広島・大久野島は、うさぎ、毒ガス、ときどきラピュタ

広島・大久野島は、うさぎ、毒ガス、ときどきラピュタ

更新日:2017/10/31 13:29

風祭 哲哉のプロフィール写真 風祭 哲哉 B級スポットライター、物語ツーリズムライター、青春18きっぷ伝道師
瀬戸内海の広島県竹原沖に浮かぶ大久野島を語るとき、枕詞のようについてまわる二つの言葉、それは「うさぎ」と「毒ガス」。

今でこそ国民休暇村に指定され、数百匹もの野生のウサギを目当てにやってくる観光客も多く、平和この上ない島ですが、戦争中は日本軍がここで戦闘用の毒ガスを製造していたことで、地図にも書かれていない、平和とは正反対の島でした。
今でもこの島に来ると、その陽と陰の両面をみることができます。

大久野島でのお出迎えは、いきなりうさぎ軍団。

大久野島でのお出迎えは、いきなりうさぎ軍団。

写真:風祭 哲哉

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大久野島へのアクセスは、JR呉線の忠海(ただのうみ)駅から徒歩5分ほどの忠海港から船に乗って約15分。
大三島フェリーと「休暇村大久野島」の客船が運航していますので、平日は1日13往復、土休日は1日17往復と、離島航路としては比較的本数も多く便利です。

大久野島でのお出迎えは、いきなりうさぎ軍団。

写真:風祭 哲哉

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大久野島の桟橋に降り立つと、いきなりうさぎさんチームの大群が。
大久野島にいるうさぎは700匹とも800匹とも言われていますが、この桟橋付近と大久野島ビジターセンター付近、そして島の中心となる休暇村大久野島付近に比較的数多くいるようです。

桟橋にはフェリーに接続して休暇村大久野島行きの無料シャトルバスがあります。このバスには宿泊者以外も乗れるのですが、ブラブラと歩いていっても休暇村までは10〜15分くらいですので、余裕があるときはうさぎさんチームと戯れながら歩いて行くことをおススメします。

大久野島の中心「休暇村大久野島」

大久野島の中心「休暇村大久野島」

写真:風祭 哲哉

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うさぎたちと戯れながら桟橋からゆっくり歩いて約15分、島の南側の海岸沿いに出て、大久野島ビジターセンターから内陸部へ入ると、その先に休暇村大久野島の大きな建物が現れます。
ここは島の中心で、唯一の有人施設。宿泊もできる総合リゾートとして人気の施設です。

<休暇村大久野島の基本情報>
住所:広島県竹原市忠海町大久野島
電話番号:0846-26-0321
アクセス:忠海港からフェリーで約15分、大久野島桟橋より無料送迎バスあり>

大久野島の中心「休暇村大久野島」

写真:風祭 哲哉

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休暇村大久野島には普段からたくさんの観光客がいることから、島内のうさぎも、この休暇村前の広場に一番多く集まっています。
彼らのお目当ては観光客が持ってくる、キャベツなどのエサ。現在は島内ではエサが買えませんので、うさぎとコミュニケーションしたい場合は船に乗る前に忠海港の売店やスーパーでうさぎのえさを購入しておいたほうがいいでしょう。

大久野島の中心「休暇村大久野島」

写真:風祭 哲哉

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大久野島にやってくる観光客の大半がうさぎとのふれあいを目的にしているため、この島のうさぎは非常に人間慣れしていて、こちらが近づいて行くと、彼らも逃げずに近寄って来ます。ただしエサを持っていないことがわかると、すぐにあっさりと去っていきます。そう、大久野島のうさぎは、想像以上に現実的なのです。

大久野島の隠されていた事実を語る、毒ガス資料館と貯蔵庫跡

大久野島の隠されていた事実を語る、毒ガス資料館と貯蔵庫跡

写真:風祭 哲哉

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うさぎたちと戯れているとうっかり見過ごしてしまいそうですが、休暇村大久野島の少し手前にある茶色い壁の建物が、大久野島毒ガス資料館。

この大久野島では、1929年から1945年太平洋戦争が終わるまで、極秘に毒ガス製造が行われていました。戦時中の大久野島は地図から消され、また戦後も化学戦の実態は慎重に秘匿されていたため、日本軍が毒ガスを製造していたということは、1984年に報道がなされるまで、ほとんど知られていませんでした。
毒ガスを製造する過程で犠牲になった多くの人々など、その後明らかになった痛ましい事実を後世に伝えるため、関係者からよせられた当時の資料を展示し、建設されたのがこの毒ガス資料館です。

