日本初の西洋城郭は計算された気鋭の城〜函館・五稜郭〜

日本初の西洋城郭は計算された気鋭の城〜函館・五稜郭〜

更新日:2015/03/16 14:19

時は安政元(1854)年。日米和親条約の締結によって箱館の開港が決定。ロシアの脅威に対抗して建てられ、役目を終了していた箱館奉行所を内陸部に再建することになり、この奉行所を中心とした城郭が築かれることになりました。

そして、適塾でオランダ兵学を学んだ大洲藩士・武田斐三郎(たけだあやさぶろう)により誕生した姿は日本初の星形の城でした。
では、星形の城・五稜郭に込められた戦略的見所をご紹介します。

最初は「五稜郭タワー」からの全景をご覧あれ!

最初は「五稜郭タワー」からの全景をご覧あれ!
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五稜郭タワーは五稜郭の南に隣接するタワーです。五稜郭の全景を望むのにおあつらえ向きの場所になっています。

こうして見ると本当に星形なのがよく分かります。こうした構造の城郭は「星形要塞(スター・フォート)」と呼ばれ、16世紀にイタリアで考案されて次第に全世界へ広がりました。日本では、幾何学的な形にして先端部の稜堡(りょうほ)を鋭角にした「稜堡式縄張」または「稜堡式城郭」という縄張の分類にあたります。

大砲による攻撃に備えて徹底的に死角を無くし、攻城側が虎口へ侵攻した際には十字砲火を浴びせられるようになっているのです。城の表は写真手前。左端の木橋を渡り三角形の空間の半月堡を通り、中央の木橋で城内に入ります。半月堡は馬出と同様の役割を果たしています。

また、水堀の外側にも木々が見られますが、そこには長斜堤という土手のようなものがあり、乗り越えようとする敵を狙撃する意図がありました。標的になりそうな高い建築物もほぼなく、これらの工夫から完全に銃撃戦での攻防を想定した城であることが分かります。

あらゆる攻撃にも対処する「石垣」と「水堀」

あらゆる攻撃にも対処する「石垣」と「水堀」
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五稜郭の全景を見たら、いよいよ城内へ行きましょう。

城内に入りすぐに感じるのは、石垣の低さです。もともと、石垣にはせず土塁で造る予定でしたが、寒さで土塁が壊れてしまうために備前の石工集団によって石垣化されています。但し、石垣が低いのはちゃんとした理由があります。

それは大砲の標的となるものを一切なくすためです。そもそも星形要塞は、高くそびえる城壁が威力の高い砲撃によって打ち崩されてしまった反省から考案された城郭であり、高い石垣よりも低く厚みのある土塁で守ることを良しとしました。本当は五稜郭もこれに倣いたかったのです。

石垣を見てみましょう。石垣は大手口が巨岩を使用しているのに対して、裏手口は河原の石を使用したやや貧弱なものになっています。これは資金不足によるもののようです。先述した半月堡も最初は5か所すべてに設ける予定だったところを、大手口1か所のみにしており、これも資金不足が祟ったものです。

しかし、石垣化を前向きに捉えた工夫も見られます。多くの石垣は西洋式の「槹出(はねだし)」で敵がよじ登るのを防ぐようになっており、水堀も幅最大30メートル。低い石垣と相まって、一見すると浅そうに見える水堀も実は4〜5メートルほどの深さがあります。

低い石垣は火器による戦闘時には向いていますが、いざ攻め込まれたら…と思うと少しその守りの堅さに疑問を覚えます。そんな時に槹出や水堀が攻城側に対して障壁となってくれるのです。こうして低い石垣の欠点を補完しているのです。

五稜郭の中心部へ…「見隠塁」と「箱館奉行所」

五稜郭の中心部へ…「見隠塁」と「箱館奉行所」
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城内に入ると前方は壁になっており、道がこれを避けるように屈曲しています。この壁は「見隠塁(みかくしるい)」と呼ばれるもので、中心部まで見通しが利かないようにする意図がありました。この壁をぐるりと回れば、ようやく五稜郭の核ともいえる「箱館奉行所」が現れます。

元治元(1864)年に竣工した「箱館奉行所」は、開港した箱館の地にあって諸外国との交渉の場としての役割を担うとともに、蝦夷地統治の拠点となる使命を帯びた建物でした。慶応3(1867)年、大政奉還が起きると五稜郭は新政府に明け渡されますが、その半年後に旧幕府軍が占拠し、戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争の舞台となるのです。

ちなみに、標的となるものをほぼ無くしたと説明しましたが、実は箱館奉行所の太鼓楼が敵に見えてしまい、奉行所が鑑砲射撃の格好の的になってしまったことがあったようです。箱館戦争が終わり、新政府は札幌を北海道開拓の拠点としたため、箱館奉行所は明治4(1871)年に解体。完成してからわずか7年で歴史に幕を下ろすことになりました。

それから140年を経て、平成22(2010)年に箱館奉行所庁舎の一部が復元されました。規模は勿論のこと、太鼓楼や軒の反り具合、風格ある破風に、内部の大広間や表書院など忠実に再現されており必見です。

稜堡に見られる工夫…「スロープ」と「胸墻」

稜堡に見られる工夫…「スロープ」と「胸墻」
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箱館奉行所を見学したら、稜堡式縄張の城なのですから稜堡を見てみましょう。稜堡は五角形の各先端部にありますが、おすすめは大手口反対側の稜堡です。スロープが設けられており、ここから稜堡上へ大砲を引き上げていたことが分かります。重いものを運ぶため、斜面も緩やかです。

また、稜堡を見てみると内側が段々状になっていることに気が付くでしょう。石垣の上に土塁を設けており、土塁が胸墻(きょうしょう、敵の弾丸を防ぐため、胸の高さまで盛られた土塁)の役割を果たしていたことが分かります。

工夫は五稜郭でしか見られないものばかりです

壮大な石垣や堀がめぐらされ、虎口には桝形虎口。櫓や天守閣のそびえる城の姿に見慣れていると、建築物もなければ壮大な石垣もない五稜郭は貧相に見えてしまうかもしれません。そこで五稜郭タワーから全景を望むだけで満足してしまっている方もいるのではないでしょうか。

しかし、もう少し五稜郭を知って歩いてみましょう。唯一無二の巨大西洋城郭には、知っていることで思わず「なるほど」とつぶやいてしまうような他の城にはない工夫がいくつもあるのです。

※五稜郭タワー・箱館奉行所の営業時間、料金など詳細はMEMOのリンクよりご参照ください。

※説明のない城郭用語については、MEMOのリンク「文化薫る丹波の町で徳川の堅城を攻略しよう〜篠山城〜」をご参照いただけると幸いです。

掲載内容は執筆時点のものです。

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