東京駅周辺を大調査!八重洲の由来「ヤン・ヨーステン」を探せ!!

東京駅周辺を大調査!八重洲の由来「ヤン・ヨーステン」を探せ!!

更新日:2014/09/03 15:39

カノオミツヒサのプロフィール写真 カノオミツヒサ フリーライター
東京駅の八重洲口は、「東京おかしランド」や「グランルーフ」などが登場し、このところ注目を集めているエリアです。
駅の東側一帯の住所は東京都中央区八重洲になりますが、この「八重洲」という地名は、江戸時代に日本へ漂着したオランダ人「ヤン・ヨーステン」に由来するのをご存知ですか?
今回は「ヤン・ヨーステン」をキーワードに、東京駅周辺の関連スポットをご紹介していきます。

八重洲通りの「ヤン・ヨーステン記念碑」

八重洲通りの「ヤン・ヨーステン記念碑」

写真:カノオミツヒサ

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まずは「八重洲」と「ヤン・ヨーステン」についての簡単な説明から。ヤン・ヨーステンは1600年(慶長5年)、帆船リーフデ号で日本に漂着。日本に留まって徳川家康の通訳となり、屋敷を与えられます。彼の「耶楊子(やようす)」という日本名から、屋敷周辺は「八代洲(やよす)河岸」という地名になり、やがて「八重洲」と呼ばれるように。住所として登場するのは1872年(明治5年)のことで、1954年(昭和29年)には東京駅の東側一帯が「中央区八重洲」となりました。

さて、最初の目的地は「ヤン・ヨーステン記念碑」です。場所は東京駅八重洲中央口から歩いて5分。日本橋三丁目交差点の中央分離帯にあります。

写真左手の凛々しい人が、ヤン・ヨーステン。右手の船は彼を乗せてきたリーフデ号です。この記念碑は、1989年に日蘭修好380周年記念として建てられ、日本とオランダの架け橋となった彼の功績を称えています。

八重洲にはこのほかに、もうひとつヤン・ヨーステンの像があります。次はそちらへ行ってみましょう。

八重洲地下街の「ヤン・ヨーステン記念像」

八重洲地下街の「ヤン・ヨーステン記念像」

写真:カノオミツヒサ

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「ヤン・ヨーステン記念碑」から横断歩道を渡ると、八重洲地下街への入り口があります。地下街に入り、5分ほど歩いた外堀地下1番通りに「ヤン・ヨーステン記念像」がたたずんでいます。さきほどの記念碑よりも、顔がハッキリと分かりますね。

隣にはリーフデ号の模型写真や、江戸時代の東京駅付近の地図がパネル展示されています。特にリーフデ号の航路経路は興味深く、オランダを出発し、アフリカ・ガボンのロペス岬を越え、マゼラン海峡を渡り、ハワイを経由して日本へと流れ着きます。400年前の船旅は、きっと冒険に満ち溢れていたことでしょう。

この八重洲地下街には、意外な場所にもヤン・ヨーステンが存在します。次は八重洲地下街郵便局へ向かいましょう。

風景印に、ヤン・ヨーステンと新幹線!

風景印に、ヤン・ヨーステンと新幹線!

写真:カノオミツヒサ

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「ヤン・ヨーステン記念像」から徒歩2分ほどで八重洲地下街郵便局に着きます。2014年6月にリニューアルされ、白を基調とした明るい空間が印象的です。郵便局のキャラクター「ぽすくま」グッズに目を奪われますが、実は見えないところに、「ヤン・ヨーステン」が存在しているのです。

それは「風景印」。「風景印」は消印のひとつで、近隣の名所にちなんでデザインされています。そしてここ、八重洲地下街郵便局の風景印には、しっかりとヤン・ヨーステンの姿が!ちょっと上目遣いなところがカワイイですね。さらに10月に開業50周年を迎える、東海道新幹線も描かれています。今だからこそ、記念に手に入れてみてはいかがでしょうか?

八重洲を見て回りましたが、丸の内にもヤン・ヨーステンに関連したスポットがあります。今度は丸ビルへ移動です。

丸ビルの「リーフデ号」

丸ビルの「リーフデ号」

写真:カノオミツヒサ

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八重洲地下街から徒歩10分で丸ビルに到着。中へ入らず、ビルの南側へ行きましょう。駐車場入り口付近に、躍動感あふれるリーフデ号の彫刻があります。

この彫刻は、1980年(昭和55年)にオランダのファン・アフト首相が来日した時、オランダ政府から日本政府へと寄贈されたものです。
「なぜ丸の内にリーフデ号があるの?」と思うかもしれませんが、実はヤン・ヨーステンが徳川家康から与えられた屋敷が、この周辺にあったのです。前述した「八代洲河岸」は、この付近のこと。もしかしたら、彼もこの場所でリーフデ号のことを考えていたかもしれません。

ちなみに「リーフデ」(liefde)はオランダ語で「愛」。リーフデ号は、困難な荒波をいくつも乗り越えて、日本へとやってきた「愛の船」なのです。なんだかロマンチックですね!

オランダから日本への愛を感じつつ、次は「八代洲河岸」が一望できる和田倉門交差点へ行ってみましょう。

和田倉門交差点から「八代洲河岸」を望む

和田倉門交差点から「八代洲河岸」を望む

写真:カノオミツヒサ

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丸ビルの「リーフデ号」をあとにし、5分ほど歩くと和田倉門交差点です。水をたたえる皇居のお堀がまぶしいですね。写真左手のイチョウ並木は日比谷通りです。

江戸時代の古地図を見てみると、この付近から馬場先門橋付近までのお堀沿いが「八代洲河岸」となっています。イメージをふくらませて、約1キロの「八代洲(やよす)河岸」を一望してみましょう。イチョウ並木の向こう側は丸の内のオフィス街ですが、ここに「耶楊子」のお屋敷が建っていたのかと思うと驚きですね!

歴史では、屋敷を与えられたヤン・ヨーステンは日本人の妻を娶り、朱印船貿易に従事します。のちにオランダへの帰国を希望し、オランダ総督府のあるジャカルタへ向かいますが、望みは叶いませんでした。そして1623年(元和9年)に日本への帰路の途中で船が難破し、帰らぬ人に。しかし、ヤン・ヨーステンの名は時代を越え、「八重洲」となって生き続けるのです。

おわりに

いかがだったでしょうか?ビルの立ち並ぶ大都会に、400年前の痕跡はありません。ただ「八重洲」という地名だけが、江戸時代に一人のオランダ人がいたことを、伝え続けてきたのです。そして近年建てられた記念碑や彫刻によって、彼の存在がさらに多くの人々へ、語り継がれていくことでしょう。
皆様も東京駅周辺で、ヤン・ヨーステンにふれる旅をしてみませんか?

掲載内容は執筆時点のものです。

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