欧州につながる列車が到着した地・神戸「みなとのもり公園」

欧州につながる列車が到着した地・神戸「みなとのもり公園」

更新日:2015/03/12 14:46

神戸の中心地・三宮から海のほうに向かって歩くこと15分。かなり広々とした公園が見えてきます。その名は「みなとのもり公園」です。
一見、なんの変哲もない公園のように思えます。しかしこの公園、昔は遠く欧州に向かう船に接続する列車が走っていた跡地を利用したものだったんです!
そして、みなとのもり公園には別名があります。それは神戸市民がかつて経験した未曾有の出来事に由来するものでした。

2010年にできた公園に秘められた歴史とは

2010年にできた公園に秘められた歴史とは
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JR、阪神・阪急、地下鉄、そしてポートライナー。
さまざまな鉄道が集中する三宮ターミナルから南のほうへ歩いて15分。
ポートライナーの「貿易センター」駅からだとすぐ目の前。
そこに広がるのが「みなとのもり公園」です。
開園は2010年4月ですから、まだまだ歴史の浅い、新しい公園ですね。

名前の通り森に囲まれ、芝生広場が目にまぶしい緑豊かな空間です。
そこにはジョギングコースや数多くのコートを持つニュースポーツ広場など、運動施設も充実。スポーツを楽しんだり、芝生でくつろぐ人々の姿が絶えません。

そんな一見ふつうの公園の片隅(貿易センター口付近)に、とあるモニュメントがあります。
よくみると真ちゅう製の時計塔の頂には針が止まったままの時計、その下に鐘。
ちょっと離れたところに短い鉄道のレール。
実はこのモニュメントが、この公園のある土地の歴史、そして公園ができた由来を物語っているのです。

戦前に存在した「京都発神戸港経由ヨーロッパ行き」ルート

戦前に存在した「京都発神戸港経由ヨーロッパ行き」ルート
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まずは鉄道レールの謎から解き明かしていきましょう。
その前に、神戸港と鉄道のつながりについて知っておく必要があります。
神戸港は1906(明治39)年から中突堤、新港突堤、兵庫突堤などの大型船舶対応ふ頭が次々と建設されます。
これに呼応するように接続する線路も順を追って建設され、1907(明治40)年に東海道本線六甲道〜灘間の東灘信号場から線路を分岐し、第四突堤の初代神戸港駅までを開業します。

1924(大正13)年8月3日にはそこから1.5キロ離れた新港第四突堤に神戸港駅(こうべみなとえき)が開業して、京都駅〜神戸港駅間で日本郵船の欧州航路に接続するボート・トレインの運行が始められます。
ボート・トレインとは、海外へ向かう旅客船が発着する港湾ターミナルの最寄り駅に乗り入れる列車のことです。船の出入港に合わせてダイヤが組まれ、神戸の他には横浜や長崎などでも運行されていました。

ちなみに日本郵船の欧州航路とは横浜をスタートし、神戸〜門司〜上海〜香港〜シンガポール〜マラッカ〜ペナン〜コロンボ〜スエズ〜ポートサイド〜マルセイユ〜ロンドン〜アントワープに寄港しました。
週2回の欧州航路出港日に限って、神戸港行きボート・トレインは運行されたのです。

こうべみなと、こうべこう。ふたつの駅名を持った理由

こうべみなと、こうべこう。ふたつの駅名を持った理由
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画像は時計塔モニュメントにある駅名です。
欧州への海の玄関口はたしか「こうべみなと」駅だったはずですが、こちらはローマ字を読むと「こうべこう」となっていますね。
これは何かの間違いなのでしょうか?

神戸港(こうべみなと)駅ですが、1939(昭和14)年11月1日には小野浜駅と神戸港駅が統合されて神戸港駅(こうべこうえき)となります。
その直後、ボート・トレインは第二次世界大戦勃発によっていつしか運行を休止し、戦後復活することはありませんでした。

ただし神戸港(こうべこう)駅はその後も貨物駅として長い間、機能します。
そして2003(平成15)年12月1日の神戸貨物ターミナル駅開業によって廃止となりました。
「こうべみなと」駅が欧州航路に接続する国際性を持っていたのに対し、「こうべこう」は国内の物流を支える歴史のほうが長かったのですね。
この神戸港駅の跡地が、いま、「みなとのもり公園」となっているのです。

