熊野古道《伊勢路》〜伊勢神宮から熊野までの170キロ

熊野古道《伊勢路》〜伊勢神宮から熊野までの170キロ

更新日:2013/01/30 20:25

SHIZUKOのプロフィール写真 SHIZUKO 舞台演出者
熊野古道は『熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)』に参るための道。

熊野古道歩きというと『中辺路(なかへち)』がメジャーですが、こちらは貴族の道。一方『伊勢路』は、江戸から来た伊勢参りを終えた旅人や西国三十三カ所めぐりの巡礼たちが巡った庶民の道。険しい峠越えが続く祈りと再生の道です。

心の広い熊野の神様たち

心の広い熊野の神様たち

写真:SHIZUKO

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2004年、世界遺産に登録された、熊野古道を含む『紀伊山地の霊場と参詣道』は、「熊野三山」「吉野・大峰」「高野山」の三つの霊場と、それらを結ぶ「熊野参詣道」「大峰奥駆道」「高野山町石道」からなり、三重県・奈良県・和歌山県を広範囲にまたぐ世界遺産です。

紀伊山地の自然は、神話時代から神々が住む特別な場所として認識され、日本独自の信仰文化を生み出してきました。その形成過程と伝承が、世界的にも類を見ない保護すべき文化遺産だと考えられています。

仏教伝来以前より、八百万の神を崇めてきた日本人。

山そのものがご神体であったり、滝や岩がご神体であったりと、人々は、自然に対して深く敬いの心をもって暮らしてきました。その神々が仏教と結びつき、神道とも渾然一体となり、宗教宗派を問わず、求めるものには手を差し伸べ救うという、とても心の広い信仰様式が完成したのです。

熊野詣がかつて爆発的に人気を博した理由は、ここにあります。

途切れ途切れに繋がる世界遺産の道

途切れ途切れに繋がる世界遺産の道

写真:SHIZUKO

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『伊勢路』は、江戸時代になって、伊勢参りが庶民に広がり始めた頃から、熊野へ繋がる道として整備されました。参勤交代のための馬や大きな荷物を通すためにも、しっかりとした石畳みの道が必要でした。

戦国時代には、全国的に城が作られ、城に付き物の石垣を作るため、良質な石が取れた熊野地方の石工たちが全国で活躍しました。しかし、江戸時代になって、社会が落ち着いてくると、石工たちも仕事か減り、故郷に戻ります。そして、高度な石積み技術で熊野参詣道を作り上げたのです。

そんな高度な技術に支えられ、雨の多い紀伊山地の道は、豪雨にも崩れない頼もしい石畳みの道になりました。台風で山が崩れても、石畳みの道が流されたことはないそうです。

近年になって修復されたため世界遺産に登録されていない道と、江戸時代から続く『江戸道』と呼ばれる道、明治期に作られた『明治道』などが繋がりあって、熊野古道・伊勢路は熊野速玉大社に続きます。

伊勢神宮から熊野速玉大社までには、主な峠だけでも20箇所あります。公家文化盛んな頃、京都や大阪から熊野に参る都からのルート『中辺路・大辺路』と違って、道を急ぐ庶民の道『伊勢路』は迂回せずに直線距離を行くため、峠をガンガンと越えていく峠道ともいえます。

伊勢を出発して、巡礼者が最初に越える峠は『女鬼(めき)峠』。その後『三瀬坂(みせさか)峠』『荷坂(にさか)峠』を越え、ずっと山中を歩いてきた旅人が初めて海を目にするのが『ツヅラト峠』です。この峠が、伊勢の国と紀伊の国の国境。いよいよ、熊野の地に入ったと実感する峠です。

西国一の難所『八鬼山(やきやま)』越え

西国一の難所『八鬼山(やきやま)』越え

写真:SHIZUKO

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紀伊の国に入ってからは、熊野灘を見ながら歩ける道や長島市内を抜ける比較的楽なコースが続き、風光明媚な『始神(はじかみ)峠』を越えます。峠からは紀伊の松島と呼ばれる島々を一望できます。

次に越えるのが、熊野古道の石畳みといえば『馬越(まごせ)峠』といわれるくらい美しい石畳みが残る峠道。この峠を越えると、台風情報や大雨情報の時に必ずと言っていいほど名の挙がる尾鷲市に入ります。このあたりが、伊勢路のほぼ中間点。

