紀元前17世紀から13世紀にかけて、日本では、ちょうど縄文時代にあたる時期に栄えたヒッタイト帝国は、優れた製鉄技術を持ち鉄製の武器や軍馬にひかせる軽戦車で数々の戦争に勝利しました。
このヒッタイトの首都・ハットゥシャ(現在のボアズカレ)の城砦跡からは、3万枚以上の粘土板が発掘されており、紀元前1286年に始まり、エジプトのラムセス2世とヒッタイトのムワタリ王の間で戦われた「カデシュの戦い」と17年後に結ばれた世界最古の和平条約「カデシュ条約」についての公式記録が楔形文字で書かれています。
発掘され解読された粘土板の一部は、チョルム博物館に収蔵されています。遺跡群の散策の後にぜひ立ち寄って、古代オリエント史をおさらいしてみましょう!
ヒッタイト帝国の最盛期には、76ヘクタールの広さを有していたハットゥシャの城砦都市には、6kmの長さを有する城壁がありました。
城壁には、城砦都市の各地区に出入りするための門が設けられていていました。その中でも保存状態の良い門には、ライオンをかたどった像のある「ライオン門」、武器を持った神様のレリーフのある「王の門」などが残っており、城砦の外に通じる地下トンネルは、現在でも通り抜けることができます。このトンネルは、当時、敵に奇襲攻撃をかけるために作られたものでした。
長さ71m、高さ3mの薄暗いトンネルを歩いていると、3千年以上昔にタイムトリップして、敵の攻撃から逃げるかのようについ足早になってしまうことでしょう。
ハットゥシャ城砦都市の王宮跡のあるボアズカレから北東に39kmのところにアラジャ・ホユックがあります。アラジャ・ホユックには、両側がスフィンクスの像で飾られた幅約10mのスフインクス門があります。
この門を中にはいると祭壇があり、祈りを捧げる王と王妃のレリーフ、そして宗教的オブジェクトが見られ、その先のブロックには、ヤギや羊など神に捧げるために犠牲にされる動物や儀式の様子が見られます。
宗教儀式と芸術の中心地であったアラジャ・ホユックには、整備された王の墓地跡があり、墓の中からは、金、銀、銅、青銅で作られた埋葬品と共に多数の動物の骨が出土しており、その頃の高貴な人々が生贄にされた動物と一緒に埋葬されていたことが分かります。
墓地跡は、出土品と人骨、動物の骨などを守るため、現在ガラスのケースで覆われており、中を見ることができるようになっています。墓地のガラスケースからは、牛の頭骨と人骨が一緒に埋葬されていた様子が良く観察できます。
ヒッタイト・ロードには、17のコースがあり全コースを回るのは、時間も体力も要しますが、ここでご紹介したハットゥシャ、アラジャ・ホユック周辺をたどるコースなら、徒歩とサイクリングを自由に組み合わせるなどして2〜3日で回ることも可能です。
ここでは紹介できませんでしたが、ハットゥシャから約2kmのところにあるヤズルカヤ野外神殿跡もぜひ訪ねてほしい観光ポイントのひとつです。
この野外神殿は、春の季節に行なわれていた新年のお祝いの際に使われていたことが分かっています。ヤズルカヤには、ヒッタイトの人々が信仰していた神々の姿が岩の上にレリーフとして残っています。
古代史ファンのみならず、トレッキング、サイクリングファンの心をもつかむヒッタイト・ロード、皆さんもぜひ挑戦してみませんか。
ヒッタイト・ロードのあるチョルム県までは、首都アンカラから高速バスで3〜4時間、ヒッタイト・ロードの出発点ハットゥシャ、ヤズルカヤまでは、チョルム中心街からいくつかのバス路線があります。日本からトルコへ国際線の飛行機で入国する時の玄関口であるイスタンブールから首都アンカラまでは、国内線の飛行機で約1時間です。
ハットゥシャ(ボアズカレ)とアラジャ・ホユックは、国立公園に指定されています。ここを訪れる人々は、今から約3500年以上も前のアナトリアの大地に栄えた古代オリエントの3大強国のひとつであるヒッタイト帝国の足跡をたどりながら悠久の昔に思いをはせることでしょう。皆さんも「ヒッタイト・ロード」で、古代オリエントを体験してみませんか。
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