写真:村井 マヤ
地図を見る湯田温泉街の県道204号線沿いに、堂々とした佇まいを見せるのが、300年以上の歴史を持つ、老舗の松田屋ホテル!広い敷地と品格を感じさせる外壁。う〜ん、高級感がありますよね。
松田屋ホテルは、江戸時代に創業されました。創業当時、宿には枯山水の素朴なお庭があったと言われています。現在は回遊式池泉庭園になっています。このお庭もすごいんですよ♪
松田屋ホテルは、ただ歴史ある宿というだけではなく、明治維新の志士たちに愛され、彼らが宿泊し入浴もし、数々の歴史の足跡を残した場所でもあります。そういう視点で、今回はこの松田屋ホテルをご紹介します。
ホテルの宿泊情報などについては、下記MEMO公式HPをご覧ください。
写真:村井 マヤ
地図を見る松田屋ホテルラウンジの資料館と維新資料室は、宿泊客、湯田温泉に観光に来られた方々の見学が可能です。ガラスケースの向こう側には、びっくりするような貴重な歴史史料があり思わず、釘づけ!
資料館にある面白いものとしては、「憂国の楓」という高杉晋作ゆかりの歴史的遺物。高杉晋作は、日夜松田屋に討幕攘夷の密議画策のために出入りして、文久3(1863)年、当時は松田屋の玄関横にあった楓の大樹に文字を刻んだらしい・・。これは、はっきりとした証拠があるわけではなく、あの人気テレビ番組『なんでも鑑定団』でも、鑑定不可能だったとか。詳しいことはホテルの方に伺って下さいね。
この大樹の幹には「盡国家之秋在焉(国家ニ盡スノトキナリ)」と刻まれています。
この幹は、偶然発見されたものなんだそうですよ。
このホテルでは、思わぬ宝物が最近も発見されたとか・・。これは歴史好きにはウズウズしますよね♡
写真:村井 マヤ
地図を見る松田屋ホテル内に残る「維新の湯」の浴槽は、徳川幕府末期の万延1(1860)年に造られたもの。幕末期、長州、薩摩、土佐の高杉晋作・木戸孝允・西郷隆盛・大久保利通・坂本龍馬・伊藤博文、大村益次郎らや七卿落ちの公卿三条公なども松田屋で密会し、討幕・王政復古の密議をしたと言われています。
その際、写真の「維新の湯」に入浴したそうですよ・・。お風呂は現役で、家族風呂として利用できます(基本、宿泊者のみ利用可。詳細は下記MEMO参照)。
龍馬も、西郷隆盛も、高杉晋作らも入浴したのかしらと思うと、感激ですね〜!(^^)!。
写真:村井 マヤ
地図を見る松田屋ホテルの資料館を見学後、庭園に出られるようになっています。現在の庭園は、池泉回遊式庭園で三段の滝や出島、七卿の一人三条実美公手植えの赤松と遺墨碑があります。実はこの赤松は、司馬遼太郎著『街道をゆく長州路』に登場する松なんですよ。
また、このお庭は大正初期、明治の元勲・山縣有朋公の肝いりで山縣公の別荘「無鄰菴」や平安神宮「神苑」の庭造りをした7代目小川治兵衛(通称植治)の指導のもと生まれ変わったと言われています。山縣公も小川治兵衛もよく松田屋に訪れていたそうですので、その際にと考えられています。庭の池には、美しい鯉もいます。鯉の餌やり希望の方は、宿の方にお願いしてみて下さいね。
ゆっくりと美しい庭園を散策し歴史のロマンに身を委ねましょうね☆
写真:村井 マヤ
地図を見る松田屋ホテルの史跡の中でやはり、庭園にある「西郷・木戸・大久保会見所」は、必見ですよ。ここで慶応3(1867)年に、薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀らが薩長同盟の確認と討幕出陣の具体的協議のため山口を訪れ、山口市にある「枕流邸(ちんりゅうてい)」に長期滞在していました。その際、長州藩の木戸孝允や伊藤博文らと湯田温泉の松田屋にも訪れたそうです。
松田屋の庭園には、その際両藩の6名が会見した場所が残されています。歴史的会談ってどんな感じだったんでしょうね・・。松田屋には、そんな語らいを偲ばせる史料が展示されているので、是非時間の許す限りご覧になって下さいね。
宿泊は別のところでなさっても、ホテル内の貴重な史料を見学することは可能です。宿の方にきちんと断りを言われて、マナーを守って見学しましょうね。素晴らしいおもてなしの心で、対応して下さる宿の方のご好意を無にしたくないもの・・。
宿の方の、丁寧で素晴らしいおもてなしには感激されるはずです。従業員の方々も、松田屋ホテルの素晴らしい宝を大切に思われている証なのではないでしょうか。
最初は、資料館の見学だけでも、次には宿泊したいと思わせるそんな素敵な松田屋ホテル!是非、湯田温泉にお越しの際は、お立ち寄り下さいね♡
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(2024/4/20更新)
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