そして、いよいよ西国一の難所といわれる『八鬼山越え』。標高差630メートル、8.5キロの道のりです。

『九木(くき・九鬼とも書く)峠』を越えて、石畳みの急坂・七曲を登りきると、荒神堂に到着。水分補給して、まだ登ります。

八鬼山は、マグマが固まったまだ若い、丸い岩がゴロゴロとある山。見渡す限り岩だらけです。そんな山道をしばらく登ると『三鬼(みき)峠』に到着。道は、江戸道(左)と明治道(右)に分かれます。熊野古道では、あとで作られた明治道のほうが勾配がゆるく歩きやすいのですが、あえて江戸道にこだわるのもいいかもしれません。

お気付きのように、この辺りの地名『鬼』に関した名前が多いですね。近江の大ムカデ退治で有名な俵籐太こと藤原秀郷が取り逃がした鬼が、この山に逃げ込んだという伝説が残っています。

ここからの下りは、登ってきたよりもきつい下り。苔むした石畳みは非常に滑りやすく、雨の翌日などは細心の注意が必要です。特に下りでは転倒したり、滑った時に手をついて手首を骨折なんてこともありますから、行かれる際には充分な準備して楽しんでください。

浜街道の向こうに憧れの熊野権現を思う

浜街道の向こうに憧れの熊野権現を思う

写真:SHIZUKO

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八鬼山を越えたあとは、『三木峠』『羽後(はご)峠』。この辺りには、猪から畑を守るための猪垣(ししがき)が延々と村を囲っています。村の人たちは、猪垣を万里の長城と言ってるそうです。古くから人々が生活している場所で、鹿や猪、サルや自然環境との厳しい闘いが脈々と続いていることを感じさせられます。

『甫母(ほぼ)峠』に到着すると、やっと熊野市です。

そして、『二木島(にきじま)峠』『逢神(おうかみ)峠』と、比較的歩きやすい峠を越えます。『大吹峠』を越えると、秦の始皇帝時代に不老不死の薬を求めて3000艘の大船団が上陸したという伝説の里・波田須(はだす)へ。

観光名所『鬼が城』のそばから、最後の峠となる『松本峠』を登りきると、眼下には、熊野三山へ続く『浜街道』と呼ばれる、美しい弧を描く熊野灘の『七里御浜』が見渡せます。この風景に、巡礼の旅人たちの感慨もひとしおだったことでしょう。

本宮道と浜街道の分岐『花の窟(はなのいわや)神社』

本宮道と浜街道の分岐『花の窟(はなのいわや)神社』

写真:SHIZUKO

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熊野古道伊勢路は、世界遺産の『花窟(はなのいわや)神社』で、海沿いに熊野速玉大社を目指して南下する浜街道と、山の中に再び入って熊野本宮大社を目指す本宮道に分かれます。

『花窟神社』は、神々の母イザナギノミコトが火神カグツチノミコトを産み、そのせいで焼かれて亡くなった後に葬られたとされる御陵で、日本最古の神社といわれています。

この神社では、年に2回『御縄掛け神事』という神事が開催されます。岩窟の地上45メートルのご神体と境内にある松のご神木の間に、170メートルの大縄を渡す行事。地元の氏子さんたちによって、行われます。

架け替えられたばかりの新しい縄に触れると、願いが叶うといわれていますので、神事の日にお出掛けするのもいいですね。

神社から少し歩くと、世界遺産登録されている『獅子岩』を見ることが出来ます。さあ、あとは浜街道をたどって、いよいよ熊野速玉大社を目指して、進んで行きましょう。

全長170キロに及ぶ伊勢路は、踏破しようとすれば10日は覚悟しなければならない道。とても一気には歩けませんが、見所満載。四季折々、変化に富んだ素晴らしい景色を見せてくれます。1日で歩けるウォーキングコースが多数整備されていますので、気に入った峠を1泊2日の行程で歩くというのも楽しいですね。いにしえの巡礼者の心を受け継ぎ、体験してみる旅に、ぜひ出かけてくださいね。

掲載内容は執筆時点のものです。

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