天神さまにお参りしない京都・北野天満宮界隈の社寺巡り

天神さまにお参りしない京都・北野天満宮界隈の社寺巡り

更新日:2015/01/30 14:52

合格祈願や無病息災を願う人達でごったがえす京都市の北野天満宮の界隈は、意外で面白い神社仏閣が目白押し。
「行きはよいよい、帰りはこわい」天神さまは素通りして、この界隈を歩いてみましょう。

花びらが一片ずつ散る椿で有名な椿寺の地蔵院

花びらが一片ずつ散る椿で有名な椿寺の地蔵院
地図を見る

嵐電北野線終点の北野白梅駅を出たところが西大路一条通り。その東南すぐの角に椿寺はあります。

この寺名の由来は、朝鮮出兵のおりに加藤清正が彼の地の蔚山城(うるさんじょう)から持ち帰り、秀吉に献上した五色八重の散り椿に由来します。秀吉は、北野大茶会の際にこの椿を当寺に寄進したと伝えられています。

寺の歴史は古く、聖武天皇の勅願により神亀3(726)年、行基が建立した伊丹の昆陽寺の地蔵院を当地に移築したことにはじまります。

境内の墓域には蕪村の父がわりで、生涯唯ひとりの師でもあった巴人(夜半亭宋阿)の墓もあり、こじんまりした寺院ながら見どころの多いところです。

写真は地蔵院脇のお堂の十一面観音像。

清明神社と並び、方除けで有名な大将軍八神社

清明神社と並び、方除けで有名な大将軍八神社
地図を見る

地蔵院から紙屋橋をわたり商店街を東へ少し歩くと鳥居がみえてきます。
桓武天皇が平安遷都の際に都城を護る方除けの神として奈良の春日の地より勧請した大将軍のひとつですが、のちに暦の神さまの八将軍と習合して現在の名称となりました。

大将軍とは陰陽道の太白(金星)の精で方位を司る神格です。陰陽道ブームで清明神社とともに注目を浴びてきました。
間口は狭いのですが、意外と奥行のある社域には、にわかパワースポットがそこここに。

また毎月一度縁日が開かれ、アンティーク・グッズが並び、その日に合わせて立命館大学の和太鼓グループのイベントもしばしば催されています。

写真は本殿。方位を司る神様の太白(宵の明星)は、3年毎に移動しますので、12年で1巡するとされ、太白が宿る方位は3年塞がりとなり、その間に引っ越しや旅をすると災いがあるとされました。

本殿手前の星印のある塔がその方位を示しています。仏教では牛頭天王に比定されますので、中世には祗園の八坂神社に所属していたと言われます。

釘抜きは苦抜き。真面目な洒落っ気たっぷりの石像寺

釘抜きは苦抜き。真面目な洒落っ気たっぷりの石像寺
地図を見る

千本今出川交差点から北に約400m北上したところにあるお寺は、細い参道を入ってみると驚きです。堂の壁面一杯に釘とくぎ抜きの絵馬のオンパレードに出くわします。
しかし、ご本尊の地蔵様は弘法大師が唐より持ち帰った石に諸苦、諸悪、諸病をはらう祈りを込めて自ら彫りあげたと伝えられている霊験あらたかなもの。そこから苦を抜く地蔵さまという専売特許の由来もしのばれます。

この寺の見どころは、以上のほか地蔵堂裏にある、台座から仏像、そして光背までをひとつの石から彫り出した元仁2(1225)年の銘のある阿彌陀三尊石仏でしょう。

この寺の筋向かいには、あっけらかんとした印象の千本閻魔堂と呼ばれ親しまれている引接寺(いんじょうじ)があります。
小野篁(たかむら)が冥途の旅で閻魔大王から精霊迎えの法を授かり、この地に閻魔堂を建てたことにはじまるといわれ、本堂には丈六の閻魔大王がデンと居座っています。
また紫式部の供養塔も境内にあります。

近世文人画の大成者・池大雅の墓のある浄光寺

近世文人画の大成者・池大雅の墓のある浄光寺
地図を見る

くぎ抜き地蔵の北、寺之内通りを東に入ったところには浄土寺院があり、ここの墓所の奥には、蕪村と並び近世文人画の大成者・池大雅の墓がありますので、墓マイラーの気分になって、ここものぞいてみましょう。
池大雅(1723〜76)は、深泥池(みどろがいけ)のほとりで拾われた子であることから池姓を名乗ったと言われ、青年期に扇絵や篆刻の仕事をしながら生計を立て、同じく絵の心得のあった祇園の茶屋の娘・玉蘭と結婚し、南宋画を大成した大変な努力家の京都人です。

墓碑には「故東山画隠大雅池君墓」と彫られています。

まとめとして

この北野天満宮界隈は、面白い寺社が密集しており、半日あれば抱腹絶倒しながら寺社巡りができます。
ここでガイドした寺社のほか、面白いところでは、秀吉が北野大茶会の途次立ち寄り休憩したものの、寺主が粗相があってはいけないと茶を所望する秀吉が幾度たのんでも白湯しか出さなかったので「湯たくさん茶くれん寺」との異称を賜ったとする浄土院。
雀の巴紋の瓦が印象的な上善寺。
また、12月7〜8日の「大根焚き」、2月2〜3日の「おかめ節分」はじめ「千本釈迦堂」の名で知られる庶民寺の大報恩寺があります。
ここの本堂(釈迦堂)は入母屋造の檜皮葺(国宝)で瓦葺の寺院と異なり威圧感のない親しみのもてるものです。

こうした思いがけない発見に満ちた町中寺院探訪の旅も時おり紹介します。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/01/11 訪問

- PR -

条件を指定して検索

- PR -

この記事に関するお問い合わせ

- 広告 -