伊勢参宮街道を歩いて、江戸時代の伊勢参りを体験

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伊勢参宮街道を歩いて、江戸時代の伊勢参りを体験

伊勢参宮街道を歩いて、江戸時代の伊勢参りを体験

更新日:2013/02/14 15:31

SHIZUKOのプロフィール写真 SHIZUKO 舞台演出者

伊勢参りが庶民の間で大人気となった江戸時代。『おかげ参り』という集団参拝が60年周期で3回起こったという。数百万という庶民が、大金も持たず、奉公先をこっそり抜け出して、ひしゃく一本を信仰の目印に、伊勢を目指したそうです。そのエネルギーはとてつもないものだったでしょう。そんないにしえの人々が歩いた街道を歩いて、その興奮と喜びを追体験してみませんか。

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江戸時代の庶民の夢〜一生に一度は伊勢参り

江戸時代の庶民の夢〜一生に一度は伊勢参り

写真:SHIZUKO

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265年続いた江戸時代。長期政権によって天下泰平といわれた時代。

大名たちは、幕府への反逆を抑えるために、江戸に妻子を人質として取られていました。そして、1年ごとに江戸と領地を行き来する参勤交代が義務付けられていました。この参勤交代のおかげで、各地の街道はどんどん整備され、宿場町も賑わい、地方文化の交流も始まりました。しかし庶民は、自由に旅することを禁じられていました。特に女性は『入り鉄砲出女』という言葉が表すように、関所で厳しくチェックされ、旅行どころではなかったようです。

そんな時代でも信仰までは厳しく制限できないということで『伊勢参り』は比較的自由に行けたそうです。ひしゃくがお参りの目印。ひしゃくを持って伊勢を目指せば、街道筋の人々が施行(せぎょう・仏教のお布施。旅人に食べ物などを施した人には功徳があると信じられている)として、色々手助けしてくれたそうです。それゆえ『おかげ参り』とも呼ばれていました。

とは言うものの、交通手段が徒歩の時代。日数もかかり、莫大な費用も必要なことから、誰もが伊勢まで行けるわけではありません。そこで『講』という組織が作られました。『講』では、みんなでお金を出し合い、くじ引きで伊勢に参拝する人を選びます。代表で参拝する人は、道中の安全を考え2・3人で伊勢を目指しました。そのため、無事にお参りが終わると、伊勢に行った証拠のお札を持ち、お土産を買って地元に帰るという習慣が根付いたそうです。

そんな江戸時代のおかげ参りの賑わいを再現しているのが、内宮のそばにある『おかげ横丁』の『参宮歴史館おかげ座』です。

『おかげ座』で江戸時代にタイムスリップ

『おかげ座』で江戸時代にタイムスリップ

写真:SHIZUKO

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芝居小屋の外観をした『参宮歴史館おかげ座』には『歴史館』と『テーマ館』の2つの施設があります。

『歴史館』では、映像を中心に当時の人々がどうやって講を作って、代表者を送り出したかや『おかげ参り』について知ることが出来ます。

『テーマ館』は、伊勢参宮街道の縮寸展示。ここがとっても楽しいんです。こういう施設には珍しく写真撮影OK。とても精巧に町の情景や人々の活き活きした表情が再現されているので、カメラの中で江戸時代が蘇ります。

江戸時代に伊勢までの遠い道のりを旅するには、さまざまな工夫が必要でした。持ち物の軽量・小型化はもちろん、大金を持ち歩くことは危険極まりなかったので、旅行為替というシステムも考えられました。この仲立ちをしたのが『御師(おんし)』と呼ばれる人々。伊勢で宿泊の手配をしたり、観光の手配をしたり、今の旅行代理店の元祖のような人たち。全国に出かけていって『講』のお世話をすることもあったようです。

