吉備の国・桃太郎伝説の里を巡る1日

吉備の国・桃太郎伝説の里を巡る1日

更新日:2013/03/01 16:36

SHIZUKOのプロフィール写真 SHIZUKO 舞台演出者
吉備の国=現在の岡山県を中心にした地域は、瀬戸内海に面した温暖な気候に加え、台風の被害を受けることがほとんどないために「晴れの国」と呼ばれています。平地に恵まれ、豊富な海の幸と海上交通による豊かな財源に支えられ、古代から栄えていた吉備の国に伝わる『桃太郎伝説』ゆかりの2つのお寺をご紹介します。ゆったりのんびり、歩いてみませんか。

美しく長い廻廊と『鳴釜神事』が有名な『吉備津神社』

美しく長い廻廊と『鳴釜神事』が有名な『吉備津神社』

写真:SHIZUKO

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真っ直ぐに伸びる長い廻廊と『鳴釜神事(なるかましんじ)』が有名な『吉備津(きびつ)神社』。

重要文化財の北随神門(きたずいしんもん・邪悪なものが神域に入るのを阻止する神を祀った門)をくぐり、急な階段を登り、国宝の本殿・拝殿に圧倒されながら参拝を済ませ、右に廻ると、吉備国の平定に活躍した神々が祀られている南随神門(重要文化財)があります。その先に、木造の長い廻廊が伸びています。

写真は、南随神門から廻廊を撮ったものですが、廊下の向こうの端が見えないことからもお判りいただけるように、とても長い廻廊です。その全長は360メートル。一直線に続く、緩やかなアップダウンのある廻廊は、見事な遠近法で絵のような美しさ。サスペンス劇場のワンシーンを飾るにピッタリの光景です。柱の影から刑事さんがふっと現れ、犯人と出会い…、などと妄想がふくらみます。

この廻廊のちょうど真ん中辺りに『鳴釜神事』が執り行われる『御竈殿(お釜殿・おかまでん)』があります。

みんなが知っている昔話の桃太郎。

その桃太郎のモデルとなった『吉備津彦(きびつひこ)』が、鬼のモデル『温羅(うら)』を苦労して退治したのですが、首をはねた後も、温羅のうめき声は収まらず、周囲の村々に響き渡って困っていたそうです。そこで骸骨になった温羅の首を、このお釜殿の下に埋めたところ、吉備津彦の夢枕に温羅が立ち「私の妻の阿曽姫(あぞひめ)にお釜殿の火を炊かせよ。釜は幸福が訪れるなら豊かに鳴り響き、わざわいが訪れるなら荒々しく鳴るだろう」と告げました。

それ以来、その年の吉凶を釜の鳴る音で占うことになったということです。これが現在も行われている『鳴釜神事』の、起こりです。

今でも、ご祭神に祈願したことが叶うかどうかを占う神秘的な神事は行われています。ただし、鳴った音が何を告げているかは、祈願した本人が、自分自身で判断するということです。

日本唯一の『比翼入母屋造』の美しい本殿・拝殿

日本唯一の『比翼入母屋造』の美しい本殿・拝殿

写真:SHIZUKO

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外へ出てみると、国宝の本殿・拝殿の荘厳な美しさと大きさに圧倒されます。

屋根が二つ並んだ珍しい造りは、全国で唯一の様式で、建築学上は『比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)』といい、この吉備津神社だけの造りなので『吉備津造り』ともいうそうです。

空に向かってピンと反り上がる屋根の美しいこと。火事のため消失し、今から600年前に25年の歳月をかけて再建されたという雄大な本殿。当時は朱塗りだったようで、その姿は、今よりもずっと神々しかったことでしょう。

古来より、吉備津神社は『三備一宮(さんびのいちのみや)』と呼ばれ、『備前・備中・備後』の一宮(律令国家において定められた、諸国の最も格式の高い神社)として人々の信仰を集めています。

ご祭神は『大吉備津彦大神(おおきびつひこのおおかみ)』。桃太郎のモデルで、鬼を退治して平和を取り戻した人物。日本各地に桃太郎伝説がありますが、吉備津神社には、鬼を退治するときに、矢を置いたという『矢置(やおき)岩』が神社の入り口にあったり、吉備津神社が建っている『吉備の中山』の北西の鬼城山(きじょうざん)には『鬼の城』もありますから、信憑性が高いのかもしれません。

『吉備の中山』を巡って、リフレッシュ

『吉備の中山』を巡って、リフレッシュ

写真:SHIZUKO

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吉備津神社は『吉備の中山』の西の麓にあります。吉備の中山は、山そのものがご神体。古代、大和の国に対抗するほど力のあった吉備の国は、大化の改新で備前・備中・備後に分割されました。その時に、中山を2つに分ける形で国境が設けられ、吉備津神社がある側が備中となりました。一方、東側が備前となり、麓には『吉備津彦(きびつひこ)神社』があり、備前国一宮として崇められています。

吉備の中山には、巨大な天津磐座(あまついわくら・神を祭る石)や磐境(いわさか・神域を示す列石)があり、大切に守られてきた山です。とはいうものの、10数年ほど前は、山は草が生い茂り、歩ける状態ではなかったそうです。そんな荒れていた山は、地元の方々の力で手入れされ、散策道が整備されました。おかげで、多くの人が山を越えて、2つの神社に行くことが出来るようになりました。もちろん山を登らなくても、中山沿いに道が整備されていますから、平地を歩いてお参りすることもできます。

やや急なところもある山ですが、ゆっくり登れば大丈夫。神域に近づくと、風の音ひとつにも意味があるように感じます。自然の中に身をおくと、それだけでリフレッシュできます。思いっきり深呼吸して、神聖な空気を身体に取り込みましょう。

朝日の宮『吉備津彦神社』

朝日の宮『吉備津彦神社』

写真:SHIZUKO

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『吉備津彦(きびつひこ)神社』は、夏至の日に鳥居の真正面から太陽が昇り、神殿の鏡に日の光が入ることから、別名『朝日の宮』と呼ばれるパワフルな神社です。

吉備津彦神社は、本殿、渡殿(渡り廊下)、祭文殿(ご祈祷などするところ)、拝殿が一直線に並んでいます。一番奥の本殿は、ご神体である中山にそって立てられていて、山からの力をとても強く感じる場所でした。これほど山に密着している本殿は珍しいのではないかと思います。

もちろん、こちらのご祭神も『大吉備津彦大神』。

境内には『矢喰(やぐい)神社』(吉備津彦が射た矢が温羅の投げた石とぶつかって落ちた場所)や『鯉喰(こいくい)神社』(鯉に化けた温羅を鵜になった吉備津彦がつかまえた場所)の末社(神社にある小さなお社)もあり、吉備津彦の温羅退治伝説との関係の深さがわかります。

堂々と立つ、ご神木『平安杉』

堂々と立つ、ご神木『平安杉』

写真:SHIZUKO

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鳥居をくぐってすぐのところには『平安杉』というご神木が悠々と立っています。

樹齢千年以上の古木で、幹の半分は昭和初期の火災で枯れたようになっています。でも、10年ほど前に大手術を受けて、今もしっかりと参拝客を見守っています。力のあるご神木からもパワーをしっかりいただきましょう。

吉備津神社と吉備津彦神社。名前も似ているし、ご祭神も同じ。でも、別々の由緒ある神社です。両方を訪ねて、パワーをいただき、のどかな吉備路を歩きながら、桃太郎と鬼の物語を感じる旅に出かけませんか。

掲載内容は執筆時点のものです。 2012/02/26 訪問

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