江ノ島や富士山を遠望できる七里ガ浜は、晴れた日には水平線の彼方、熱海市の初島をも望むことができます。
作品の中で昌造は里見自身、文吉は兄の作家有島武郎の分身だといえます。
七里ガ浜の砂浜を、安城家の長男文吉と4男の昌造が、傾きかけた陽のひかりを浴びながら歩いている場面。昌造は兄の物悲しそうな表情に驚き、「自分に近いもの」を感じます。それは、つまり「女の存在」。放蕩作家の昌造に対し、文吉は妻なき後も貞節を守っていたはずでしたが、昌造の予感は的中したのです。その後、文吉は雑誌記者の人妻と心中しました。
事実、兄の武郎は婦人記者波多野秋子と軽井沢で縊死してしまいます。
江ノ電の「鎌倉高校前」で下車し、ホームから延びる沿道を下っていくと、七里ガ浜と腰越の浜を隔てるように、海へ突きでた岩山が眼に飛び込んできます。
昭和5年11月、太宰治と田辺あつみは江ノ島に近い小動岬の通称「畳磯」と呼ばれる平たく、大きな岩の上で、睡眠薬を服用します。当時、太宰22歳。あつみはまだ19歳でした。太宰は3日前に銀座の女給あつみと知り合ったばかりで、太宰は皮肉にも死にきれませんでした。心中に失敗した太宰は、この体験をもとに『道化の華』を書くことになるのです。
芝公園奥の大泉バレエ団の研究所に通う品子は、稽古場に行く支度が出来ていたので、急いで主人公、波子の元恋人である竹原を追って北鎌倉駅に向かいます。その途中、品子は母に代わって竹原に何か伝えたいものがありましたが、言葉にならず、次の駅である大船駅で降りてしまいます。
今や湘南地区の中核ターミナル駅として、交通の要所となっています。ホームからは大船のシンボルである観音様の表情を拝顔することができます。この駅は鎌倉市と横浜市にまたがる珍しい駅で、住所は鎌倉市となっていますが、東京方面の車両3〜4両分は横浜市に停車します。
川端康成は鎌倉に縁の深い作家で、『岩に菊』、『過去』、『十二舞姫』などでは「鶴岡八幡宮」が、戦後文学史において最高傑作と名高い『山の音』ではかつて近くに居を構えていた長谷が舞台として描かれています。また、円覚寺の門前にある精進料理の店「門前」の名付け親としても有名です(看板の文字も康成の手によるもの)。
地名は実在するものですが、ビブリア古書堂の店舗や登場人物はフィクションです。実際、ビブリア古書堂があるとされる場所は住宅街であり、作品中に描かれている「線路沿いの細い路地をだらだら歩いていた…」、「北鎌倉駅の改札とは反対方向に…」、「崖をくりぬいた洞穴のようなトンネルを通り抜ける…」といった場所は、北鎌倉駅の円覚寺側ホーム改札口から続く、歩道と洞穴トンネルのことを指していると思われます。「不意に踏み切りの警報音が鳴り始める」という描写から、作品中ではホーム横断用の踏み切りがある、駅の臨時改札口側の辺りに古書堂はあるのかもしれません。
芥川が、夏目が、太宰が鎌倉の地で人生の転機を迎え、作品の構想を練るきっかけを得ました。それは自然に触れ、歴史に触れ、人々の生活に溶け込むなかで、人間の本質とは何のかを見出したからに他ありません。松本清張、立原正秋、伊集院静など多くの作家が、この地を舞台にそれぞれの作風とは一味違った作品を残しています。都心から約1時間という立地ながら、これほどまでに多くのインスピレーションを与える鎌倉の魅力は、訪れてみて初めて感じることができるものなのかもしれません。
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