大河でも注目!新選組ゆかりの京都・壬生エリア見所まとめ

大河でも注目!新選組ゆかりの京都・壬生エリア見所まとめ

更新日:2015/03/28 17:00

古都の U助のプロフィール写真 古都の U助 ブロガー
幕末ファン必見の、聖地とも言えるエリアの1つ京都・壬生。幕末から明治を舞台とする2015年度NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の影響もあり、要注目のスポットです。
新選組(新撰組)が壬生寺に屯所を置いた後、東本願寺へ移るまで隊士たちが約2年間を過ごした壬生エリアは、壬生寺以外にも数々の関連スポットが至近距離で点在しています。
ぜひ京都・壬生エリアで、隊士たちのゆかりのスポットを巡ってみませんか?

山南敬介の墓がある光縁寺

山南敬介の墓がある光縁寺

写真:古都の U助

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通称嵐電、と呼ばれる京福電車の四条大宮駅、あるいは阪急大宮駅からも徒歩5分程の「光縁寺」には山南敬助はじめ新選組隊士らの墓があります。

なんでも、山南敬介の家紋と寺の瓦の門が同じ「丸に右離れ三つ葉立葵」であったというところから、当時の住職・良誉上人と山南敬助との間に親交が生まれたと伝えられています。

観光寺院ではありませんが、壬生まで来られたら、ぜひ光縁寺の瓦の紋を見学されてみてはいかがでしょうか。

屯所餅とお抹茶で休憩!

屯所餅とお抹茶で休憩!

写真:古都の U助

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新選組宿所の1つとなった八木家は、現在「御菓子司京都鶴屋」という和菓子屋を営まれており、名物は屯所餅です。
お餅に京野菜である刻まれた壬生菜が混ぜ込まれていて色彩も美しく、かすかに壬生菜の風味がして、とても美味しいです。

新選組が宿所とした母屋は今も現存していて、お店と隣接しており、八木家の見学にはお抹茶と屯所餅がセットとして付いています。

写真の左奥、家紋(三つ木瓜)の幕が見える門が八木家母屋の入り口です。

見学すると、案内の方から「この文机で芹沢鴨が転び、そこで斬られて…」などと説明をしていただけます。
実際の現場で聞く話はとてもリアルで、ちょっと背筋が冷たくなるような独特の臨場感を味わえます。

土日がおススメ!旧前川邸

土日がおススメ!旧前川邸

写真:古都の U助

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通常は立派な長屋門の外観のみの見学となる「旧前川邸」ですが、土日は誠の旗が出され、門からさらに進んだ玄関の内側、広い土間の部分で新選組のオリジナルグッズが販売されます。

雨の日は隊士たちが剣術の訓練もしていたという土間部分は、天井がとても高く立派な梁が特徴です。
この他にも、勤皇の志士の一人・古高俊太郎を拷問した蔵や、山南敬助が切腹した部屋なども現存しています。

山南切腹の間は現在は仏間として利用されており、年に一度の3月8日に山南忌が営まれています。(参加は事前申し込みが必要)

浪士組が集った場所、新徳禅寺

浪士組が集った場所、新徳禅寺

写真:古都の U助

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こちらも通常は公開されない寺院ですが、「新徳禅寺」は壬生寺のすぐ向かいにある寺院ですので、ぜひ忘れずチェックしていただきたいと思います。

新徳禅寺は浪士組を結成した清川八郎が京都に入洛した晩、「浪士組の本来の目的は将軍警護ではなく尊皇攘夷だ」と演説した場所です。

中仙道を下ってきた200名以上の浪士組は新徳禅寺、八木家、前川家などに分宿しました。
その後、浪士組の大半は江戸へ戻りますが、演説を聞き袂を分かった近藤勇ら試衛館派のメンバーや芹沢鴨ら水戸派の一部は京都に残り、後の新選組を構成したわけです。

旅の予定

四条通りの少し南側である「壬生エリア」は壬生寺以外にもすぐ近くに歴史的スポットが集中するので、ぜひ一度回られてみてはいかがでしょうか。

また、「壬生エリア」からだと徒歩15分前後、坊城通りを追いかけ(折れ曲がったりはしますが)五条通りより南側へ行くと「島原エリア」となります。そちらも幕末ファン必見のポイントが数多いです。

壬生、島原とも道が細く車も多いので、マナーや交通安全にお気をつけ下さい。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/02/27−2015/02/28 訪問

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