罪と罰の歴史−拷問具・処刑具を展示『明治大学博物館 刑事部門』

罪と罰の歴史−拷問具・処刑具を展示『明治大学博物館 刑事部門』

更新日:2014/09/11 15:48

村松 佐保のプロフィール写真 村松 佐保 嬬恋村案内人
日本で唯一の刑事関係展示がある東京の明治大学博物館は、御茶ノ水駅から徒歩5分ほどの駿河台キャンパス内にあり、どなたでもご入館いただくことができます。刑事参考資料の収集展示を目的に1929年に誕生した刑事博物館と考古学博物館(1952年創立)、商品陳列館(1951年創立)を前身とする3つの博物館が、2004年の新校舎オープンとともに統合されました。押しも押されもしないユニークな博物館をご紹介します。

他の追従を許さない豊富な展示資料が魅力!

他の追従を許さない豊富な展示資料が魅力!

写真:村松 佐保

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常設展示室の刑事部門は、近代的な建物アカデミーコモン地下2階フロアの中心にあります。建学の理念「権利自由」に基づき、「日本の罪と罰」「江戸の捕者」「牢問と裁き」「仕置きと見懲らし」「さまざまな刑事博物」の、5つのコーナーにそれぞれ刑事関係資料が展示されています。

時代劇でもおなじみの十手(じって)などの捕者道具や拷問具などは勿論の事、その他にも罪と罰を定めた刑事法「御成敗式目」「今川仮名目録」「公事方御定書」などの参考資料や錦絵といった多種多様な展示物が時代の証人として、訪れる人たちに色々な事を教えてくれます。

写真は、「日本の罪と罰」コーナーの高札場です。高札とは、施政方針や違反者への厳罰、また密告すれば賞金を与えるなどといった、幕府や領主が決めた法令や禁令を墨で書いた板札のことです。高札を掲げたところを高札場といい、人目につきやすい町の辻や橋詰、関所や渡し場などに掲示されていました。

博物館詳細は、下記[MEMO] 明治大学 明治大学博物館 刑事部門 をご覧ください。

江戸の警察組織と捕者道具

江戸の警察組織と捕者道具

写真:村松 佐保

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江戸の警察組織は、武士の武力独占を背景とした軍事警察が特徴です。町奉行が治安の責任者となり、配下の同心が町を巡回していました。同心の下の目明し(岡っ引き)は、捜査の手助けをしていましたが非合法の存在でした。

「江戸の捕者」コーナーには、罪人を傷つけずに逮捕する道具として、「突棒(つくぼう)」「刺又(さすまた)」「袖搦(そでがらみ)」の捕者三道具が展示されています。関所や番所、役人宅や刑場に備えることによって、人々への威圧効果にもなっていました。また犯罪を捜査する役人が携帯していた「十手」は、護身具であるとともに警察権を行使できる者の身分を表す大事な道具でした。

写真は、左から木製十手、鉄製目明し十手、捕物出役長十手、鉄製銀流し十手、真鍮銀流し十手です。十手の長さはふつう1尺5寸(約45センチ)ほどですが、長さや形、材質など様々なものがありました。

江戸時代の牢問と裁き

江戸時代の牢問と裁き

写真:村松 佐保

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犯罪の容疑者や被告人から自白を得るために肉体的苦痛を与える「笞打(むちうち)」「石抱(いしだき)」「海老責(えびぜめ)」の3種を牢問とよび、「釣責(つるしぜめ)」を拷問と呼んでいました。これらの拷問具が実物大で再現され展示されています。

江戸時代の裁判は、初め先例により行われましたが、8代将軍吉宗の時代には「公事方御定書(くじかたおさだめがき)」という、裁判や刑の基準を定めた司法内規集が制定され、幕末まで刑事裁判で長く用いられました。また捜査機関は、重大事件の場合は寺社奉行・町奉行・勘定奉行の三奉行が評定所で裁判し、軽い事件は奉行が裁判しました。当時の判例集「御仕置例類集」も展示されています。

写真は、「牢問と裁き」コーナーにある、別名算盤攻ともいわれる石抱です。笞打で自白が得られない時、算盤板に正座させ、両膝にせめ石を置かれました。

10両盗むと首がとぶ! 仕置と見懲らし

10両盗むと首がとぶ! 仕置と見懲らし

写真:村松 佐保

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江戸時代の刑罰は、見せしめと懲らしめの厳罰主義で、10両盗むと首がとぶと言われていました。刑罰体系はとても複雑で、刑種は軽い罪から、罪人を呼び出して叱るだけの叱(しかり)、一定期間外出禁止の押込(おしこめ)、鞭で叩くたたき、前科者のしるしとして入墨、一定地域内での居住を禁じる追放、遠島(島流し)、死刑となっていました。

幕府法で最も重い罪が主人殺害、それに続く重罪は親殺しでした。死刑も罪状に応じて、死罪(斬首)とその付加刑としての獄門(刑場での首の晒し)、火罪、磔(はりつけ)などと区別されていました。重罪犯に対しては鋸挽(のこぎりびき)という戦国時代の残酷な刑を模した晒し刑も付加されました。

ところで、10両盗むと首がとぶと言われていましたが、当時の1両は一体どれくらいの価値だったのでしょうか?
それはとても難しい問題で簡単には答えが出ないようです。世の中の仕組みや人々の暮しが現在とは全く異なることと、三貨制度(金貨、銀貨、銅貨)が関わってくるからです。そこで目安として、当時のモノの値段と比較をしてみるという方法があります。例えば江戸時代に1両で買えたもの、団子でしたら1625本(1本4文、4ツ刺し)、卵は約930個(1個7文)など…

ご興味がある方は、下記[MEMO] 日本銀行金融研究所貨幣博物館 お金の豆知識 で試してみてください。

我が国唯一の展示資料 ギロチン、ニュルンベルクの鉄の処女

我が国唯一の展示資料 ギロチン、ニュルンベルクの鉄の処女

写真:村松 佐保

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「さまざまな刑事博物」コーナーでは、明治時代以降の日本の刑具だけでなく、ヨーロッパや中国の拷問具・刑具再現模型なども展示されています。

ローマ法や古代中国の律令には罪人を拷問する規定がありました。その目的には4つあり、異端審問といわれる宗教上の新派への弾圧、懲罰、弱者への支配、快楽追求を目的とする非道な拷問などがあり繰り返されていました。農民や奴隷、また女性や戦争捕虜などの社会的弱者が被害者でした。

写真左は、フランスの医師ギョタンが死刑囚を即死させる人道的な処刑具として提案した「ギロチン」です。右は、ニュルンベルクの「鉄の処女」。内側が空洞になった鉄製の巨大な女性像の中には鋭い針が取り付けられています。人を中に立たせて扉を閉めると、針が全身を刺し抜くように考えられた中世ドイツの死刑具と伝えられるものです。(昭和初期の複製を展示)

最後に

明治大学博物館 刑事部門はいかがでしたでしょうか。多くの方々の手により収集され、保管・展示されている博物館の貴重な歴史資料は、前近代の非人道的な拷問や刑罰の様子を知ることによって、人間尊重の必要性を認識するための反省材料とすることが意図されています。博物館に足を運んで、歴史を感じ考える、そんな過ごし方もいいものです。是非訪れてみてください!

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/09/05 訪問

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