武田信玄×上杉謙信の激戦 川中島合戦の史跡を訪ねて

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武田信玄×上杉謙信の激戦 川中島合戦の史跡を訪ねて

武田信玄×上杉謙信の激戦 川中島合戦の史跡を訪ねて

更新日:2013/02/13 11:05

高橋 しゅうのプロフィール写真 トラベルjpナビゲーター 高橋 しゅう 総合旅行業務取扱管理者、総合旅程管理主任者

川中島合戦は、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が北信濃の領地を争って戦った、日本の戦国時代の中で有名な戦いの一つです。
北信濃を舞台に繰り広げられたこの合戦は、1度ではなく12年の間に5度繰り返され、その中でも最大の戦いが4度目となる永禄4年(1561年)8月の合戦です。
両軍合わせて3万人を超える壮絶な戦いは歴史に残る合戦で、舞台となった地域には数々の伝説や史跡が今も残っています。

激戦の歴史を今に伝える八幡原古戦場

写真:高橋 しゅう

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合戦の名称で知られる川中島は、現在の長野市南部、善光寺平とも言われる長野盆地に位置し、ここを流れる千曲川と犀川に挟まれた場所にあります。

最大の永禄4年の合戦は、その川中島地域の八幡原一帯で壮絶な戦いが繰り広げられ、両軍あわせて8千人にもなる戦死者、約2万名弱の負傷者を出した史上まれにみる激戦でした。
武田軍は戦術上、2万人の部隊を二手に分けて戦いを始めた為、当初部隊の人数が少ないことにより、人数に勝る上杉方が優勢でしたが、後に武田軍の両部隊が合流した後は、武田方の巻き返しにより結果は武田信玄の勝利となりました。
※詳細は「ながのコンベンションビューロー(特設サイト)」を参照下さい。

現在、合戦場の一部は史跡公園として整備されて市民の憩いの場所ともなっています。隣接して合戦の史跡が残る八幡原神社があり、境内にはいくつかの見どころがあります。

写真は八幡原神社に掲示されている川中島合戦の説明図です。


八幡原神社

拝観:境内自由見学
アクセス:長野駅より松代行・路線バスで約20分、川中島古戦場下車 すぐ

上杉謙信と武田信玄の一騎打ちの場面も

写真:高橋 しゅう

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神社の境内にあり古戦場のシンボルとなっているのが武田信玄と上杉謙信の一騎打ちの像です。

合戦の最中、武田本陣が手薄になったところへ単騎で謙信が突入、信玄めがけて3度切りかかりました。一方の信玄は軍配団扇で防戦し助かりましたが傷を負ったと言われています。

その謙信が信玄に切りかかる場面が像となっています。

合戦中の出来事や伝説を今に伝える史跡の数々

写真:高橋 しゅう

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一騎打ち像の他にも、ここには合戦にまつわる史跡や伝説があります。その一つが「執念の石」(写真)です。

謙信が馬に乗って武田本陣に切り込んだ際に、武田軍の原大隅守(はらおおすみのかみ)が槍で防戦しましたが、槍が謙信を外れて馬に当たり、驚いた馬が謙信と共に走り去ってしまいました。原大隅守は謙信を取り逃した無念さから近くにあった石を槍で突き刺したと言われ、穴の跡がある石が今に残っています。

その他にも合戦で命を落とした両軍の戦死者を埋葬した首塚があります。激戦の後に戦場に散った戦死者を、武田方の高坂弾正が敵味方の区別なく埋葬しました。
そのことを知った上杉謙信は感激し、塩が不足していた敵の武田方の甲斐の国へ塩を贈ったとされています。このことが「敵に塩を贈る」と言われる故事の由来となっています。

日本最大の閻魔像と信玄の弟、武田信繁ゆかりの典厩寺

写真:高橋 しゅう

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古戦場から少し離れた場所にある典厩寺(てんきゅうじ)。信玄の弟で激闘の末に討死した武田軍の副将・武田典厩信繁が葬られたことから、以前の鶴巣寺(かくそうじ)から名称が改められました。

境内には川中島の合戦に関する記念館もあり、武田家が使った火縄銃や信繁が所持し合戦で折れた刀、兜、その他合戦にゆかりのある貴重な品々が所狭しと展示され、往時に思いを馳せることができます。

さらに合戦の戦没者を弔う為に江戸時代に造られた閻魔像(高さ約6m)があり、その大きさは日本最大言われ、堂内に描かれた天井絵と共にこちらも見応えがあります。

典厩寺には歴史上貴重な合戦ゆかりの品や見どころがあり、史跡巡りには欠かせない場所です。


典厩寺

拝観時間:午前8時30分〜午後5時
拝観料 :大人200円
アクセス:長野駅より松代行・路線バスで約20分、水沢典厩寺下車徒歩5分

妻女山は謙信が本陣を構えた長野盆地の展望地

写真:高橋 しゅう

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妻女山は長野盆地の南側に位置する小高い山です。ここは眺望が良く、展望台からは眼下に千曲川、川中島一帯を含めた長野盆地、その向こうには北アルプスまで見渡すことができます。

川中島合戦の際には、眺望の良さと武田軍が合戦の際に拠点とした海津城(現在の松代城址)の様子が見えることから、上杉謙信が最初に本陣を構えた場所でもあります。

合戦の始まる前夜、上杉謙信は妻女山から海津城の武田軍の動きを察知して全軍1万2千人を率いて密かに山を降りて八幡原へ向かいました。一方武田軍は2万人のうち、1万2千人を合戦当日の朝に妻女山へ向かわせ上杉軍を八幡原へ追い詰める戦術でしたが、上杉軍の兵士の姿はその場に残っていた200人だけで、謙信に裏をかかれて作戦は失敗となりました。
しかしその後、部隊は八幡原へ向かい先鋒隊と合流して武田方の勝利となっています。※前段の八幡原古戦場の記事にも紹介しています。


歴史に残る激戦、川中島合戦は現在の長野市南部のエリアを中心に繰り広げられました。このエリアには今回紹介した他にも、この地で果てた武将の墓所や海津城(松代城)跡、合戦について詳しく展示している長野市立博物館等、みどころが多数あります。

約450年前の歴史の舞台を訪ねて長野市川中島地域へ出掛けてみてはいかがでしょうか。


妻女山

展望台見学:自由見学
アクセス:松代中心部よりタクシー(10分程度)利用が便利です。

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/02/05 訪問

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