本格木造天守閣として復元。桜も美しい東海の名城・掛川城

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本格木造天守閣として復元。桜も美しい東海の名城・掛川城

本格木造天守閣として復元。桜も美しい東海の名城・掛川城

更新日:2016/10/25 17:12

佐久田 隆司のプロフィール写真 トラベルjpナビゲーター 佐久田 隆司 フリーライター、カメラマン

戦国時代には様々な大名が入れ替わり、争奪戦の舞台ともなった東海道の要、掛川城。
2006年1月から放送されたNHK大河ドラマ「功名が辻」の舞台にもなった歴史に翻弄された城は、春になると美しい桜との共演で観光客を楽しませる「東海の名城」として人々を魅了しています。
そして、国指定重要文化財の御殿や明治時代の豪商の建築がかつての栄枯を感じさせてやみません。

どっしり構える大手門には鯱瓦も!

写真:佐久田 隆司

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JR東海道新幹線、東海道本線の掛川駅から、北に足を向けると掛川城はあります。
城下町の街並みは、かつてこの地を治めた武将山内一豊が心血を注いで整備したこともあり、ちょっと現代的な風情を感じることができます。

掛川城大手門は楼門造りの櫓門で、間口約12.7メートル、奥行き約5.4メートル、高さ約11.6メートルの規模。嘉永7年(1854)の地震で倒壊し安政5年に再建されましたが、明治の廃城により民間に払い下げられたのち焼失してしまいました。

平成7年に復元された木造の日本瓦葺入母屋造りは、馬に乗ったまま通行できるようにと、冠木下の高さが約4.4メートルもあります。現代の区画事情のために50mほど北にずらして創建当時を復元した棟上には、鯱瓦が飾られるほどの立派な建築です。
名古屋城天守閣の金のシャチホコも有名ですが、掛川城の瓦でかたどられたシャチの姿も必見!また、ここから眺める景観が一番美しいともされていますので、掛川城を目指す際には大手門を見逃さないようご注意を!

その後ろ側には、城内に出入りする者の警備や監視をする役人の詰所である門番所があります。大手門に付属した門番所が現存するのは全国的にも珍しく、大手門復元時と同時に再移築され今に至っています。

※鯱瓦はシャチを象った瓦のことです。
※JR東海道新幹線掛川駅、JR東海道本線掛川駅下車徒歩15分

有名武将が争奪戦を繰り広げた城

写真:佐久田 隆司

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掛川城は室町時代に今川義忠が重臣の朝比奈氏に命じて築城させた、複合式望楼型3重4階建て、南側惣構えの平山城です。特に掛川城は平地に築かれた平山城ですから堅固な惣構えが必須であったため、この城郭を構築し攻め落とされにくい城としたのです。

※惣構えとは、城を塀、石垣、土塁などで取り囲み、敵からの攻撃を防御する構造のことです。

さらに掛川城天守閣の入り口前面に位置する、深さ8mもあったとされる三日月堀をはじめ、十露盤堀(そろばんほり)、内堀(松尾池)が堅固な要塞としての威勢を誇っています。この入口は一気に突破されそうなほどに一見脆弱(ぜいじゃく)に見えますが、敵を誘い寄せて壊滅させる戦略を思い描かせる造りです。そのように考えるとこの堀を取り囲むスタイルは、戦術的にも納得いくものなのです。

※三日月堀は三日月型をした深い御堀。十露盤堀(そろばんほり)はそろばんのような底形状の御堀です。

掛川城は、戦国時代争奪戦の舞台で様々な武将が城主となった経緯があります。
徳川家康が掛川城を包囲した翌年1569年の4月には、武田信玄が家康へ書状を送り、「早く掛川城を落としなさい」と催促しています。武田信玄と徳川家康の挟み撃ちでは今川氏真が籠城しましたが、和議により徳川家康に屈して開城し、今川氏真は小田原北条氏(妻の実家)へ落ち延びた経緯があります。その後武田氏滅亡まで徳川氏の領有であり続けました。