モニュメントにある時計は、神戸港駅の構内で実際に時を刻んできた時計です。
その下の鐘は「安全の鐘」と呼ばれています。
昭和30年代、8620形蒸気機関車(ハチロク)の先頭に付け、警笛の代わりに鳴らしてきたものです。SLの引退後は、駅で「安全の鐘」の名で事故防止に役立てられてきました。

時計が指す時刻、それはあの震災が起きた時刻

時計が指す時刻、それはあの震災が起きた時刻
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神戸港駅で使われていた時計はいま、5時46分を指したまま動きません。
午前5時46分。それは1995(平成7)年1月17日、6000名以上の人命を奪った阪神淡路大震災が起きた時刻なのです。

みなとのもり公園の正式名称は「神戸震災復興記念公園」です。
その開園日も1月17日でした。
震災の経験と教訓を後世の人々に継承するため、神戸のまちが復興から発展へと前進する姿を木々の生長とともに見つめていく公園を基本理念に、復興の記念事業および防災公園として整備され、震災からちょうど15年目の2010(平成22)年1月17日に開園したのです。

この公園は単なる記念碑的な存在ではありません。
広い芝生広場は現在、災害時の避難地に指定されています。
また、園内には「語り継ぎ広場」があります。
そこには震災の経験と復興の教訓を後世に語り継ぐ場として、広場内には被災した樹木など震災に関するものが配置されています。
2011年の東日本大震災をはじめ、地震が多発する日本。
それに対する教訓と復興の希望を示した公園なのです。

ポートターミナルに残る神戸港(こうべみなと)の駅舎

ポートターミナルに残る神戸港(こうべみなと)の駅舎
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公園からさらに港のほうへ足を伸ばしてみましょう。
すぐにポートターミナルが見えてきます。
現在はクルーズ客船が停泊する「ミナト神戸の現代の玄関口」となっています。

立派な現在のターミナルの横に、「Q2」と書かれた白壁の建物がありますね。
この建物こそが、戦前のポートターミナル。
ここが1924年から1939年までの15年間、京都からのボート・トレインが到着した神戸港(こうべみなと)駅の駅舎跡なのです。
列車を降りた乗客は日本郵船の客船に乗り込み、ある者は上海まで、そしてある者は遠く欧州マルセイユ、ロンドンまで船出していったのです。

21世紀の現代、日本と欧州をつなぐ客船の定期航路は存在しません。
でも、神戸から異国につながるフェリー定期航路はたったひとつだけ生き残っています。
それが日中国際フェリーの「新鍳真(しんがんじん)」です。
隔週火曜日12時にポートターミナルを出港し、上海には木曜に到着します。

上海からは鉄路で北京、さらにモンゴルを越えてシベリア鉄道に接続。
ウラル山脈を越えてヨーロッパに入り、モスクワから西欧への特急列車に乗り継げます。
そういう意味では、戦前の日本郵船・欧州航路の客船の代わりを新鍳真が担っているとも考えられます。
神戸ポートターミナルは現代において、戦前の神戸港駅と変わらぬ役割を果たしているといえるかもしれません。

神戸に対する愛着が深まる公園を訪ねてみよう!

2015年、神戸は阪神淡路大震災の発生からちょうど20周年を迎えました。
あの未曾有の出来事から20年の歳月が流れ、神戸は日本を代表する港町として復興を遂げました。現在、日本船だけでなく外国のクルーズ客船もひっきりなしに神戸に寄港し、港町に華やかさを与えてくれています。

そんななか、「みなとのもり公園」は南京町や北野異人館のような神戸を代表する観光スポットとして脚光を浴びることはありません。訪れるのは地元の人たちばかりで、観光客が足を踏み入れることはそう多くない公園です。

でも、この公園ができたいきさつ。そしてこの公園があった場所を、かつては欧州につながる列車が走り、そして国内の物流を支えたSLが発着していた事実。いずれも神戸の大切な歴史です。

もし、ポートライナーに客船を見にいったり、上海行きのフェリーに乗ることがあったら。その前に、この公園を訪れてみてください。
ポートターミナルに停泊する客船を見ながら、神戸が船で欧州とつながっていた時代に思いをはせる。この港町に対する愛着が、より深く湧いてくると思いますよ。

掲載内容は執筆時点のものです。

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