今でこそ、史蹟として管理されていますが、昔、まだ木々に囲まれ土に埋もれていた頃は近所の子どもたちの格好の遊び場だったとか。
身近なところに史蹟があるのはやはり歴史ある奈良ならではというところでしょうか。
一辺32m、高さ10m。7段の階段状石積からなり、その奇数段の四面に浮彫(一部線彫り)の石仏を配置。塔内部にはひとまわり小さい頭塔があることも判明しました。
史蹟内には解説板が設置されており、頭塔の発掘から整備に至るまでの経過が写真付きでわかりやすく説明されています。その中の発掘調査前の写真を見てみると、よくもまあここを発掘しようと考えたものだなと感心するくらい、まさにそこらの小さな裏山です(笑)
石仏については発掘前から近くの人々はその存在に気付いていたようです。・・・が、民家が密集する住宅地のど真ん中!まさかこんなにたくさん、しかもピラミッドもどきまで出現するとは予想もしていなかったことでしょう。
石仏の上にのっている屋根瓦は、石仏を直射日光や風雨から保護するために置かれていたもの。
発掘された屋根瓦がどのような使われ方をしていたかについては諸説あり、資料が少ないために現在復元された形となっている屋根瓦の葺き方が正しいのかどうか、定かにはなっていません。いろいろなパターンを考えながら、創建当時の姿を自由に思い描いてみてください。
ちなみに大阪、堺にも同年代に創建されたピラミッド形の土塔が存在。土を盛り上げた一辺53.1m、高さ8.6m以上の十三重の塔で、各層には瓦が葺かれていたことがわかっています。さて、奈良の頭塔との関連性はどうなんでしょうね。
奈良時代の僧、吉備真備と共に遣唐使にもなった玄ム(げんぼう)は、聖武天皇の母の病を治したことがきっかけとなり、朝廷内に於ける確固たる地位を築いたものの、その後失脚。九州の太宰府に左遷されたが、そこでかつて玄ムと対立して処刑された藤原広嗣の怨霊の祟りで死亡。玄ムの首だけが奈良まで飛んできて空からドスンと落ちてきて葬られたのがここ、頭塔だというのです。
もちろん実際のところはそれは伝承にすぎません。
それでも昔から頭塔の森として知られていたのは明らか。今でも南側については頭塔の森として親しまれてきた、昔ながらの姿を残したままとなっています。
頭塔を一周すると、調査発掘前と後の違いを目の当たりにすることができて面白いですよ。
写真は昔ながらの頭塔の森でみつけた石仏。茂みの中に無造作に横たわっています。
見学ご希望の方は前日までに現地管理人(仲村表具店 0742−26−3171)に連絡してください。
ただし、春と秋の特別公開中は予約なしで見学できます。特別公開中はボランティアガイドの方による説明もあります。
特に秋の特別公開は正倉院展開催中の時期と重なっており、正倉院展とセットで楽しめるのでおススメです♪
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