色のかきつばたの彩は、思わず息をのむほどの色彩です。その美しさは『小倉百人一首』を撰じた。藤原定家の父の藤原俊成の古歌にも詠まれています。
「神山(こうやま)や 大田の沢の かきつばた ふかきたのみは 色にみゆらむ」歌の意味は「神山(上賀茂神社の北に見える賀茂別雷命の降臨地と言われている山)の近くにある大田神社のかきつばたに、深くお願いする色事は、かきつばたの色のように美しいのだろうか。」です。
また、百人一首に収められている藤原定家自身の句は、よく知られている「来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」です。
かきつばたの花言葉は、幸運が必ず来る、幸せはあなたのもの、贈り物、音信などです。良い言葉が並んでいます。この時期、大田神社にお参りして、かきつばたの群生を見ると良いことがありそうです。
また、かきつばたにまつわる言葉として、「いずれあやめかかきつばた」という言葉もあります。意味は「どちらも優れていて優劣をつけがたく選択に迷う」ことです。あやめとかきつばたは非常に似ており区別が難しいですが、あやめは、花弁の付け根が黄色で紫色の網目模様になっているのに対して、かきつばたは、花弁の付け根に網目はなく、白い目型模様があるのが特徴です。
ここ大田神社でじっくり観察してみませんか。
上賀茂神社を出て東へ行くと、神社境内のならの小川に端を発する清明な明神川が流れ、その川に沿って上賀茂伝統的建造物群保存地区に選定されている「社家町」が続き、その先に大田神社があります。この「社家町」は、上賀茂神社の神官が住居を構えていて、国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けています。
京都の特色ある歴史的な街並みの整備を行う京都市伝統的建造物群保存地区としては、ここ上賀茂地区以外に、東山の産寧坂地区、祇園の新橋地区、北嵯峨の嵯峨鳥居本地区とが指定されています。
明神川の水の流れは清く、上賀茂神社から大田神社に向かう途中、歴史的な街並みを眺めながらの散歩は清々しいです。
上賀茂地区は、京都市平安京の地主神である上賀茂神社を中心に、神官(社司と氏人)と農民によって門前集落が形成され、室町時代から神官の屋敷町として発展してきました。葵祭(あおいまつり)は毎年5月15日に行われる、賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の例祭で、「賀茂祭」とも呼ばれています。
また、上賀茂地区の特産品としては、ソフトボールのような正円形の「賀茂なす」、漬物となったとき特有の風味のある酸味があることから「すぐき」と名付けられている、かぶの一種のすぐき菜があります。
大田神社の鮮やかなかきつばたを鑑賞した後は、平安時代に思いを馳せながらのんびり上賀茂地区の散策、特産品など味わってみてください。
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