新潟県内の海沿いを走る約337キロは「日本海夕日ライン」と呼ばれ、夕暮れのドライブにぴったりです。なかでも、新潟県の景勝百選にみごと一位に輝いた、出雲崎からの夕日は絶景です。景勝地に選ばれた「良寛と夕日の丘公園」は高台になっており、佐渡ヶ島を望めます。
運がよければ、グリーンフラッシュという現象を見られるかもしれません。太陽が水平線に沈む直前、緑色の光が一瞬またたきます。グリーンフラッシュはめったに見られないので、出会えれば幸せになると言われています。雲がなく、湿度が低く、大気が澄んでいるときに現れやすいようです。
家と家が重なりあうようにズラリと軒を連ねる街並みのなかを歩いていると、まるで時代をタイムスリップしたような感覚になります。
江戸時代、佐渡ヶ島からの金銀の荷揚げ港であった出雲崎では、幕府の直轄地として、人々の往来が絶えないにぎやかな町でした。約2万人が住み、越後一の人口密度となりました。
当時、間口の広さに税金をかけられていたことから、屋根の棟と直角な面である「妻」の部分を玄関にして、奥行きの長い「妻入り」住宅が立ち並びました。全国でも、約4キロにおよぶ「妻入りの街並み」が残るのはここだけです。
妻入りの住宅を見学するなら、「妻入り会館」にお立ち寄りください!無料で、建物や観光名所の説明を聞くことができます。お茶が飲める休憩所もあり、のんびりと過ごせますよ。
江戸時代も末、名主の家に生まれたものの、思うところあって出家の道を選んだ禅僧・良寛さん。その実家屋敷跡には「良寛堂」が建てられ、日本海と佐渡ヶ島を望み、たたずむ良寛さんの姿があります。
良寛さんは、18歳で突如出家し、町内にある光照寺で仏門に入ります。4年間を過ごし、岡山の円通寺で修業ののち、諸国をめぐり、39歳のとき帰郷します。庵を転々としながら、生涯寺を構えることなく、托鉢修行の暮らしを貫きました。
「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と言って、子供たちとよく遊んだことが今に伝えられています。子供ばかりでなく、多くの人に気に入られる性格で、大好きなお酒をもらうなど、人々との交流は絶えなかったようです。
「形見とて 何か残さむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみぢ葉」
ノーベル文学賞作家の川端康成氏が、授賞式のときに紹介した良寛さんの歌です。日本の美しい情景を愛した心が伝わってきます。
独特のゆったりとした書は味があり、やさしい人柄を感じます。「良寛記念館」では、遺墨や遺品、文献を見ることができます。記念館の右手高台には、「良寛と夕日の丘公園」があります。日本海を眺めながら、ゆっくりと時間を過ごしてくださいね。
子供のころに紙ふうせんで遊んだ記憶はあるでしょうか。駄菓子屋などで見かけるカラフルな紙ふうせんは、ここ、出雲崎でそのほとんどが作られています。
1919年に製造を始め、今まで一つ一つ手作りしています。のりをつけて、紙を貼り合わせる人、ふくらまし口の紙を貼る人、ふくらませて、たたむ人、と効率よく丁寧に分業して作っています。
漁業と佐渡ヶ島との交易が主な産業であったこの町では、冬場の漁業に代わる仕事として、紙ふうせん作りが漁師の妻の手仕事になりました。
この紙ふうせん、いくら叩いてついてもつぶれません。膨らませる穴の大きさに工夫があるようです。ぽーんぽーん、とやさしい音をたてながら、紙ふうせんは宙をはねます。遊び終わったら、たたんで簡単にしまうことができ、場所をとりません。日本人の知恵が生きています。久しぶりに、遊んでみませんか。
出雲崎内では、「道の駅天領の里」のほか、商店などで売られています。金魚やふぐなど魚をかたどった飾り用の紙風船も愛嬌があってかわいらしいですよ。道の駅天領の里では、紙ふうせん作りの体験もできます。体験時間は決まっていますので、ご確認ください。
出雲崎は、海鮮がおいしいのはもちろんですが、今回は地元の方がおすすめするB級グルメをご紹介します。
甘辛のタレがしっかりとしみこんでいながら、衣は音がするほどさっくりとして香ばしい、老舗「浜かつ」のカツ丼は絶品です。日替わりでつく、海鮮小鉢も嬉しいです。
大正6年から続いており、伝統的な妻入り住宅も楽しめます。家族で営んでおり、元気なお母さんとお父さん、娘さんとでアットホームな雰囲気で旅の疲れも癒されますよ。
ご紹介した以外にも、出雲崎には魅力がいっぱいあります。
日本で初めて、石油の機械堀りに成功した地であり、記念館や公園があるほか、海産物の浜焼きといった特産品もあります。
ぜひ、実際に行って魅力を味わってください。
電車でのアクセスは、JR越後線の出雲崎駅で降りて、公共バスまたは、タクシーが便利です。上越新幹線でお越しになる場合、長岡駅から出雲崎までバスが出ています。
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