京都の庭園で見つけた、昭和の作庭家 重森三玲のモダン感覚と日本文化

京都の庭園で見つけた、昭和の作庭家 重森三玲のモダン感覚と日本文化

更新日:2016/08/04 13:06

重森三玲という名前をご存じですか? 画家で作庭家。茶の湯や生け花、建築や工芸にも詳しく、日本文化を愛した人。イサム・ノグチと同時代を生き、海外にも名を知られています。彼はいったいどんな庭を作ったのか? 重森三玲が作った京都の4つの庭をご案内します。そこには、他の日本庭園には見られない力強く、そしてモダンな日本文化が息づいています。

重森三玲が作った東福寺龍吟庵、三つの枯山水庭園。その一「無の庭」

重森三玲が作った東福寺龍吟庵、三つの枯山水庭園。その一「無の庭」
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2015年「京都冬の旅」で公開されている東福寺の龍吟庵。日本最古の方丈建築の建物の三方に、重森三玲が作庭した三つの庭があります。写真は、まったく趣向の異なる三つの庭のうちの南庭「無の庭」。木一本もない簡素な白砂だけの庭です。東福寺は臨済宗のお寺。龍吟庵に作られた庭はすべて枯山水庭園です。

日本庭園は大きく、「浄土式庭園」「枯山水庭園」「路地(茶庭)」の三種類に分類されます。平安時代に発展した「浄土式庭園」は、池を中心に配して仏教的世界を表現したもので、「池泉回遊式庭園」とも呼ばれます。宇治の平等院などに見られます。

「枯山水庭園」は室町、鎌倉時代に禅宗のお寺を中心に発展した庭。座禅や瞑想の場にふさわしい簡素なしつらえが特徴です。龍安寺の石庭、そして今回訪ねた東福寺の龍吟庵は、この代表格です。

「路地(茶庭)」は文字通り、茶室に至る道、通路のこと。茶室に至るまでのストーリーを描く空間と言えるでしょう。表千家や裏千家の路地が代表的です。

重森三玲による「無の庭」は、よく見ると、右手の竹垣に稲妻が描かれています。この稲妻が次に続く西の庭では・・・

その二「龍の庭」に見るモダンなデザイン。ストーリー性のある石組み。

その二「龍の庭」に見るモダンなデザイン。ストーリー性のある石組み。
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「無の庭」に起こった稲妻は雨を降らせ、西の庭では海中から龍を引き寄せています。庭いっぱいに大胆に配された青い石組みが表現しているのは大きな龍が暴れる様。海原を表わす白砂、黒雲を表す黒砂との構成です。青石は阿波(徳島)のもので、重森三玲は他の作品でも、若狭の石を好んで使っています。そして、ここでも竹垣には稲妻が・・・。

描いているのは東洋的な物語ですが、地表のデザインはとてもモダンです。曲線が龍の猛々しさだけでなく、どことなくユーモラスな感じさえ想像させます。こうしたあしらいこそが重森三玲的。一般の枯山水庭園とはひと味違う趣きが新鮮です。

その三「不離の庭」。赤石使いが斬新なハイカラ庭園。

その三「不離の庭」。赤石使いが斬新なハイカラ庭園。
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敷き詰められた赤石が目を引く東の庭「不離の庭」です。方丈と庫裏つなぐ渡り廊下に面した長方形の庭。狼に襲われそうになった国師を二頭の犬が守ったという故事にちなんで作庭されました。赤石は京都の鞍馬のもので、庭に使われる石の中では高級なものとのこと。ちなみに赤石を使ったのは、寂しさを消すためだそうです。

重森三玲の庭を堪能できる東福寺龍吟庵。いったい、重森三玲とはどんな人だったか? 庭から、そんな思いがふくらみますね。

国内外から人が訪れる重森三玲庭園美術館で庭と茶室を鑑賞。

国内外から人が訪れる重森三玲庭園美術館で庭と茶室を鑑賞。
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続いてご紹介するのは、百万遍にある重森三玲庭園美術館です。現在は彼の子孫に当たる方が管理し、国内外から訪れる人に庭を案内されています。

書院と茶室がある自邸に作った庭「無字庵庭園」もやはり枯山水庭園ですが、この庭は少し荒々しい感じ。初期の作品のせいかもしれません。使われている大きな石組みはすべて阿波のものです。

女性をイメージさせる名前、三玲。彼が生きたのは1896年〜1975年。昭和の真っ只中を海外に出ることなく、日本で過ごしました。実は三玲はペンネームで、本名は重森計夫。彼のスタートは画家でした。その道を究めようとして入学した東京の美術学校で、集まった才能の凄さに驚き、挫折感を味わったことから精神面を鍛えようと美術史を学び、思想や哲学にのめり込んでいきます。

その後、日本美術を総合的に学ぶ学校を作ろうとしたのですが、関東大震災が起こり断念。故郷に戻り、実家に庭を作ったことがきっかけで作庭家の道を歩むことに。独学でプロの作庭家に。日本を代表する近代の作庭家として海外にも名を知られ、重森三玲庭園美術館には外国人も多く訪れます。

庭より感動した斬新なふすまのデザイン。まるで琳派みたい。

庭より感動した斬新なふすまのデザイン。まるで琳派みたい。
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重森三玲庭園美術館の奥には茶室があります。こちらも彼の作品ですが、この中にあるふすまのデザインがとても大胆で目を引きます。大きな市松模様をカーブを描くデザインでふすまの一部分を取り入れた感じは、まるで琳派の血を引くよう・・・。気になって案内の方に尋ねると、市松模様は江戸時代に人気が出た日本固有の文様で着物の柄にも取り入れられてきたものとのこと。重森三玲は、日本の美術史の中にある伝統的なモチーフを使って現代に通じるモダンなデザインを描くことが得意だったようです。日本文化の中には西洋文化に通じるモダンさがあった・・そのことに三玲は気づき、それを引き出したようです。

重森三玲のモダンでおしゃれな庭とセンス

日本庭園は砂と石、池や滝などの水によって構成されます。私は庭のイメージを考え、持ち運んだ彫刻のように石を削ってイメージに合わせていくのだと思っていたのですが、違いました。現地でイメージに合わせて選んだ石をそのままの造形で組み立てていくそうです。となると・・石を多用するほど、構成力が求められます。重森三玲の庭が物語的で、見ていて飽きないのは、彼が画家であったからかもしれません。そして、その原点が日本文化、日本の美術史の研究にあったこと。その伝統の中に普遍的でいて、現代や西洋にも通じる感覚を見つけ出し、引き出すことに成功したようです。

いかがですか? 日本庭園への興味がわいてきたでしょうか? 2015年3月18日まで公開中の京都冬の旅で重森三玲の庭を鑑賞してみませんか?

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/02/14 訪問

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