写真:菊池 模糊
地図を見るユダヤ教大祭司の屋敷(現・鶏鳴教会)で有罪とされたイエスは、ローマ帝国の総督ピラトの官邸に連行されます。
<第1留>は、イエスが十字架刑の判決を受けた総督ピラトの官邸跡で、現在はアラブ人の学校になっており、すぐ近くに有罪判決の教会が建てられイエスが祀られています。
<第2留>は、ピラトの官邸前に引き出されたイエスが鞭打たれた場所で、現在は鞭打ちの教会が建っています。ここで、イエスはいばらの冠をかぶせられ、自分を処刑するための十字架を背負わされたのです。
ヴィア・ドロローサ(苦難の道)は写真にあるエッケ・ホモ(「この人を見よ」)のアーチを潜った後、ライオン門通りを西へ下り、賑やかなエル・ワド通りと交わり、そこで南へと左折します。そこに第3留と第4留があります。
<第3留>は、前夜から拷問を受け衰弱していたイエスが、十字架を背負って倒れこんだ場所です。
<第4留>は、母マリアがイエスを見た場所とされています。隣接して苦悩の母マリア教会が建てられており、多くの信者がマリアの悲しみをおもんばかって、ここで祈りを捧げます。
写真:菊池 模糊
地図を見るエル・ワド通りをしばらく南進すると、第5留の角を右折し西へ向きを変え、ヴィア・ドロローサ通りと呼ばれる狭い道に入ります。ヴィア・ドロローサ通りはゴルゴダの丘(聖墳墓教会付近)へ向かうため、長い登り道で、その途中に第6留と第7留があります。
<第5留>は、キレネ人シモンがイエスに代わり十字架を担った場所です。 イエスがこれ以上十字架を担って歩けないので、近くに居合わせたシモンが命令されたようです。第5留の印の横に、くぼみのある古い石が嵌め込まれています。これはイエスが触れたことによってできた石のくぼみだそうです・・・
<第6留>は、ヴェロニカという女性がイエスの顔を布で拭った場所とされています。ヴェロニカがこのとき用いた布にイエスの顔が浮かび上がったことから、「ヴェロニカのベール」または「聖顔布」と言われており、中世初期からキリスト教徒の崇敬を集めるようになりました。
<第7留>は、イエスが二度目に倒れた場所です。ここは、イエスの時代にエルサレム城壁の「裁きの門」があった所で、この門の上で死刑囚に対する罪状が読み上げられました。
写真:菊池 模糊
地図を見るヴィア・ドロローサ通りを南進すると、スーク(市場)に入ります。ここをさらに南進すると第8留があり、再びスークに戻り西へ向かう上り階段の通路の奥に第9留があります。そして西に進むといよいよ聖墳墓教会に達し、その外壁の小聖堂が第10留です。
<第8留>は、イエスは嘆き悲しむ婦人たちに私のために泣くなと話しかけた場所です。ギリシア正教の聖カラランボス教会の壁にあたり、そこに留の印と文字の刻まれた石があります。
<第9留>は、イエスが三度目に倒れた場所で、ゴルゴダの丘の上に位置し当時の処刑場のすぐ側でした。現在は、コプト正教のエルサレム総主教座の置かれた聖アンソニー教会です。
<第10留>は、イエスが十字架につけられるにあたり、まず衣服を剥ぎ取られた場所です。この衣服をローマ兵たちがくじで分け合ったようです。ここは、 聖墳墓教会二階部分外側に突出た小さな聖堂です。
写真:菊池 模糊
地図を見るイエスが処刑されたゴルゴダの丘を覆う形で、聖墳墓教会が建てられています。したがって、第11留以降は、聖墳墓教会の内部にあります。
聖墳墓教会の中に入ると、入口横の二階部分(ゴルゴダの丘の岩上)にある第11〜13留へ向かう人々で混んでいます。ここは、世界約20億人のキリスト教徒の最大の聖地なのですから当然のことでしょう。
<第11留>は、イエスが十字架に処せられた場所とされています。ここに、イエスが岩場に横たえられた十字架の上で広げた両手と足に釘を打たれた姿が描かれています。
<第12留>は、十字架が立てられイエスが息を引き取った場所とのことです。ここには、十字架に処せられたイエス像のある祭壇があります。また、その十字架が立っていたくぼみのある場所に銀製の円形プレートが置かれています。
<第13留>は、第11留と第12留の間にあり、マリア像が飾られ祭壇があります。これは、十字架から降ろされるイエスの遺体を受け止めたと伝承されるマリアの悲しみの像で、1778年にリスボンより寄進されたものです。
写真:菊池 模糊
地図を見る聖墳墓教会二階の第11留−第13留を降りると、イエスの墓所へ行く手前に、「塗油の石」があります。ここは、イエスの遺体が横たえられて埋葬処置を施されたとされる板状の石で、多くの人が触ったり接吻したりして祈っています。(旧第13留)
イエスの墓(第14留)は、聖墳墓教会内部のロトンダ(円形建築物)の中央にあります。アナスタシス(復活聖堂)とも呼ばれます。
この聖墳墓ロトンダの場所は、ゴルゴダの丘の中腹で、4世紀に墓室内が見えるよう平らに整地され、全体上部に聖墳墓教会が建てられ、ロトンダも一階に完成されたそうです。
イエスは復活したとされるので、この墓の中には遺体はありません。聖書の記述によれば、イエスの墓は埋葬三日後に、空っぽになっていたそうです。
ここが、ヴィア・ドロローサの終点で、キリスト教の成立以来、約2000年間の巡礼者の目的地でした。
聖墳墓教会の中には、ヴィア・ドロローサの留だけでなく、キリスト教各宗派の聖堂や礼拝室など、多くの見所があります。時間の許す限り、ゆっくりと見学しましょう。
このヴィア・ドロローサの歩みは、いつ始まったのか定かではありません。巡礼者の熱意によって自然発生したものと思われます。後にローマ教皇からエルサレムの管理を命じられたフランシスコ会が整備したものです。あくまで平和的な巡礼者の自主的行為として伝統的に受け継がれてきています。
今では、世界遺産でもあり、エルサレム観光の中心地として多くの人々で賑わっており、どなたでも体験できる1kmほどの貴重な道行きです。平和と愛の祈りを込めて巡礼すれば、あなたの人生が変わるかも知れません。
あなたもこのヴィア・ドロローサを歩いて、深い感動を味わってみませんか?
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(2024/3/19更新)
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