オフ・シーズンにこそ見えてくる長谷寺(奈良県)の魅力

オフ・シーズンにこそ見えてくる長谷寺(奈良県)の魅力

更新日:2014/10/01 12:57

関係寺院全国3千ケ寺、檀信徒数約200万人を擁する長谷寺は、四季を通じて花の御寺としても有名で、シーズンには人波で溢れかえります。
この長谷詣(はせもうで)の熱狂は、平安時代にはじまりました。しかし、この地は古歌に隠口(こもりく)の里、大神神社(おおみやじんじゃ)の奥の院とみなされたように元来は幽谷の地。
そんな長谷寺の魅力を満喫するには、花の端境期、人影のまばらなオフシーズンこそがおすすめです。

門前町の寄り道でいや増しにたかまる長谷寺への期待感

門前町の寄り道でいや増しにたかまる長谷寺への期待感
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近鉄長谷寺駅から長谷寺までの徒歩30分ほどの初瀬川に沿う門前町のそこここには、ふもとより大物主を祭神とする金毘羅宮、縁起式内社で大山祇神(おおやまつみのかみ)を主神とする長谷山口坐神社(はせやまぐちにますじんじゃ)、猿田比古命・天宇豆賣命(あめのうずめのみこと)の夫婦神を祀る白髭神社(しらひげじんじゃ)、法起院、与喜天満宮、大銀杏で有名な素戔嗚神社(すさのおじんじゃ)と、長谷寺の縁起にまつわる寺社が鎮まり返っています。
すべて寄り道しても1時間余りですので、名物の草餅をほうばりつつ、ぜひ立ち寄りこの地に流れる固有の時の流れに身を浸し、リフレッシュいたしましょう。

徳道上人が晩年隠棲したと伝えられる法起院

徳道上人が晩年隠棲したと伝えられる法起院
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ゆるい勾配を成す門前町の長谷寺正面にほど近い初瀬川にかかる橋のたもとには、長谷寺を開き、西国観音霊場巡りを始めた徳道上人が晩年を過ごした法起院があります。天平7(735)年開基。西国33ケ所番外札所。
境内には葉の裏にとがったもので書くと文字が浮き上がる「はがき」語源となった多羅葉樹(たらようじゅ)の木があり、参詣者の願掛けの文字で満たされています。また、おがたまの木や彫り跡しるき仏足石があります。

そして、鬼瓦に板がかけられているのも面白いところ。居合わせた住職に聞きますと「鬼瓦正面の与喜天満宮を四六時中にらみつけているのは非礼であることから顔を覆っているのです」とのこと。寺社密集地ならではの心遣いですね。

初瀬の地主神・与喜天満宮

初瀬の地主神・与喜天満宮
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法起院を出て、初瀬川を渡ると天然記念物指定の原生林を擁し、古くは大初瀬山と呼ばれていた与喜山(現天神山)のふもとに位置する与喜山天満宮があります。
もちろん天満宮となったのはたたり神・道真の伝説の成立した後世のことで、古代大和の国では、最初に太陽の登る山として崇められてきました。淡路島の伊勢の森〜大鳥神社〜三輪山〜室生寺〜伊勢斎宮を結ぶ「太陽の道」上にあり、三輪山とならぶ神体山として初瀬の地の地主神がまつられていたのです。

法起院の真向いの高台にある白鬚神社の祭神の猿田比古命と天宇豆賣命も伊勢信仰が確立したあとにもたらされたもので、本来は新羅の神を祀る神社でした。
与喜天満宮を長谷寺側へ下ると素戔嗚神社に出ますが、ここには樹齢800年を誇る県下最大級の銀杏の木があります。

他に類をみない巨大な十一面観音像で名高い長谷寺

他に類をみない巨大な十一面観音像で名高い長谷寺
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長谷寺の歴史は複雑で、本長谷寺と後長谷寺と呼ばれた2つの寺があり、それが一緒になったのが現在まで続いてきた長谷寺だといわれています。
本長谷寺(もとはせでら)は、飛鳥川原寺の道明上人が朱鳥元(686)年、天武天皇のために現在国宝となっている「銅版法華説相図」を初瀬山西の岡に三重塔を建てて安置したことにはじまります。後長谷寺は、徳道上人が現在地に十一面観音を造立し、天平5(733)年、行基によって開眼供養が行われ、それが開基だとされています。

今回の旅の最終目的地の長谷寺本堂の十一面観音立像は、高さ10.18mもあり、木造では日本一といわれ、平らな盤石座に立ち尽くしています。この十一面観音が他の多くのそれと異なるのは、右手に錫杖をもち観音・地蔵合体のお姿をしていることで、一般には、長谷寺式十一面観音と呼ばれています。

長谷寺は創建以来9回の大火に見舞われ伽藍を焼失していますが、そのたびに奇跡的に再興されました。現在の観音像は天文7(1538)年造立のもので、東大寺仏生院・実清良学の作と伝えられ、両脇には難陀龍王と雨宝童子が仕えています。
また、本像を安置している本堂は1650年に再建されたものですが、平成16年10月に国宝指定を受けています。

写真は白鬚神社から仰いだ十一面観音の鎮座まします長谷寺本堂

カフカの『城』めく螺旋を描く旅のクライマックス 長谷寺本堂

カフカの『城』めく螺旋を描く旅のクライマックス 長谷寺本堂
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西国33ケ所第8番札所の長谷寺の旅は、駅を出て初瀬川をまず渡り、しずかな門前町を巡り、心を徐々に山上の寺院へとそそいでいくことからはじめましょう。
白鬚神社で山中の本堂に照準を合わせ、初瀬川を再び渡り天満宮、素戔嗚神社をめぐり、上手の連歌橋を渡り返して、長谷寺の仁王門に至ります。
ここからは大晦日には万燈会の灯火で照らし出される108段の登廊(のぼりろう)を直登する形で三社権現、鐘楼、本堂の広場に出て、遂に堂奥の十一面観音と相まみえることできわまります。

本堂の隣には本長谷寺の精舎跡に御堂が建てられており、道明上人像と「銅板法華説相図」(レプリカ)などが安置されています。
その御堂の隣には、昭和29年戦後日本に初めて建てられた「昭和の名塔」の誉れ高い五重の塔がそびえています。

仏像に接することで得られるナチュラル・ハイな気分は、仏像そのものの発するオーラと相まって、環境と心のセッティングこそがなによりも大切です。
そのためには、単独、または少数の思いを同じくする人たちと和気藹々と、しかしまなざしは心の内側にそそぎつづける必要があるのです。
オフシーズンに聖地を訪れるのにはこんな意味があります。

寺社の方々から顔をのぞかせているとりどりのきのこや日常生活の中では見落としがちなものが目にとまりはじめたら、すでに心が白紙に近い状態になりつつある目安となります。

最後に

聖地とされてきた場所には特別な時間が流れています。
人の心を浄化する装置はさまざまありますが、聖地を巡るいかなる行為にも、祈りと順礼という実践的な心身の活動が組み込まれています。
それぞれの聖地に流れる固有な時間にシンクロさせていく習性を磨くことで、その折々のささやかな旅がかけがえのない記憶として心身に刻みこまれていきます。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/09/14 訪問

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