そんな人々の息遣いが聞こえそうな展示の奥に『古市』の町を再現した場所があります。

『古市』は、内宮と外宮の間にあった一大歓楽街。伊勢音頭や伊勢歌舞伎などの文化の発信地。『伊勢参りの精進落とし』の地として、賑わっていた様子が見て取れます。

内宮と外宮を結ぶ『伊勢参宮街道』に唯一残る当時の面影

内宮と外宮を結ぶ『伊勢参宮街道』に唯一残る当時の面影

写真:SHIZUKO

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江戸時代の人たちのように、古市を通って「外宮」から「内宮」まで『伊勢参宮街道』を歩いてみましょう。外宮を出てバス道をしばらく歩き、道が右にカーブする手前で信号を渡り伊勢参宮街道に入っていきます。

2つの神宮を結ぶ急峻な尾根伝いの山道が伊勢参宮街道。2つ神宮の間の山ということで『間の山(あいのやま)』と呼ばれています。周りはすっかり住宅街になっていて、江戸時代の面影を残すものはほとんど見当たりません。

途中に『備前屋跡』『油屋跡』という、当時の代表的な遊郭の標柱が建っています。『備前屋』は、おかげ座で再現されている大きな遊郭。『油屋』は、歌舞伎の『伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』の舞台です。

急坂を登って、ほぼピークに到着すると、左手に『旅館麻吉(あさきち)』があります。

ここが唯一、当時の面影もそのままに現在も現役で営業されている旅館です。江戸時代は『花月楼麻吉』という多くの芸妓を抱えるお茶屋でした。斜面を利用して建つ木造6階建ての歴史ある建物。急な階段を下りて振り向くと、建物同士を繋ぐ渡り廊下で綺麗な芸妓が手を振っていてもおかしくないなって気になります。

新しいチャレンジをしたいときには『猿田彦神社』へ

新しいチャレンジをしたいときには『猿田彦神社』へ

写真:SHIZUKO

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間の山を下りて、内宮へ行く手前に『猿田彦(さるたひこ)神社』があります。

御祭神の猿田彦大神は、謎の多い神様ですが、ニニギノミコトが天から降りてくる時に道案内をした、光り輝く神様だということから『道開きの神』として、古くから信仰されています。何か新しいことを始める時や、人生の岐路に立った時などに「道開き=導き」してもらえると、人気のあるパワースポットです。

とっても可愛い『はじめの一歩御守』が人気の御守りです。

猿田彦神社の鳥居や手すりは、見過ごしてしまいがちですが、実は八角形をしています。八角形というは、宇宙空間を表すなど、古くからとても重要な意味があったようです。

拝殿の正面には『方位石=古殿地』という八角形の石があります。行くべき方向を示して「道を開く」という猿田彦大神の力を示しているもので、参拝する人たちはしっかり触って、御利益をいただいてらっしゃいました。

文化発信の地には『佐瑠女(さるめ)神社』

文化発信の地には『佐瑠女(さるめ)神社』

写真:SHIZUKO

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猿田彦神社の拝殿の斜め向かいには『佐瑠女(さるめ)神社』があります。小ぶりなお社の中は、やはり八角形が使われています。

こちらは、天照大神が天の岩戸に篭ってしまった時に、その前で神楽を踊り、再び、天の岩戸を開かせることに成功した天宇受売命(あめのうずめのみこと)が御祭神。つまり、芸能・芸事などの神様です。こちらも人気の神社です。

古市で『伊勢歌舞伎』が盛んになり、江戸・京都・大阪の檜舞台への登竜門まで言われていたのは、ここに芸事の神様がいらっしゃるのと無関係ではないかもしれないですね。

江戸時代の人々が憧れ、なんとしても訪れたいと願った伊勢神宮。伊勢参宮街道を歩いてみると、決して簡単に辿り着ける場所ではなかったとわかります。だからこそ、内宮にお参りできたときの喜びはひとしおだったのでしょう。そして、一生に一度の豪遊・古市での精進落とし。夢のような時間があったんだろうなって、江戸時代を少し身近に感じられる体験が出来ますよ。いかがですか?

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/01/19 訪問

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