秀吉も立ち寄った広島県三原・御調八幡宮〜紅葉と桜の古刹へ

秀吉も立ち寄った広島県三原・御調八幡宮〜紅葉と桜の古刹へ

更新日:2018/10/26 14:41

村井 マヤのプロフィール写真 村井 マヤ 中国・九州文化的街並探検家
広島県三原市は、小早川隆景の開いた城下町三原として有名ですが、古代より栄えた場所でもありました。その証拠に古代の遺跡等も多く発掘されています。小早川隆景の時代よりさらに昔、天平時代に古代史を揺るがした「道鏡事件」という政変があったのをご存知ですか?道鏡の神託で有名な和気清麻呂の姉広虫(ひろむし)が一時失脚して配流されていたのが、現在の御調八幡宮があった場所。春には桜、秋には紅葉が楽しめますよ。

やはた川自然公園の中心にある御調八幡宮

やはた川自然公園の中心にある御調八幡宮

写真:村井 マヤ

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備後の国総鎮護でもある御調八幡宮(みつきはちまんぐう)は、三原市の竜王山を水源とする八幡川(やはたがわ)が流れる仏通寺・御調八幡宮県立自然公園に属しています。ここは、平成8年に県の砂防モデル事業として整備され、「やはた川自然公園」へと生まれ変わりました。

この自然公園は、大きく分けて3つのゾーンに分けられており、それぞれ「鎮守の森ゾーン」「自然ふれあいゾーン」「自然満喫ゾーン」と呼ばれています。御調八幡宮は、この中の「鎮守の森ゾーン」に位置しています。自然豊かで、春には桜の名所として賑わいをみせている場所・・。秋には、美しい紅葉が見事です。
実は、先に挙げた仏通寺も紅葉の名所なんですよ。御調八幡宮から仏通寺までは、中国遊歩道で歩いて行くことも可能。豊かな自然を満喫しながら、春の桜や秋の紅葉を楽しむハイキングに出かけてみるのも楽しいでしょうね・・。

和気清麻呂の姉・広虫ゆかりの歴史ある場所

和気清麻呂の姉・広虫ゆかりの歴史ある場所

写真:村井 マヤ

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和気清麻呂という歴史上の人物の名前を覚えていらっしゃいますか?日本史、特に古代史がお好きだった方は、なんとなく覚えておられるのでは?

古代史を揺るがした「道鏡神託事件」(769年:神護景雲3年)の、託宣を受けに行ったのが和気清麻呂(733-799)です。では、広虫はどういう人かと申しますと、道鏡を深く寵愛したと言われる孝謙・称徳天皇(孝謙天皇が重祚して再び即位)の女官でした。
広虫は孝謙女帝が退位したとき、尼法均となり上皇となった女帝を支えます。その後、再び称徳天皇となった女帝は、769年に八幡大神が夢で「申しあげたいことがあるので尼法均(広虫)をよこしてほしい」と言われたと、和気清麻呂に言います。お告げでは、広虫をよこせと言うことだったのですが、女性の足では無理と判断し、和気清麻呂に神教を聞くように命じたというのです(諸説あります)。
清麻呂が託宣を受けに行ったのは、現在の大分県にある宇佐八幡宮でした。その神託においてドラマが生まれました。ここでは詳しく述べませんが、結局この神託事件によって、和気広虫・清麻呂姉弟は失脚します。

広虫は備後国へ、清麻呂は大隅国へと配流されました。もともと和気姉弟は、吉備国の豪族の出身でした。岡山県には清麻呂や吉備真備にゆかりの史跡も残っています。広虫たちが、平城京に戻るのは、称徳天皇崩御(770年8月)の一月後でした。

この御調八幡宮は、広虫が流謫の身で日々斎戒沐浴、円鏡をご神体として宇佐八幡大神より勧請して清麻呂の冤罪が晴れることを祈願したのが創始と言われています。広虫が住んでいたと思われる場所は、境内の収蔵庫近く、「頼山陽の碑」の周辺だったようです。彼女は、不安定であった都の政変によって孤児になった子供を集めていわゆる孤児院などを設立したりしました。都に戻ってからも、桓武天皇の女官として活躍します。広虫は、799年1月に70歳でその波乱に満ちた生涯を終えました。古代史の政変に巻き込まれ、重要な役割を果たした彼女の人生も興味深いですよね・・。

