旧フランス租界・武康路(上海)で1920年代にタイムスリップ!

旧フランス租界・武康路(上海)で1920年代にタイムスリップ!

更新日:2018/08/03 17:45

喧噪の街というイメージが強い上海。
そんな上海にも静かに散策を楽しめるスポットが存在します。
それが旧フランス租界エリアにある武康路。
1920〜30年代に建てられた欧風建築物が軒を並べ、「ここは本当に21世紀の中国?」と思えるようなたたずまいです。
そして、日本人にはうれしい上海土産のショッピングができてしまうお店も。
それでは旧フランス租界・武康路で1920年代の上海へタイムスリップ!

ランドマークはひときわ目立つ武康大楼

ランドマークはひときわ目立つ武康大楼
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武康路(ウーカンルー)の最寄り駅は地下鉄10号線と11号線が交差する「交通大学」です。
地下鉄10号線は南京東路、豫園、新天地といった上海を代表するスポットを結び、日本からの航空便も離発着する虹橋空港につながっているため、上海を訪れる観光客にとって利用する頻度が高い路線となっています。
なお、交通大学は南京東路からわずか6駅、10分ちょっとで行けてしまいます。

地上に出て、淮海中路という大通りを東に進むと、ひときわ目立つ建築物が見えてくるはずです。
それが画像の「武康大楼」。
1920年代に建てられた、このエリアを代表する老房子(らおふぁんづ=上海の古い洋風住宅)です。

向かって左側(自動車が連なって信号待ちをしている)に伸びる通りこそが、老房子の宝庫とも呼ばれる武康路。
のんびり散策しても30分くらいで通りの端から端まで歩けてしまいますが、フランス租界だった時代にたっぷり浸れる異空間なのです。
それでは武康路の散策を始めましょう。

プラタナス並木と南欧風建築物が連なる「上海のパリ」

プラタナス並木と南欧風建築物が連なる「上海のパリ」
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ここで「租界」とは何かについて簡単に紹介しましょう。
アヘン戦争(1840〜42年)でイギリスに敗れた当時の清朝は、国際的港湾都市・上海におけるイギリスの租借地を認めます。
清朝の弱体化につけ込み、続いてアメリカやフランスが上海での租借地を獲得していきます。

1854年に英米仏はそれぞれの租借地をまとめた「租界」を形成しますが、1861年にフランスは単独でフランス租界をつくります。
この租界では治外法権と行政が認められます。
つまり、フランス租界では中国の施政権が及ばない「上海のなかのフランス」となっていきます。
こうしたフランス租界は、交通大学駅から武康路まで歩いてきた淮海路(ワイハイルー)を中心としてつくられていきました。

こうした租界の全盛時代は、上海が「魔都」の異名を取った1920〜30年代でした。
第2次世界大戦の終了後、中華人民共和国の成立(1949年)とともに租界は消滅します。
しかし、フランス租界の名残をとどめるエリアは現在も淮海路周辺に見られます。
そのなかでも租界黄金時代の雰囲気を濃厚に残しているのが武康路なのです。

旧フランス租界には、美しいプラタナス並木があります。
そしてフランスやスペイン様式の南欧風建築物が軒を並べます。
まるで自分がいま上海ではなくパリにでもいるかのような錯覚を起こしてしまいそうです。
そう、ここは21世紀の現在もなお「上海のパリ」であり続けているのです。

武康路の散策は右側の歩道から始めるとよいでしょう。
しばらく進むと上海老房子芸術中心という建物が見えてきます。
ここの入場は無料。
内部は老房子の模型や写真などの展示が行われています。
また、観光案内所もあり、日本語のパンフレットや地図も入手できます。
散策前に立ち寄っておきたいスポットです。

巴金故居で老房子の内部を見学し、ネコと戯れよう

巴金故居で老房子の内部を見学し、ネコと戯れよう
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さらに右側の歩道を進みましょう。
湖南路と交差する信号を渡るとすぐに巴金故居という建物があります。
巴金とは中国の小説家・翻訳家。
清朝末期の1904年に生まれ、21世紀初頭の2005年に亡くなりました。
なんと百年も生きた大作家なのです。

巴金が暮らしていた老房子(1923年竣工)はいま、巴金故居として一般に公開されています。
入場は無料。入口でしおりのような入場券をもらえますが、そこに巴金の肖像が描かれています。
建物内は応接間や書斎など、巴金が暮らしていた当時そのままの姿で保存されています。
武康路で老房子の内部を見学できるのは巴金故居だけなので、貴重な体験となるはず。
ただし、写真やビデオの撮影は禁止となっています。

