わずか16年で廃線!「三蟠鉄道」の遺構を探る岡山の旅

わずか16年で廃線!「三蟠鉄道」の遺構を探る岡山の旅

更新日:2023/05/20 16:11

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
岡山市の中心部を南北に流れる旭川。その下流域の大半は、現在、住宅地と田畑によって埋め尽くされています。輸送手段はもっぱらバスや自動車ですが、そんな旭川下流域にかつて小さな軽便鉄道が走っていたこと、ご存知ですか?「三蟠鉄道」です。しかも、三蟠鉄道が旭川に沿うように走っていた期間はわずか16年!今回は、幻の軽便鉄道とも呼ばれる三蟠鉄道の痕跡を探る旅に出かけてみましょう。

現存する貴重な駅舎!旧三蟠駅の遺構

現存する貴重な駅舎!旧三蟠駅の遺構

写真:乾口 達司

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「三蟠鉄道(さんばんてつどう)」は、江戸時代から近代まで岡山の外港として繁栄した三蟠港(現在の岡山市中区江並)と国清寺(同市中区門田屋敷)および桜橋(同市中区桜橋)とのあいだを結んでいた軽便鉄道。

三蟠〜桜橋間の敷設にはじまる鉄道の開業は1915年8月11日。1923年2月5日には湊〜
国清寺間が開通し、全線が開通しました。しかし、輸送手段の変化などにともない、業績が悪化。1931年6月28日をもって廃線となりました。その営業期間は16年足らず!三蟠鉄道が幻の軽便鉄道と呼ばれる所以です。

写真は旧三蟠港に残る建物。かつて三蟠駅の駅舎として使われていたものです。

現存する貴重な駅舎!旧三蟠駅の遺構

写真:乾口 達司

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現在、釣具店として営業している旧三蟠駅駅舎は三蟠鉄道資料館となっており、当時の資料などが展示されています。

たとえば、こちらは三蟠鉄道を走っていた機関車の写真。もちろん、現存していません

現存する貴重な駅舎!旧三蟠駅の遺構

写真:乾口 達司

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当時、駅舎で使われていたストーブなどもあります。当時の様子を知るのに貴重な鉄道遺産です。

出発進行!旧三蟠駅の復元起点

出発進行!旧三蟠駅の復元起点

写真:乾口 達司

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旧三蟠駅駅舎の裏手には、ご覧のように、三蟠鉄道の起点が復元保存されています。

復元されたのは1994年。起点であることを示す距離票の「0キロポスト」のほか、線路の一部まで残されているので、ここから列車が出発していた様子が容易に目に浮かんできますね。

出発進行!そんな声が聞こえてきませんか?

出発進行!旧三蟠駅の復元起点

写真:乾口 達司

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「汽車に注意」の立て看板が、在りし日の三蟠鉄道の様子を再現してくれていますね。

<旧三蟠駅の基本情報>
住所:岡山県岡山市中区江並464-6
アクセス:岡電バス「ヤンマーアグリ前」より徒歩約10分

田畑のなかにわずかに残る線路跡

田畑のなかにわずかに残る線路跡

写真:乾口 達司

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三蟠鉄道の路線距離はわずか7.25キロメートルでした。そのあいだには、南から「三蟠」「浜中」「宮道」「下平井」「上平井」「湊」「桜橋」「網浜」「国清寺」と計9つの駅が点在していました。しかし、廃線後、かつての沿線付近では宅地化が進み、いまでは鉄道が走っていた痕跡を見つけることが難しくなっているのが現状です。

こちらは萩原酒店の東側の住宅地を撮影した一枚。三蟠駅を出た列車はこのあたりを北へと向かって走っていたといわれています。

<萩原酒店の基本情報>
住所:岡山県岡山市中区江並210-3
アクセス:岡電バス「三蟠郵便局前」より徒歩約5分

田畑のなかにわずかに残る線路跡

写真:乾口 達司

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いまだ宅地化されていない区画では、当時の痕跡をかろうじて見出すことができます。たとえば、この一枚。操南保育園の南に広がる田畑を撮影したものですが、このあたりの区画は部分的に細長い地割となっており、かつての鉄道の道床と推定されます。

<操南保育園の基本情報>
住所:岡山県岡山市中区江崎577-1
アクセス:岡電バス「博愛会病院前」より徒歩約5分

田畑のなかにわずかに残る線路跡

写真:乾口 達司

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駅の痕跡を見つけることも困難です。しかし、近年は駅のあったところにご覧のような駅標が建てられています。これだけでも嬉しい配慮ですね。

<浜中駅跡の基本情報>
住所:岡山県岡山市中区江崎
アクセス:岡電バス「三蟠農協前」より徒歩約5分

鉄橋の橋台跡

鉄橋の橋台跡

写真:乾口 達司

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岡山県道45号岡山玉野線(通称「産業道路」)の沿線に広がる平井地区では、ぜひご覧いただきたい遺構があります。それが、こちら。メガネの三城とその関連施設であるワールドオプティカルカレッジに隣接するこの遺構は、橋の両端を支える橋台(アバット)の跡。

汽車はこの上を走って用水路をまたいでいたのです。

鉄橋の橋台跡

写真:乾口 達司

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よく見ると、橋台には、当時のボルトも残されています。このボルトによって線路を固定していたのでしょう。

事実を知らないとつい見落としてしまいがちな遺構ですが、それだけに貴重なものであるといえるでしょう。

<橋台跡の基本情報>
住所:岡山県岡山市平井6-6-11
アクセス:岡電バス「木材市場入口」より徒歩約3分

復元遺構と旧国清寺駅付近の様子

復元遺構と旧国清寺駅付近の様子

写真:乾口 達司

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倉安川の交差点付近には、かつての道床が見られます。こちらの道床は以前より三蟠鉄道の遺構として知られていたものですが、近年、三蟠鉄道の再評価にともなって整備され、復元したレールやトロッコも置かれるようになりました。

復元遺構と旧国清寺駅付近の様子

写真:乾口 達司

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現在は生い茂っていた草も刈りとられ、訪問しやすい形に整備されていますが、当時のものと推定される石組みも見られます。

<復元遺構の基本情報>
住所:岡山県岡山市平井6-3
アクセス:岡電バス「新道元町」より徒歩約3分

復元遺構と旧国清寺駅付近の様子

写真:乾口 達司

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北側の終着駅は、国清寺駅。現在の旭東小学校東側付近に駅がありました。道路を挟んだ左手が旭東小学校ですが、ご覧のように宅地化が進み、往時をしのぶものは何もありません。

しかし、付近にはかつて駅の敷地を買い取り、現在もそこで暮らしている方がいらっしゃるといったように、三蟠鉄道の記憶はいまなお地域の人々によってしっかり受け継がれています。

<旧国清寺駅の基本情報>
住所:岡山県岡山市中区門田屋敷本町1-17
アクセス:岡電バス「国清寺前」より徒歩約3分

三蟠鉄道の遺構をめぐろう!

往時をしのぶ痕跡がほとんど残されていないゆえにかえって貴重な旧三蟠鉄道探索の旅。現在では地元の有志によって結成された三蟠鉄道研究会が精力的に活動し、新たな遺構がいくつも発見されています。活動の深まりとともにさらに新たな発見が期待される三蟠鉄道の痕跡を探るため、ご自身の足で当地をめぐり、旭川沿いの田畑のなかを軽便鉄道が走っていた往時に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

2023年5月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2023/05/06 訪問

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