黄金龍が舞い降りた!ベトナム・ハノイの世界遺産「タン・ロン遺跡」

黄金龍が舞い降りた!ベトナム・ハノイの世界遺産「タン・ロン遺跡」

更新日:2018/07/27 10:52

ベトナム最初の長期王朝、李(リー)朝を築いた初代皇帝李太祖(リー・タイトー)は、都をタン・ロン(昇龍・現在のハノイ)に定めました。遷都の際に、黄金龍が現れたことからタン・ロンと名付けられたその地は、1831年に都がフエに移るまで王都として栄えます。

ハノイ観光の人気No.1の世界遺産「タン・ロン遺跡」をご紹介します。

各時代の遺跡が重なる「タン・ロン遺跡」

各時代の遺跡が重なる「タン・ロン遺跡」

提供元:遠藤隆尚

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ハノイ江河デルタ沿いの干拓地、唐(中国)が9世紀末に築いた城壁の土台を基礎として築かれた「タン・ロン城」。その後800年の間に歴代の王により、王宮は何度も再建されました。時は代わり李朝から阮(グエン)朝時代になると、初代皇帝は都をタン・ロンからフエへと遷都します。その際に「タン・ロン城」の一部は解体され、フエに再建されました。

その後、タン・ロンはハノイと改名され「タン・ロン城」よりも規模の小さい「ハノイ城」が建てられました。更に19世紀のフランス植民地時代に入ると、「ハノイ城」の一部を取り壊し、新たな建物を建てました。現在、私たちが目にしている建物の多くは、この頃に建てられたものです。

9世紀から長い年月をかけて幾度となく再建を繰り返した「タン・ロン遺跡」は「唐が築いた城壁」に始まり、「タン・ロン城」に「ハノイ城」、そしてその上に19世紀の建物があるという、いわば歴史地層のように折り重なる世界遺産です。

チケットを購入し、パンフレットをもらってゲートをくぐれば、初めに目にするのは「端門」です。「ハノイ城」を囲む第一城壁に配されていた正面門は、皇帝一族の住む敬天殿へと通じるため、かつてここを通過する人々は厳しい検査を受けていました。中央のひときわ大きい門は皇帝専用でしたが、今はもちろん私たちも歩いて通り抜けられます。その先には、ガラスで保護された「通路の遺跡」を足元に見ることができます。花の模様のようなモザイクも必見です。

敬天殿跡は最古の「龍の階段」をチェックしよう

敬天殿跡は最古の「龍の階段」をチェックしよう
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「端門」を背に奥に進んでみましょう。その先に、かつて皇帝が住んでいた敬天殿跡があります。といっても、現在残されているのは4匹の龍があしらわれた「龍の階段」のみで、壇上にある建物はフランス植民地時代に建てられた、通称「龍の家」です。

1467年に造られた「龍の階段」は、現存する建物の中では最古のものになります。中央の2匹の龍の腕には、皇帝のあかしともいわれる5本爪が見られます。また、両端の龍は雲がモチーフになっています。更に「龍の家」の向かって左側の奥に、一回り小さいもう1つの龍の階段があり、ハスの花やコイが龍に変化する、美しいモチーフが描かれています。こちらの小さい龍の階段、なぜだか少し埋まっています。実は、かつて敬天殿は小高い丘の上にあったのですが、その後の改修時に整地された為、すこし埋まってしまったのだそうです。

*龍の家とその周辺の建物は、現在は博物館として利用されています。案内板もなく分かりにくいですが、館内には発掘された遺跡が展示してあります。

ベトナム人民軍の最高司令部となった「D67の家」

ベトナム人民軍の最高司令部となった「D67の家」
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1954年にフランス軍が撤退した後、1975年まではベトナム人民軍の最高司令部が置かれ、ベトナム戦争の戦略的拠点となった「ハノイ城」。

敬天殿跡の先にある「D67の家」は、地上部分は当時の会議室の様子が残されていますが、見所は地下にあります。深さ約9メートルの地下へと続く階段を下り、鉄製の厚い扉をくぐり抜けると、大小2つの秘密会議室や通信室が。原爆にも耐える設計がされた地下の秘密基地は、約17キロメートル先のハドン(河東)区まで伸びる秘密通路もあるそうです。

フランス植民地時代に復元された「女王宮」

フランス植民地時代に復元された「女王宮」

提供元:遠藤隆尚

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主に敬天殿に対するさまざまなサービスを行う場、側近たちの控室として利用された「女王宮」は、タン・ロン遺跡群の最奥に位置しています。

クリーム色の壁が美しい「女王宮」の内部は何もなく、がらんとしています。ですが、急な階段を最上階まで登ってみてください。窓からの眺めも良いですが、屋根に施された魚がモチーフの飾り瓦や、壁に描かれたこて絵を間近で見られます。

敷地の外も忘れずに回りましょう。

敷地の外も忘れずに回りましょう。
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チケット売場で受け取った、パンフレットに記載されている地図を確認してみましょう。「タン・ロン遺跡」は、敷地外にもいくつか観光スポットがあります。

■北門
「ハノイ城」を囲む第二城壁の北に位置する北門(1805年)は、現存する唯一の門です。ほかにも東門、西門、東南門、西南門があったといわれています。1882年4月25日、ハノイが陥落した際に、フランス軍艦が紅河から撃った弾痕が残されています。

■旗の塔
軍事博物館の敷地内に、「ハノイ城」から移設された旗の塔(1812年)があります。積み重ねられた三層の正方形の台と、高さ18.2メートルの八角柱の塔は、ハノイのシンボルともいえます。

■タン・ロン城遺跡
2002年夏、国会議事堂の建て替え工事の際に発見されました。+唐時代の「ダイラ城(7〜9世紀)」、李朝の「タン・ロン城(10〜18世紀)」そして「ハノイ城(19世紀)」の遺跡が、地層のように積み重なっていると考えられています。現在も発掘中のため、一般公開が制限される場合があります。

*パンフレットでは、いったん敷地外に出て再入場するように、観光ルートの案内が記載されています。再入場時には入場チケットを見せるように求められますので、紛失にはご注意ください。

足元には発見されていない遺跡が眠っているかも!?

現存する建物は新しい建物ですが、その下にはたくさんの歴史が積み重なっている「タン・ロン遺跡」。今なお発掘作業が続けられていますから、今後新しい発見も期待できるかもしれませんね。

■タン・ロン遺跡(Thang Long)
住所: 19 Hoang Dieu Street, Ba Dinh District, Hanoi.
開園時間:8:00〜11:30、14:30〜16:30(月曜休館)

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/12/13 訪問

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