生と死に包まれて…インド・母なるガンジス河畔を歩く

生と死に包まれて…インド・母なるガンジス河畔を歩く

更新日:2015/02/20 15:28

ヒンドゥー教徒憧れの地、インド最大の宗教都市として国内外からも多くの信者や観光客を集めるワーラーナシー(別名バラナシ、ベナレス)の歴史は古く、3000年とも5000年とも言われています。
インドの叙事詩「マハーバーラタ」にもその存在が登場するというこの一大聖地に降り立つと、生と死に囲まれて生きる人々の日常を垣間見ることができます。今回は、この母なるガンジス河畔の何気ない風景をご紹介します。

ガンジス河は日の出と共に

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ガンジス河の朝は、まだ日の出前の暗いうちから始まります。河沿いに数多く連なるガート(川岸に設置された階段)では、朝の冷たい空気に晒されながら、沐浴を始める人々の姿を眺めることができます。また、中にはサドゥーと呼ばれる仙人のような姿をした修行僧を見かけることもあります。敬虔な信者たちは、ひたすら朝日とそしてガンジスに祈りを捧げ、それはとても美しい光景です。

観光客ももちろん沐浴に挑戦できます。その際には水が口に入らないように気をつけましょう。ガンジス河沿いに建つ宿に泊まり、そこから近いガートで行うことをおすすめします。

ヒンドゥー教と牛の関係

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インドでは、牛は神聖な生き物として崇められているというのは有名な話です。なぜなら、ヒンドゥー教徒に最も人気の高いシヴァ神の乗り物とされているからです。特にこのワーラーナシーはシヴァ神の聖都とされており、あちらこちらに自由気ままに歩く牛の姿を見かけます。

しかし、実はこの写真のような黒い水牛は、神聖な牛とは別物です。ヒンドゥー教が忌むべき死者の王ヤマの乗り物として伝えられており、生贄や他教徒向けに食用としても流通しています。とはいえ、ガート付近にいる水牛には基本的に飼い主がおり、群れごとに水浴びしている様子や体を洗ってもらっている平和な姿を見ることができます。

観光客を相手に生きる人々

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河沿いを歩けば、頻繁に日本語で話しかけられるので驚く人も多いはず。たいていは、土産物売りか、「普通は見られない火葬場をみせてあげる」「迷わないように道案内しよう」「いい宿を知っている」などのガイドの申し出です。しかし、法外な金額を要求されることもしばしば。妙なトラブルにもつながりかねないので、声を掛けてくる人の誘いには乗らず、できる限り自力で行動した方が良いです。現地の人と交流したければ、自分から声を掛けることです。

ここには、観光客相手の商売で生活する者が大変多く、また商魂たくましい彼らはしつこいこともありますが、中にはおじいさんが笛を吹くとコブラが踊り出す、御伽噺のような見世物に出会えたりもします。見たいものは存分に楽しみましょう。
見世物の相場は10〜50Rs.で観光地であることを鑑みても日本円言えば高くてもせいぜい100円程度です。それ以上要求してくる場合には、交渉に乗らず拒否して立ち去れば良いです。

生活の全てが詰まった場所

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散策を続けていくと、ガンジス河に抱かれて人々の暮らしが営まれていることが感じられます。祈りを捧げるもの、お風呂代わりに頭や身体を洗うもの、船の上に住む者、沖合いで泳ぐ者...中でも洗濯する人々は興味深く、河岸の岩に洗濯物を振り回して叩きつけながらサリーやシーツを洗います。そして、ガートの階段に直に広げて干すのを見ていると、汚れが落ちているのかついているのかもはや分からなくなってしまいますが、なぜか美しく印象深いシーンです。

ガートに面した建物のトイレはガンジス河に直結、その横に取水口があって生活用水が取られていく、ガイコツが普通に転がっている横で流れ着いたゴミを漁って遊ぶ幼い子供たち。ここは、人間の全てを凝縮した不思議な土地なのです。

ガンジス河の夕景を楽しむ

ガンジス河の夕景を楽しむ
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時間が許せば、夕闇に包まれたガンジス河にボートで漕ぎいでてみましょう。たくさんのガートに街灯が灯り、辺りは幻想的な雰囲気に包まれます。焼場の炎の揺らめきも妖しく、この世とあの世が混在する聖なるところというのもうなずけます。
ヒンドゥー教徒は、死してガンジス河に流されることで輪廻からの解脱が遂げられるとされており、この場所にやってきて最期を迎える信徒も多くいるそうです。
墓を持たないヒンドゥー教徒。富める者も貧しい者も誰もが等しくガンジスの流れに還っていく、その瞬間を見つめていると人生観が変わるかもしれませんね。

おわりに

ワーラーナシーは、日本人がインドという国に期待するイメージの全てがある都市と言えます。仕事に、人間関係に我々はちっぽけなことでも毎日くよくよと悩みますが、生死が隣り合わせのこの聖地に立てば、溢れるほどの生のエネルギーを全身に浴び、また明日を生きていく糧になることでしょう。人生に疲れたら、是非一度訪れて見て下さい。

掲載内容は執筆時点のものです。 2011/11/14 訪問

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