楼門の脇には、秀吉手植えの桜も・・

楼門の脇には、秀吉手植えの桜も・・

写真:村井 マヤ

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宝亀8(877)年、参議藤原百川が社殿を造営し封戸を割いて社領に当てたといわれ、藤原百川像と伝わる木像もあるそうです。また保元3(1158)年の官宣旨により石清水八幡宮の別宮となり、八幡庄の鎮守神として、また備後総鎮護の神社として崇信され、往時は随分栄えた神社だったようです。

古くから「西の吉野」と言われ、桜の名所としても知られている境内には、戦国武将ゆかりの桜もあったのです。
豊臣秀吉が、朝鮮出兵に際し三原城に滞在したことがありました。その際参拝して、手植えをしたと伝えられる桜の切株(第2次世界大戦時に枯死)がそれです。

現在楼門横の説明の立札(写真左側に見える白い立札が説明書き)があるあたりに、株を残すのみです。

いにしえの息吹を現代まで伝える社殿

いにしえの息吹を現代まで伝える社殿

写真:村井 マヤ

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現在の社殿は、ことごとく江戸時代浅野家による再建ですが、古くは元暦元(1184)年、源頼朝に再建されその後、小早川家の祖と言われる土肥重平によって文治年間(1185-89)に重修されたりしました。また、観応年間(1350-51)には足利尊氏による社殿造営と伝わっています。幾時代にも渡って、時の権力者の庇護を受けてきた由緒正しい神社なんですね。

また、宝物は国の重要文化財である木像狛犬一対、同じく国重文の木像女神坐像、金剛寿命陀羅尼教板木などの多数の文化財も所蔵しています。残念ながら、文化財は一般には公開されていませんが、平成25年には三原市主催の文化財展が行われ、貴重な文化財が公開されました。

神社の方のお話ですと、ある程度の人数(10名くらい)と事前連絡があれば宮司様のご案内で収蔵庫内を見せていただけるそうです。もちろん、神社側の祭祀の際や宮司様不在の際には、見学は難しいとのこと。
文化財好きな方は、是非グループを組まれ、日程など事前にきちんと打ち合わせをして行かれてはどうでしょうか。素晴らしい文化財を見るチャンスです!

【御調八幡宮:社務所】
〒722-1513
広島県三原市八幡町宮内13番地
電話(0848)65-8652・FAX(0848)65-8660

紅葉のレースが境内を美しく彩る・・

紅葉のレースが境内を美しく彩る・・

写真:村井 マヤ

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枝垂桜の季節には、花見客でにぎわう境内には、紅葉の樹も多く、まるでレース模様のごとく、空を透かして見せてくれます。美しい紅葉のレースの下で、お弁当を広げながら、紅葉狩りや花見を楽しむのも素敵ですよね・・。近所の方が時々、敷物を広げてお弁当を食べたりされるようです。

境内の大杉や、桜や紅葉など自然を満喫できる自然満喫ゾーンなど、森林浴にももってこいの素晴らしい場所です。日常から離れて、ゆっくり深呼吸しながらリラックスしに行かれてはいかがでしょうか。

歴史や自然探訪にもってこいの旅

御調八幡宮から中国遊歩道を利用すると、紅葉の名所である「佛通寺」へ約10kmです。もちろん車で行かれても良いですが、3月末ころから4月の中旬頃まで楽しめる桜の季節には、ハイキング気分で出かけてもよろしいでしょう。
また、少し足を延ばして「久井の岩海」もおススメです。久井の岩海につきましては、下記MEMO「日本の地質百選選出!三原「久井の岩海」と圓鍔彫刻の世界へ」も参考にして下さいね。

今回は、歴史と自然を満喫できる旅のご案内でした!御調八幡宮までのドライブはどことなく懐かしい風景が広がっており、癒される旅になること間違いなしですよ♪

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/11/12 訪問

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