写真:すがた もえ子
地図を見る天正17年(1589年)、須賀川城は独眼流で知られる伊達正宗の叔母・大乗院が治めていました。しかし東北統一を目指す伊達正宗に屈しなかった須賀川城は、合戦の末攻め滅ぼされ、多くの命が失われました。
松明あかしはこの合戦の犠牲者を弔うために地元の人々の手で始められ、新しい城主の目をはばかるために「ムジナ狩り」と称して続けられたと伝えられています。
松明あかし当日は須賀川市の五老山(現在の翠ケ丘公園)に、約30本もの松明が立てられます。
松明といってもその大きさは高さ6〜8m、直径が1mほどとかなり巨大。中でも大松明と呼ばれる物は、高さ10m、直径2mとさらに大きく、重さも3トンとさらに大きな物です。
写真:すがた もえ子
地図を見る五老山へ運び込まれる大松明の行列が松明あかしの見所のひとつです。
大松明のほかに本松明や、女性のみで担ぐ姫松明なども人力で運ばれます。
御神輿のように担ぎ棒でかつぎ上げられて運ばれる姿は迫力満点。
中には地元の中学生が製作し、担ぎ運ぶ松明もあり、辺りは熱気に包まれます。
また運ぶだけではなく、大松明などの一部の松明は驚くことに重機ではなく人力によって建てら設置されます。
人力の為設置完了までは1時間ほどの時間がかかりますが、大松明が立った瞬間には観客から拍手が巻き起こります。
当日は明るい時間から五老山にはクレーンなどの重機で松明が設置が開始。
大松明に炎が点火されるのは18:30頃ですが、すでに14:00ころから写真撮影のための場所取りがスタートしますので、三脚などを利用して写真を撮影されたい方はお早めの場所取りをおすすめします。
写真:すがた もえ子
地図を見る五老山から徒歩で15分ほどの場所に位置する二階堂神社では、松明に点火するための御神火を奉授する神事がとりおこなわれます。
祝詞があげられ、御神火を受ける頃には辺りはとっぷりと闇に包まれ、赤々と燃え上がる炎が人々を照らし出します。
二階堂神社から五老山へは、御神火を灯した松明を持ち、白い装束に身を包んだ若者たちによって駆け足で運ばれます。
写真:すがた もえ子
地図を見る御神火とは別に、地元の人々を中心に「小松明(こたいまつ)」と呼ばれる炎を下げた人々が、闇の中行列を作り五老山を目指します。
竹竿の先から針金で下げられた布玉を灯油に浸して火を着けるのですが、かなり熱いので注意が必要です。
炎を持つ位置を入れ替える場面もあるので、前や後ろを歩く人との距離間などにもご注意を。
地元の方は小学生のお子さんも慣れた手つきで自在に火の玉を操り、五老山へと運んでいました。
行列の最後は五老山に立てられた、松明の根本近くまで近づくことができます。
写真:すがた もえ子
地図を見る驚くべきはこの「松明あかし」、点火まで人力と言うことです。
10m近い松明に梯子で登り、手に持った炎で点火。
松明あかしの松明はカヤで作られていますが、燃えやすくするために着火部分には灯油に浸した布が積められているんです。
すべての松明へ一斉に点火するわけではなく、祈りをこめて1本づつ着火されていきます。燃え上がった炎を背に、松明へ登り火を放つ姿は圧巻ながら少し心配にもなってしまいます。
400年以上昔にあった合戦の弔いという意味だけではなく、2011年の東日本大震災以降は震災の犠牲者への鎮魂と慰霊という意味も込められており、また同時に復興への願いも込められているのです。
複数の松明が炎に包まれて燃え上がる姿は忘れられない見所。深い闇夜に舞い上がる火の粉、離れていても炎の熱さが感じられ、まさに空を焦がすという表現がぴったりです。
松明は炎に包まれながら燃え落ち、時によっては燃えながら崩壊することもあるとか。
10m近くあった松明はどれも根本まで燃えつき、松明あかしは幕を閉じます。
赤々と夜空を焦がした松明あかしが終わると、須賀川市には本格的な冬が訪れます。
最近では一般の方でも事前申し込みをすれば松明の担ぎ手や小松明行列などに参加することができるようになりました。
普段はなかなか体験することのできない炎の祭典、ぜひ一度足を運び熱気を体験されてはいかがでしょうか。
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2024/3/29更新)
- 広告 -