大陸からの副葬品が続々!奈良県橿原市「新沢千塚古墳群」

大陸からの副葬品が続々!奈良県橿原市「新沢千塚古墳群」

更新日:2023/01/19 14:49

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
奈良県内の古墳群といえば、山の辺の道に沿って展開する桜井市の大和古墳群や奈良市の佐紀古墳群などを思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、それだけが奈良県を代表する古墳群ではありません。橿原市にも実は日本有数の大古墳群が存在しています。その名も「新沢千塚古墳群」。今回は新沢千塚古墳群のなかの古墳をいくつか紹介しながら、大陸とのつながりをはじめ、新沢千塚古墳群ならでは特色とその魅力をお伝えしましょう。

全国有数の群集墳!橿原市の新沢千塚古墳群

全国有数の群集墳!橿原市の新沢千塚古墳群

写真:乾口 達司

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国の史跡に指定されている「新沢千塚古墳群(にいざわせんづかこふんぐん)」は橿原市を代表する神社・橿原神宮の北西に位置しています。その総数は約600基で、日本有数の群集墳です。築造がはじまったのは、4世紀の終わり頃。6世紀の終わり頃まで、約200年にわたり、延々と築かれました。

現在、県道の戸毛久米線を主軸とする南北の一帯は「新沢千塚古墳群公園」の名称で公園化されています。

全国有数の群集墳!橿原市の新沢千塚古墳群

写真:乾口 達司

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ご覧のように、園内には散策路を設けられています。散策路に面してこんもりとした小さな土饅頭のようなものがいくつも見えますよね。この一つひとつが独立した古墳なのです。

大陸とのつながりを連想させる古墳の数々

大陸とのつながりを連想させる古墳の数々

写真:乾口 達司

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新沢千塚古墳群を代表する古墳といえば、126号墳をあげなければなりません。126号墳は東西約22メール、南北約16メートル、高さ約1.5メートルの規模を持つ長方形墳。5世紀後半頃に築かれたと考えられています。内部には長さ約3.1メートルの割竹形木棺が置かれており、女性が埋葬されていました。

驚くべきは、その副葬品の種類。遺体のそばに置かれたガラス製の碗や皿ははるか遠く古代ペルシャからもたらされたと考えられており、ほかにも金製冠飾りや垂下式耳飾り、指輪、腕輪、玉類などの装身具のほか、青銅製の熨斗(のし)や漆盤などが見つかっています。これらもまた中国大陸からもたらされたものであり、126号墳をはじめ、新沢千塚古墳群に眠る人々は大陸と深いつながりを持つ渡来人ではなかったかと考えられています。

現在、126号墳から出土した副葬品は国の重要文化財に指定されています。

大陸とのつながりを連想させる古墳の数々

写真:乾口 達司

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しかし、貴重な副葬品は126号墳だけから出土しているわけではありません。写真は126号墳の向かいに築かれた115号墳。直径約18メートル、高さ約3メートルの円墳で、墳頂部には円筒埴輪がめぐっていました。

組合式木棺の周辺からは甲冑一式や盾、鉄刀、棺内からは五鈴鏡や二神三獣鏡といった鏡がそれぞれ出土していますが、特筆すべきは、1000点近くにおよぶガラス玉も出土していること。ガラス玉は、発見時、あたりに散乱している状態であったことから、被葬者を埋葬するとき、首飾りとして使われていたガラス玉をあえてバラバラにして、被葬者のまわりに散乱させたと考えられています。

ガラス玉をあえて散乱させたことには、いったいどのような意味があったのでしょうか。謎はつきませんね。

大陸とのつながりを連想させる古墳の数々

写真:乾口 達司

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こちらは丘陵上の東端に築かれている139号墳。東西約23メートル、南北約20メートル、高さ約2メートルの方墳で、5世紀前半から中頃に築かれたと考えられます。

墳頂部には家形埴輪や円筒埴輪が立てられており、そのほぼ真下に埋葬施設がありました。木棺は漆塗りの盾のようなもので覆われており、遺体の頭部付近には櫛、その左右には鉄刀、足側には鉄製の甲冑一式がそれぞれ置かれていました。その他にも斧、鎌、刀子などの農工具約40点や鉄鏃も納められていました。

副葬品が武具や農工具とは、いったいどのような被葬者が眠っていたのでしょうか。

前方後方墳の81号墳や横穴式石室のある221号墳

前方後方墳の81号墳や横穴式石室のある221号墳

写真:乾口 達司

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群集墳というと、小型の円墳や方墳を連想してしまいがちですが、新沢千塚古墳群には前方後方墳のような珍しい形の古墳も見られます。

そのなかでも最大の規模を誇るのが、写真の81号墳。全長約40メートルで、鉄刀や鉄鏃、須恵器などが出土しています。築造時期は6世紀中頃と推定されています。

二つの方墳がくっついたような形、写真からおわかりになりますか?

前方後方墳の81号墳や横穴式石室のある221号墳

写真:乾口 達司

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221号墳は直径約13メートル、高さ約3.3メートルの円墳で、5世紀後半頃に築かれています。221号墳で珍しいのは、埋葬施設が横穴式石室であること。近畿地方における初期の横穴式石室の作例としても貴重な古墳です。

ご覧のように、横穴式石室の様子が観察できるように、発掘された当時のままの状態で保存されています。

被葬者は何を思う?新沢千塚古墳群からの眺め

被葬者は何を思う?新沢千塚古墳群からの眺め

写真:乾口 達司

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新沢千塚古墳群は周辺の平地よりも一段高い丘の上に築かれており、墳丘からは遠くの山々まで見渡せます。

遠くに見えているのは、大和三山の一つである畝傍山。その立地条件のよさからも、新沢千塚古墳群に眠る人々の格式の高さがうかがえます。

被葬者は何を思う?新沢千塚古墳群からの眺め

写真:乾口 達司

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北方には、生駒山地や矢田丘陵。手前には民家ものぞめます。群集墳と民家という組み合わせ、何ともシュールな光景ですね。

新沢千塚古墳について学べる「歴史に憩う橿原市博物館」

新沢千塚古墳について学べる「歴史に憩う橿原市博物館」

写真:乾口 達司

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新沢千塚古墳群に隣接する「歴史に憩う橿原市博物館」では、新沢千塚古墳群についてさらに詳しく学ぶことができます。

先ほどご紹介した126号墳からの出土品のレプリカなども展示されており、新沢千塚古墳群の見学の際、あわせて訪れることをお勧めします。

新沢千塚古墳群がいかに大規模で、大陸とのつながりを感じさせる高い文化的価値を有した古墳群であるか、おわかりいただけたでしょうか。新沢千塚古墳群で古代のロマンにひたってみてください。

<歴史に憩う橿原市博物館の基本情報>
住所:奈良県橿原市川西町858-1
電話番号:0744-27-9681
入館料:有料
休館日:月曜日および年末年始
アクセス:橿原神宮西口駅より徒歩約20分

新沢千塚古墳群の基本情報

住所:奈良県橿原市川西町
入園料:なし
アクセス:橿原神宮西口駅より徒歩約20分

2023年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2022/12/25 訪問

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