町の南にある「鎮守山」へは、国道41号線沿いにある「ドライブイン飛山」から徒歩でおよそ5分、JR飛騨金山駅からは徒歩でおよそ10分の場所にあります。飛騨街道に面した石段から5分ほど登っていくと、頂上の観音堂に到着します。そして、観音堂の奥には「両面宿儺(りょうめんすくな)」の碑が建っています。
「日本書紀」の中で仁徳天皇の時代(西暦400年頃)の時代に登場する「両面宿儺」は、顔を2つ持ち、4本の手で弓を素早く使い分け、4本の足で駆け抜けたという異形の人物で、飛騨の豪族と言われています。天皇に従わないため、朝廷から討伐にきた「武振熊(たけふるくま)」に討たれた凶賊とされる一方で、飛騨金山の鎮守山に飛来し、この地区に住む人々が平和で安全な暮らしが出来るよう国家安全、五穀豊穣を祈願し37日間お経を唱えたとも伝えられています。
鎮守山の北、歩いて2〜3分のところにある金山郵便局の周辺は、昭和の雰囲気を色濃く残す町並みが広がります。
黒豆大福やおまんじゅう、天婦羅店などもあり、散策だけでなく、食べ歩きも楽しいエリアです。
鎮守山から飛騨街道を町の中心地の方向、北に向かって歩いていくと、右側の少し奥まったところに、昔ながらの銭湯の建物があります。うっかりすると見過ごしてしまうほどの路地裏に、ひっそりと佇んでいます。
昭和と共に営業は終了しましたが、現在でも男湯の内部を見学することが可能です。木で出来た番台や、個々に扉の付いた木の棚のある脱衣所、タイル張りの浴槽などは、まるで映画のセットのようです。
金山町を注意深く歩くと、いたるところに「筋骨」が見つかります。人もすれ違えないほどの狭い小路は「通って良いのか?」と不安に思うほどです。昔から、人々の生活に密着してきた「筋骨」は、今でも通りと通りをつなぐ、重要な役目を果たしています。
「筋骨」は公道になるので誰でも通ることが出来ますが、狭い「筋骨」を通る際には、声を掛け合いながら、譲り合って通りましょう!
更に飛騨街道を北へ歩くと、城造り建築の「清水楼」があります。宿場町「金山宿」の時代から料理屋として使われており、現在の建物は明治8年(1875年)に改築されたものです。当時では珍しい3階建ての木造建築で、間近で見るとその大きさに圧倒されます。
現在は住居として使われているので、内部の見学は出来ませんが、街に馴染み、どっしりと構えた外観だけでも、一見の価値があります。
また、この清水楼の隣にある「筋骨」は、地元の人々が共有して使っている湧き水が出る泉につながっています。仕切りで4つに泉が分けられ、水源に近い湧き水は、飲み水として使われています。飲んでみるとほんのりと甘く、軟らかい味がします。
金山は決して大きな町ではありませんが、町中に張り巡らされた「筋骨」をゆっくり見て回ると、1時間半ほど歩きます。
地図を片手に「筋骨」を探しながら歩くのも良いのですが、あまりの狭さに通るのがためらわれる「筋骨」も少なくありません。そこでおススメなのが「筋骨」を知り尽くした地元ガイドさんと巡る散策です。入りにくい「筋骨」もガイドさんと一緒なら安心して歩く事が出来ます。また、「筋骨」を走り回って育ってきたガイドさんならではの話も聞くことが出来ます。予約先や詳細は、MEMOの金山観光協会のHPをご参照ください。
車では通ることの出来ない「筋骨」散策。南飛騨の歴史に触れながら、ご自身の足で歩いてみては如何でしょうか。
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