この巴金故居に来たら、もう一つ見逃せないものがあります。
それは・・・ネコ!
巴金はネコと暮らした作家でしたが、現在もこの敷地内では彼が飼っていたのものとそっくりのネコが飼われています。
ネコだけに気まぐれで、姿を現さない日もあるそうなのですが、運がよければ画像のように可愛らしい姿を見せてくれます。
あ、もちろんこのネコの撮影は自由ですよ。

リノベーションスポット「武康庭」は多国籍空間

リノベーションスポット「武康庭」は多国籍空間
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続いて反対側の歩道を歩きながら、スタート地点の武康大楼へと南下します。
こちら側では376号と378号(数字は住所を表す)にある建物に注目です。
このふたつのビルからなるのが「武康庭(ウーカンティン)」という複合施設です。
ここにはおしゃれなカフェやレストランが集まっています。

武康庭ができたのは2007年と、それほど歴史は古くありません。
古いビルを利用してできた、リノベーションスポットなのです。
お店をのぞいてみると、なんだか欧米系の人たちが目立ちます。
彼らの多くは武康路周辺に暮らす上海在住の外国人だそうです。
オープンテラスにはそういった欧米系に、地元の上海っ子、さらに世界各地からの観光客とさまざまな顔が。
まさに「多国籍空間」という言葉がピッタリです。

歩き疲れたら、武康庭のちょっとおしゃれなカフェやレストランでひと休み。
料理もフレンチやイタリアン、そしてワインバーなどよりどりみどり。
お気に入りのお店を見つけて、現在の旧フランス租界に暮らす人たちの日常ウオッチングもまた楽しいものです。
それから、画像のようなユニークなオブジェもなんとなくフランスな感じですね。
こちらも探してみてください。意外とすぐに見つかりますよ。

ちなみに武康庭の英語名は「ファーガソン・レーン376」。
武康路はかつて「ファーガソン通り」と呼ばれていました。
ところで武康路の最寄り駅の名前は覚えていますか?
そう、交通大学でしたね。
ファーガソンとは、上海交通大学の設立に尽力したアメリカ人の名前。通りの旧名もそれに由来していたのです。

日本語も通じる安心のお土産スポット「キッチュチャイナ」

日本語も通じる安心のお土産スポット「キッチュチャイナ」
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武康路の散策を終え、交通大学駅に戻りましょう。
しかしそのまま地下鉄に乗ってしまうのは、ここに来た意味がありません。
駅のすぐそばに、日本人にとってうれしい上海土産スポットがあるんです!

その名は「キッチュチャイナ」。
日本人イラストレーター・ワタナベマキコさんがデザインした商品をメインに扱っているショップです。
店内にはパンダ、外灘、小籠包など「これぞ中国そして上海!」のシンボルをデザインしたオリジナルグッズがいっぱい。
メモ帳やレターセット、クリアファイルなどの実用品も多く、バラマキや自分用にも役立つアイテムがそろっているのがうれしいポイントです。

また、雲南コーヒーや中国茶もヒット商品です。
なかでも中国茶は、日本人が選んだ安全安心なものをセレクトしているので、お土産に最適でしょう。
安心といえば、このお店には日本人スタッフが常駐し、日本語で意思疎通ができるのも中国語ができない観光客にとってはありがたいところです。

なかなか日本への手軽なお土産が見つけにくい上海で、「かゆいところに手が届く」存在のキッチュチャイナ。
上海観光で静かなブームとなっている武康路の散策もでき、日本へのお土産も手に入る。
武康路とは日本人観光客にとって「一石二鳥のスポット」なのです。

グルメスポットも充実の武康路エリア

観光もショッピングも一緒に楽しめる武康路エリア。
せっかく上海に来たんだから、西洋料理じゃなくて上海料理グルメも楽しみたい!
そう思った人も多いはずです。

心配は無用です。
上海料理の定番のひとつが、豚バラ肉をじっくり煮込んだ「紅焼肉(ホンシャオロウ)」。
その名物店が「圓苑(ユエンユエン)」です。
化学調味料を使わないヘルシーな料理を提供するということもあり、著名人も足を運ぶ人気店です。
また、紅焼肉のハーフサイズは58元(約1,200円)。値段も高級店の割にはリーズナブルです。
メニューは写真付きで日本語表示もあるので、まごまごすることもありません。

このお店は紅焼肉だけじゃありません。
小籠包や焼き小籠包(生煎=ションジェン)など、上海を代表する料理がずらり。
租界の黄金期・1920年代への時空を越えたミニトリップを楽しんだ後、美味しい上海料理に舌鼓を打つ。
これも武康路の楽しみのひとつでしょう。

中国にいながら、ヨーロッパの香りをふんだんに感じられる武康路。
これからの上海旅行では外せないスポットですね。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/01/11 訪問

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