<大久野島毒ガス資料館の基本情報>
住所:広島県竹原市忠海町5491
電話番号:0846-26-3036
アクセス:忠海港からフェリーで約15分、大久野島桟橋より徒歩10分>

大久野島の隠されていた事実を語る、毒ガス資料館と貯蔵庫跡

写真:風祭 哲哉

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休暇村大久野島を過ぎると人もうさぎもグッと少なくなり、大久野島の陰の部分、戦争施設跡はここから先が本番となります。
まず休暇村の裏手あたりに現れるのが、三軒家毒ガス貯蔵庫跡。トンネルのような穴が並ぶコンクリートの建物の中には猛毒で皮膚がただれる、びらん性毒ガス「イペリット」という、説明を聞くだけでも恐ろしい毒ガスが貯蔵されていたそうです。

そしていくつか残っている貯蔵庫跡の中でも最も大きいのが長浦毒ガス貯蔵庫跡(写真上)。終戦後、残った毒ガスを火炎放射器で焼いた跡としてコンクリート内部の壁が黒々と焦げついています。
崩壊の危険性があるため、残念ながら中は立ち入り禁止ですが、その廃墟っぷりは、長崎の軍艦島に通じるものがありますね。

大久野島中部砲台跡は、全国で最も完全な形を残す砲台跡

大久野島中部砲台跡は、全国で最も完全な形を残す砲台跡

写真:風祭 哲哉

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そのまま島の北部に進み、少し高台に登ったところにあるのが、北部砲台跡。
毒ガス工場とは別に、この島は芸予要塞の一角として日露戦争の頃から海上保安のための砲台がいくつも設置されていたそうで、これもその一つ。山肌をくりぬいて作られた赤いレンガ造りの弾薬庫が並んでいます。

大久野島中部砲台跡は、全国で最も完全な形を残す砲台跡

写真:風祭 哲哉

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北部砲台から登りの階段となっている遊歩道をしばらく進むと、島の頂上付近の広い敷地に中部砲台跡が現れます。
大久野島の砲台跡は、全国の砲台跡の中でも最も完全な形を残しているらしく、たしかにレンガの弾薬庫がずらっと並ぶさまは壮観で、朽ち果てた感じはありません。
和歌山にある友が島には及びませんが、この大久野島にも天空の城ラピュタの世界観がある、と言われることがあります。夏場の緑が多い時期になって、こうした戦跡の壁が苔むし、蔦も絡まってくると確かにそんな雰囲気になるのかもしれません。

大久野島中部砲台跡は、全国で最も完全な形を残す砲台跡

写真:風祭 哲哉

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また、この中部砲台跡の近くには大久野島の展望台があり、瀬戸内の海と島々を見渡すことができます。特に夕方の時間帯、西の空と島々を金色に染めて夕日が沈むさまは、厳かでいつまでも見とれてしまうほど。

大久野島を代表する廃墟、発電所跡

大久野島を代表する廃墟、発電所跡

写真:風祭 哲哉

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大久野島の展望台からは桟橋方面へと下る道がありますので、急いでいる場合は北部砲台へ戻らずに、そのまま桟橋まで行くことができます。
長い坂を下ったところ、桟橋の手前にあるのが発電所跡。ここも毒ガス工場を操業するための発電を行っていた関連の施設です。短いトンネルを抜けると、コンクリートと鉄骨だけになった姿で、今もなお残っています。

大久野島を代表する廃墟、発電所跡

写真:風祭 哲哉

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そんな凄惨な建物の前でも、何匹かのうさぎが餌を食べたり、飛び跳ねたりしているのが、軍艦島や友が島など、他の廃墟の島々とは違う、この大久野島の大きな特徴ですね。

一周して初めてわかる、大久野島のシュールな魅力。

このように大久野島一周を天気予報風に表現すると、うさぎのち毒ガス跡、ときどきラピュタ(砲台)、ところによりまたうさぎ、という感じの、とてもシュールな島であることがわかります。
一周約4.3キロという小さな島ですので、ゆっくり歩いても2時間ほどで一周できます。また、休暇村のレンタサイクルを利用すればもっと手軽に回ることができますが、中部砲台や展望台に行くのであれば、途中、階段もありますので徒歩の方がいいでしょう。

うさぎだけではない、大久野島のもう一つの側面もぜひご覧いただきたいと思います。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2014/12/29 訪問

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