吉村長慶!?大阪市・大念佛寺に残る奇妙な石造物の謎に迫る

吉村長慶!?大阪市・大念佛寺に残る奇妙な石造物の謎に迫る

更新日:2015/01/05 11:52

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
大阪市平野区の大念佛寺は融通念佛宗の総本山として知られています。しかし、そんな大念佛寺の一角に奇妙な石造物が存在すること、ご存知ですか? 石造物のなかには石棺もあり、その内部にはある人物が鎮座しています。その人物の名は吉村長慶。吉村長慶とはいったい何者なのか? 今回は畿内各地におびただしい数の石造物を残した吉村長慶なる人物の知られざる業績を紹介しながら、大念佛寺に残る石造物の謎に迫ってみましょう。

おびただしい石造物を各地に寄進!奈良出身の実業家・吉村長慶の知られざる業績

おびただしい石造物を各地に寄進!奈良出身の実業家・吉村長慶の知られざる業績

写真:乾口 達司

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吉村長慶(よしむらちょうけい)は奈良出身の実業家。安達正興氏の『宇宙菴吉村長慶』(奈良新聞社刊)によると、文久3年(1863)、奈良町で質屋をいとなむ吉村家に生まれました。家業を継ぐかたわら大阪の北浜や堂島で相場師として活躍し、莫大な財を築きました。その一方、青年時代には立憲改進党の創設にも参画。後年には『世界平和論』を和文・英文両方で刊行したり、世界平和会の設立に尽力したりするなど、社会運動家としても精力的に活躍しました。さらに「宇宙菴」と号して「宇宙教」や「如来道」といった自前の宗教を打ち立て、その布教活動を続けた宗教家でもありました。昭和17年10月27日、永眠。享年78。

長慶ならではの業績としては、私財を投じておびただしい数の石造物を製作し、畿内各地の社寺に奉納したことが挙げられます。そのなかには、写真のような、みずからの姿を写したものも多数見られ、長慶のユニークさを際立たせています。写真は明治時代中期から昭和前期にかけて大流行したトンビ(インバネスコート)を身にまとい、笏を手にして屹立する長慶像。身にまとうものはまちまちですが、顔の造型は各地に残る長慶像と共通しており、このように鬚をたくわえた男性であったことがうかがえます。

大念佛寺になぜ長慶の石造物が?その謎を解き明かしてくれる円柱

大念佛寺になぜ長慶の石造物が?その謎を解き明かしてくれる円柱

写真:乾口 達司

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長慶の指揮のもとに作られた石造物の多くがいまでも各地に残されています。なかでも、圧倒的に多いのは長慶の故郷・奈良県。では、なぜ、大阪市平野区の大念佛寺に長慶ゆかりの石造物が存在するのでしょうか。その答えは長慶像の刻まれている円柱に残されています。円柱には長慶自身が綴った文章が刻まれており、それによると、吉村家が代々融通念佛宗の信徒だったこと、長慶自身が第59世法主管長・山上戒全と親交を結んでいたことから、当寺に長慶ゆかりの石造物が建立されたことがうかがえます。大念佛寺と長慶との関係の深さが読み取れる貴重な刻文です。

こちらも必見!寿墓として建てられた長慶の石棺

こちらも必見!寿墓として建てられた長慶の石棺

写真:乾口 達司

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石造物は先に紹介した円柱のほか、角柱の墓標および石棺の3点からから成ります。なかでも、注目したいのは石棺!四方は1メートル足らずで正面には丸窓が設けられています。その下には「吉村長慶」と大書されており、長慶のお墓であることをうかがわせます。製作時期は、円柱と同様、大正11年。つまり、この石棺、長慶の生前に作られた寿墓(生前墓)なのです。いまでこそ生前墓を作る人が増えましたが、大正年間にこのような寿墓の製作を試みているという点からも長慶のユニークさが感じられませんか?

内部を覗くと、あら、ビックリ!正坐姿の長慶像

内部を覗くと、あら、ビックリ!正坐姿の長慶像

写真:乾口 達司

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丸窓があるということは、石棺の内部を観察することができるということを意味します。しかし、内部には長慶の遺体や遺骨が安置されているのでは……と心配しているあなた、勇気を出して内部を覗いてみましょう。丸窓から内部をのぞくと、ご覧のような正坐姿の長慶像と対面することになります。え?この石棺には長慶は埋葬されていないの?そう驚かれる方も多いでしょう。実は石棺のなかには長慶本人は眠っていません。長慶自身を埋葬したお墓は故郷・奈良の地にあり、大念佛寺の石棺はすでに紹介したような大念佛寺との縁から、当地に建立されたものなのです。

石棺内の長慶像をじっくり拝観しましょう。羽織袴を身にまとった長慶は右手にみずからが信仰した如来道の教典、左手には帝国憲法を記した巻き軸を持って正坐をしています。如来教の教典からは宗教家としての側面が、帝国憲法からは立憲改進党の創設にも関わった社会運動家としての側面がそれぞれ目に浮かんできませんか?

しかし、長慶はなぜ石棺のなかで正坐をしているのでしょうか。安達正興氏は長慶と親交のあった僧侶からその正坐姿が「入定」(断食状態に入った僧侶が地中に埋められた石室内で修行し、やがて即身仏となること)の様子をかたどったものであるという見解を聞き出していますが、そこからは世を憂い、みずからの祈りによって世界をよりよき方向へと導きたいという長慶の深い思想性までが見て取れるはず。長慶の性格を如実に伝えた肖像ですね。

おわりに

大念佛寺に残る謎の石造物の正体がおわかりになったでしょうか。この機会に吉村長慶という人物の正体とそのユニークな業績を知った方も多いはず。大念佛寺を訪れたら、ぜひ、石棺のなかで正坐し続けている長慶像と対面し、長慶の思想の一端に触れてみてください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/12/18 訪問

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