※入園料大人¥400 小・中学生¥150  天守閣と御殿の2か所共通

山内一豊が心血を注いだ城郭

写真:佐久田 隆司

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室町時代から安土桃山時代に時代が移ると徳川家康が江戸に移封され、豊臣秀吉の直臣であった山内一豊が入城してきました。
山内一豊は、掛川城を近世城郭とすべく大幅に石垣、瓦葺などを整備し、その時の構造部が当時のまま掛川城郭に残されています。
城主となった山内一豊はNHK大河ドラマ「功名が辻」で取り上げられ武将です。それを支えた妻「千代」は、賢妻として主人をどこまでも支えました。「内助の功」の言葉の発祥ともなったとされる女性で、嫁入りの持参金を「馬を買いなさい」と手渡した話は有名です。

安政の東海大地震で甚大な被害を受けた掛川城ですが、その当時は二の丸御殿以外は再建されませんでした。しかし、時代が平成に入ってから、市民や地元企業の膨大な募金により平成6年に日本初の本格木造天守閣として復元されたという経緯があります。
復元にあたっては、山内一豊が高知城を築城する際「天守は掛川を模して造るように」と指示したとされており、高知城天守閣をベースに推測して建設されました。

全国名城100選に選出され、日本初の本格木造天守閣として復元された華やかな印象は、当時の余韻を感じさせる見ごたえあるものです。

国指定重要文化財の御殿も。掛川城を動画で確認!

動画:佐久田 隆司

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今も現存する二の丸御殿は国指定重要文化財となっており、当時の風情のままに残される内部は入場も可能。石垣、土塁、堀なども見られるようになっています。

城郭の御殿建築は、京都の二条城、埼玉県の川越城、高知県の高知城と並んで希少価値の高いものとなっています。
掛川城の歴史的価値を見出すには、城郭だけでなく御殿の存在も欠かせず見る価値十分です。

竹の丸には明治時代の豪商の建築が残っています。上流階級の邸宅と庭園が当時をしのばせ、有形文化財として一般公開もされています。
掛川城と違い竹の丸の明治が香る瀟洒(しょうしゃ)な建築はぜひとも眺めたいところです。御殿のお庭で掛川城を眺めながらひと時の歴史絵巻に心を馳せるのも悪くありません。

ここでは掛川城の様子を動画で紹介しています。ぜひご覧ください。

新幹線の駅も木造建築。掛川城界隈で歴史ロマンを辿る

JR掛川駅北口は新幹線駅で唯一の木造建築となっています。
日本初の本格復元木造天守閣に倣ったかは定かでありませんが、昭和40年に当時の掛川市長が文化を大切にする想いから木造にされたという話です。この独特の木造駅舎は、新幹線駅舎でなくても今や珍しい部類に入っており、是非目にされることをおすすめします。

数々の戦乱を乗り越えてきた掛川城。
多くの武将が手中に収めようと争奪戦を繰り広げてきた歴史。

その歴史の舞台であった掛川城界隈は、城下町にありがちな曲がりくねった街並みではなく、電柱などをなくし整然とした美しさを見せています。これは、山内一豊が整備した街並みを今に伝えるべく、天守閣復元を契機に景観を配慮して区画整理されたからです。

山内一豊が心血を注いで作り上げた城郭の風情を今に残す掛川城下町はとても魅力あふれるところです。
掛川城までの道筋に歴史ロマンを感じつつ散策してみるのはいかがでしょう。

写真:佐久田 隆司

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東海の名城「掛川城」へぜひ

東海の名城「掛川城」は春爛漫が似合うお花がたくさんあるところ。アクセスも良もよい「掛川城」へあなたも足を向けてみてはいかがでしょうか?しっとりした城郭・歴史散策ができると思いますよ。

この記事の関連MEMO

掲載内容は執筆時点のものです。 2011/04/03 訪問

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