筥崎宮はまっすぐ勝ちを取りに行く、博多のパワースポット!

筥崎宮はまっすぐ勝ちを取りに行く、博多のパワースポット!

更新日:2014/11/28 17:36

筥崎宮は大分の宇佐神宮と京都の石清水八幡宮と並ぶ、日本三大八幡宮の一つです。博多湾に建つ、勝利に関わるパワースポットです。

地元の人には「はこざきさん」の愛称で、博多祇園山笠の舁き手達による「お潮井とり」や、「放生会(ほうじょうや)」のお祭りで親しまれています。福岡ソフトバンクホークスをはじめ、トヨタ自動車九州陸上競技部、アビスパ福岡など、地元のプロスポーツチームが毎年必勝祈願をする神社です。

海辺の浄化パワースポット、筥崎宮。

海辺の浄化パワースポット、筥崎宮。
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筥崎宮(はこざきぐう)は、博多湾沿いの福岡市東区箱崎にあります。大分の宇佐神宮と京都の石清水八幡宮と並び、日本三大八幡宮のひとつとして、筥崎八幡宮とも呼ばれます。

御祭神は応神天皇(おうじんてんのう)と、その母、神功皇后(じんぐうこうごう)、そして玉依姫命(たまよりひめのみこと)です。古代より式内社(名神大社)として、また筑前国一宮、旧官幣大社、また現在も神社本庁の別表神社として、福岡県内でも類いまれな格の高さを誇ります。

地元では古くから筥崎宮前の浜の真砂(まさご)をお潮井(おしおい)と呼び、これを「てぼ」と呼ばれる小型の竹かごに納め、自宅に持ち帰って厄を払い、幸運を招く風習があります。博多祇園山笠の始まりに、舁き手達がこの「お潮井浜」で身を清め、神事に臨む姿は博多の風物詩です。

筥崎宮の由来は、平安時代中期(921)に醍醐天皇が神勅によって「敵国降伏」の宸筆(しんぴつ)を賜わされ、筑前大分(だいぶ)宮より遷座されたのが始まりとされます。

この御宸筆にちなみ、鎌倉時代中期の元寇の際に亀山上皇が「我が身を以て国難にかわらん」と祈願され、神門に「敵国降伏」の御宸翰が奉納されました。その結果、博多湾に「神風」が吹き、敵兵に大打撃を与えたとされることから、以来、筥崎宮は厄除・勝運・海上交通の神様として、人々の信仰を集めています。

現在の扁額は、文禄年間の楼門造営の際に、筑前領主の小早川隆景によって新たに謹写拡大されたものです。また現在、楼門の右手では、博多仏師出身で高村光雲に弟子入りした彫刻家の山崎朝雲により、明治37年(1904)に完成した約6メートルの「亀山上皇尊像」(福岡県指定文化財)が奉安されているのを見ることができます。
こちらの像は、福岡市東公園の銅像「亀山上皇立像」の原型となったものです。

筥崎宮のパワースポットNo.1 天皇をお迎えするための「儀式殿」

筥崎宮のパワースポットNo.1 天皇をお迎えするための「儀式殿」
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福岡市都市高速が通っている博多湾側から見ると、清めの真砂(まさご)が採られる箱崎浜から、大鳥居を抜け、二之鳥居、一之鳥居(国指定重要文化財)をくぐり、正面にそびえる楼門(国指定重要文化財)と、その後ろに控える拝殿(国指定重要文化財)と本殿(国指定重要文化財)まで、一本の参道が海からまっすぐに貫いている様子がよく分かります。その境内の参道脇にあるのが、この「儀式殿」です。

筥崎宮は家と関わりの深い神社であるだけに、ここは元々天皇が御親拝される際の御休憩施設として建てられました。現在はもっぱら婚礼時の儀式や、お茶会の席として利用されていますが、御紋の幕を拝した格式ある建物です。

筥崎宮のパワースポットNo.2「さざれ石」

筥崎宮のパワースポットNo.2「さざれ石」
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筥崎宮の境内をゆっくり散歩してみると、境内のあちらこちらで面白いものを沢山発見します。そのひとつがこの「さざれ石」です。国歌「君が代」にうたわれている、実在する石です。

碑文では「岐阜県と滋賀県の境にある伊吹山の麓に産し学名を石灰質礫岩と云い永年の間に石灰質が雨水で溶けて生じた粘着力の強い乳状液が小石を凝結して次第に巨岩となり苔むす」と説明されています。

筥崎宮のパワースポットNo.3「湧出石」

筥崎宮のパワースポットNo.3「湧出石」
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筥崎宮公認のパワースポットとして境内でも紹介されているのが、この「湧出石」です。箱崎浜の真砂が敷かれる境内の地面からちょこんと顔をのぞかせる、なんとも不思議な石で、古くは天変地異を占ったのだとか。

この石を撫でると「運が湧く」という開運招福の招石で、国に一大事がある時には地上に姿を現すという言い伝えがあります。

筥崎宮のパワースポットNo.4 御神木「筥松」

筥崎宮のパワースポットNo.4 御神木「筥松」
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パワースポットとして信仰厚い筥崎宮の御神木「筥松」は、楼門すぐ右手にある、朱の玉垣に護られた松です。

筥崎宮を含む八幡神社の御祭神の応神天皇は、日本史の中で実在が確かめられる最初の天皇です。神功皇后はその母で、夫の仲哀天皇が九州征伐に向かう際同行し、仲哀天皇が現在の福岡市東区にある香椎宮で崩御したため、応神天皇を妊娠したまま、御神託に従い三韓征伐を執り行ったと伝えられます。

凱旋後は現在の福岡県宇美町の宇美八幡宮で応神天皇を産み、志免町でおしめを替えたと言われています。そして、後産の胞衣(えな)を筥に納め、印として植えられたのがこの「筥松」です。「筥崎」の名はこれに由来し、「筥」の字では畏れ多いと「箱」の字を当てたのが、地名「箱崎」の由来となっています。

日本最古の実在の天皇と、子を宿したまま凱旋した、母と子の勝利を祀る八幡宮の物語。日本全国に諸説はありますが、大陸に開ける博多湾沿いならではのミステリアスな伝説を訪ねて、あなたも不思議発見!しませんか?

日常を真砂で清め、自分をただして「今」に集中!

筥崎宮は浄化とエネルギー強化のパワースポットとして、地元の人に慕われています。一年を通して氏子が参加する神事も多く、1月3日の「玉せせり」と呼ばれる玉取祭では、触れると幸運を授かる木玉をめぐり、寒中の海で競り子達が締め込み姿で激しく玉を取り合う姿が風物詩となっています。また9月には博多三大祭りに数えられる「放生会(ほうじょうや)」が行われます。全ての生命に感謝し、その霊を慰めるため、箱崎浜からのびる約1kmの参道に数百軒の露店を構え、大勢の人が繰り出す九州随一の華やかな秋祭りです。

また四季を彩る「あじさい苑」や、ぼたんの見事さで有名な「神苑花庭園」の花々が、筥崎宮でのひとときを一層思い出深いものにしてくれます。真砂を入れて持ち帰る「てぼ」だけでなく、ガラス製のビードロ「博多ちゃんぽん」や、「博多おはじき」など、筥崎宮ならではの縁起物を、常に目に入るよう家に飾り、今やるべき事に集中すれば、成果もおのずとついてくるものです。

この記事の関連MEMO

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/11/20 訪問

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