花換まつりで心も桜色に〜金崎宮(かねがさきぐう)

花換まつりで心も桜色に〜金崎宮(かねがさきぐう)

更新日:2017/02/10 09:08

SHIZUKOのプロフィール写真 SHIZUKO 舞台演出者
福井県敦賀市にある『金崎宮(かねがさきぐう)』は、優美な『花換(はなかえ)まつり』が有名な神社です。境内には約1000本のソメイヨシノがあり、桜のシーズンには多くの人が訪れ「花換えましょう」と声を掛け合います。そうすると恋が成就するとか。それゆえ、別名『恋の宮』とも呼ばれる金崎宮。もしかしたら、素敵な出会いがあるかもしれません。ちょっと珍しい春のお祭りであなたの願いが叶いますように。

恋の花咲く「花換えましょう」の声

恋の花咲く「花換えましょう」の声

写真:SHIZUKO

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珍しい『花換まつり』は、今ほど男女交際が自由ではなかった頃に男女の仲を取り持つお祭りとして始まったのだとか。

昔々、桜見物の男女が「花換えましょう」と声を掛け合い、桜の小枝を交換し合って愛を育んだとの言い伝えがお祭りの原型です。なんとも優美な感じがしませんか。花(桜)は、思い人に届けることもあれば、花見で意気投合したもの同士で交換することもあったそうです。

今では、桜の枝を折ることは出来ないので造花を交換し合うお祭として親しまれています。

『花換え』には、まず、花換まつりの短冊と小さな絵馬・お守りが付いた『桜の小枝』(500円)を授かります。本殿に参拝してから、本殿横の館で『桜の小枝』に願いや想いを込めて、福娘に「花換えましょう」と声を掛けます。すると、福娘が小枝を交換してくれます。交換してもらった小枝がお守りですので、家に飾っておきます。

もちろんそのまま持って帰ってもいいのですが、一緒に行った人やその場で出会った人と小枝を交換し合うと、お守りのパワーがアップするとか。恋人同士で花を取り換えると、そのカップルは将来幸せに恵まれるといわれているので、毎年大勢の若者が金崎宮を訪れます。ロマンチックでいいですね。

そして毎年『恋の成就祈願祭』(事前申し込みが必要)も開かれます。

祈願祭当日は、和服姿の未婚の女性たちが集まり、恋の花が咲くように祈りをささげます。華やかな和服姿で、桜色の境内がより一層あでやかになること間違いなしですね。

金崎宮を紐解く

金崎宮を紐解く

写真:SHIZUKO

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金崎宮は、敦賀湾に突き出した小高い山・金ヶ崎山の中腹にあります。

金崎宮の参道に沿って咲き誇る1000本のソメイヨシノ『金ヶ崎千本桜』は、日本海を見下ろ風光明媚な桜の名所。本殿までの坂道を登るにつれて、日本海が眼下に広がっていく風景はとっても素敵です。本殿前では、お弁当を広げる多くの人たち。桜の花の下で食べるお弁当は最高ですね。

金崎宮の境内のほとんどは『金ヶ崎城跡』に建っています。お城が建ったのは、源平合戦の頃。金ヶ崎山の立地は、古来から抜群の天然の要塞として認識され、利用されていたんですね。

金ヶ崎城跡といえば、歴史好きの人には『金ヶ崎の退き口』として有名な『金ヶ崎の戦い』があった場所だとおわかりでしょう。織田信長が朝倉義景を攻め、金ヶ崎城は落城。しかしその後、浅井家に裏切られ、信長軍が撤退を始めたといわれる戦国史上とても重要な場所です。

そんな城跡に建つ金崎宮の創建は1893年・明治26年。建武中興(けんむちゅうこう)十五社のひとつとして、敦賀の人々の熱烈なる請願によって建てられました。建武中興十五社とは、鎌倉幕府崩壊後、後醍醐天皇を中心に、武士社会ではなく天皇中心社会を作るために尽力・貢献した皇族や武将をご祭神として、明治時代に作られた神社のことです。

こちらのご祭神は、後醍醐天皇の二人の皇子である恒良親王と尊良親王です。参道には、落城時に2人が自害したとされる『尊良親王御陵見込地』があります。

いにしえに月を愛でた『月見御殿』から見えるのは…

いにしえに月を愛でた『月見御殿』から見えるのは…

写真:SHIZUKO

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本殿を越えて、どんどん登っていくと、金ヶ崎城の本丸があったといわれる『月見御殿』に到着。金ケ崎の最高点。とても見晴らしがいい場所。南北朝時代の武将たちがお月見をしたと言い伝えられている場所です。たしかに、ここから満月を眺めると、月光が波間を照らして風流だろうなって思えます。

時は流れて、平成の今、月見御殿から海を見ると、敦賀火力発電所が目に飛び込んできます。

広々とした発電所に黒々と光るものが。なんと、ここは石炭で発電されている珍しい火力発電所です。黒く見えているのが石炭です。日本全国に火力発電所は約180箇所ありますが、ほとんどは重油やLNG(天然ガス)を燃料として使っていて、約5パーセントの発電所でだけ石炭が使われています。

予想外の発電所風景を楽しんだあとは、月見御殿を離れ、ゆっくり下っていきましょう。しばらく行くと『三の城戸』『二の城戸』『一の城戸』と、かつてお城の門があった場所に出会います。それぞれの場所が激戦地だったということです。

城址といっても建物も何も残っていません。ただ、起伏に富んだ曲がりくねった山道が続いています。この道の狭さや曲がり方こそが、攻めにくいお城だったことを現代にも伝えているようです。

ちょっと足を延ばして『気比神宮』へ

ちょっと足を延ばして『気比神宮』へ

写真:SHIZUKO

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金崎宮で『花換まつり』を楽しんだ後は、ちょっと足を延ばして『気比(けひ)神宮』にも行ってみませんか。金崎宮から1.5キロしか離れていないので、ぶらぶらと歩くにもちょうどいい距離ではないでしょうか。

北陸道総鎮守・越前国一之宮『気比神宮』。

御祭神は伊奢沙別命(イザサワケノミコト)、別名気比大神。古くからこの地を守ってきた神様として信仰されています。『けひ』は『食(け)の霊(ひ)』という意味で、もともとは朝廷に食物を捧げる『御食(みけつ)国の神』。食べ物を司る、北陸で一番えらい神様です。

また、敦賀湾は、三方を山に囲まれた良港で、古来から海運の盛んな場所でした。陸路の場合も、海と琵琶湖に挟まれとても狭くなっている敦賀周辺は、東北や北陸から京都へ抜ける交通の要衝。そのために海陸交通の神様としてもあがめられています。つまり、五穀豊穣、交通安全・旅行の安全、そして大漁祈願などにご利益があるということ。

正面入り口に当たるとても美しい木の大鳥居は『厳島神社』『春日大社』と並ぶ日本三大鳥居。国の重要文化財です。

境内に満ち溢れる清浄なパワー。とても静かですっきりした境内。多くの摂社や末社もきちんと手入れされていて、さすが北陸道随一の守り神様です。

楽しい花換まつりとともに、訪ねてもらいたい場所です。
桜が咲いたら、敦賀の2つの神社に、ぜひパワーチャージにお出掛けくださいね。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2011/04/10 訪問

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