知恩院門前と一本橋に親水テラス!京都・白川の風情溢れる石橋巡り

知恩院門前と一本橋に親水テラス!京都・白川の風情溢れる石橋巡り

更新日:2014/08/26 17:29

古都の U助のプロフィール写真 古都の U助 ブロガー
京都・祇園白川の風情はもちろん素晴らしいですが、せっかくならすぐ上流側の、知恩院から三条大橋までの間の白川もお訪ねいただけたらと思います。比叡山に柳並木、渡るのにちょっと躊躇する一本橋、見所もウンチクも満載です!

華頂山が迫り来る白川・古門前橋の眺め

華頂山が迫り来る白川・古門前橋の眺め

写真:古都の U助

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桃山時代の建築で、京都市指定文化財である知恩院古門の光景です。
この奥は浄土宗の総本山・知恩院の広大な境内となっていて、法然上人御堂や方丈が控えます。
知恩院門前の白川に架かる古門前橋は、石造りの橋ながら2車線あって車が対面通行しています。橋はなだらかなアーチを描き門の奥を覗き込むと華頂山の光景が迫りくるようです。
ここから少し下流に行くと、京都観光でも屈指の人気スポット、祇園白川の花街となります。

休憩にも散策にももってこいです!

古門前橋からの白川上流へ向かうと、比叡山を仰ぎ見ます。
昔の人は火を恐れ敬った事から比叡山のひの字を抜いて、叡山とだけ呼ぶ事も多かったそうです。
白川については川底の砂が白い色をしている事からその名で呼ぶようになったそうで、今は大幅に利用が制限されていますが上流の美しい砂は、竜安寺や大徳寺など著名な寺社の庭園にも用いられてきました。

古門前橋のすぐ上流にはドラマ「京都地検の女」でロケ地となった親水テラスがあり、浴衣のカップルが夕涼みにきて川に足をつけたりしています。そして1本上流には比叡山の修行僧も通る一本橋、さらにその奥には唐戸鼻橋が写っています。柳の並木が続き川岸には芙蓉、コキア、夾竹桃など季節の植物も植えられ、散策にはもってこいのルートです。

休憩にも散策にももってこいです!

写真:古都の U助

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厳しい修行で通る橋

厳しい修行で通る橋

写真:古都の U助

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知恩院のすぐそばに架かる一本橋です。別名は行者橋ともいわれます。天台宗の修行のうちでも随一の荒行とされる千日回峰行を終えた行者が、京都の町に入洛する際最初に渡る橋とされています。
現在の橋は1907年架橋された長さ約12メーター、幅はたったの60センチしかないもので、地元っ子はすいすい渡って行きますが、自転車だったら怖すぎです!

また左隅に入り口が写っているのは古川町商店街です。
こちらもドラマのロケでお馴染みで、かつては京都の台所と言われる錦市場になぞらえて、東の錦と呼ばれた事もあったそうです。

もう1本の一本橋!

もう1本の一本橋!

写真:古都の U助

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何だか駄洒落みたいですが、この界隈には実はもう1本の一本橋がありまして、橋から右側の路地を入ると明智光秀の首塚といわれる東梅宮があることから梅宮橋と呼ばれています。
明智光秀は首も胴体も行方について諸説伝えられておりますが、こちらでは光秀亡き後家臣の一人が密かに知恩院へ埋葬しようとするもかなわず、この地に五輪塔と小さな御堂を建てたと伝えられています。東梅宮をお参りすると、首から上の病気が良くなるとか、頭が良くなるというご利益がいわれているそうです。
近くには「餅寅」という和菓子店があり、光秀饅頭というお菓子が販売されています。

また、梅宮橋の対岸北側に、くぼみのように写っている箇所がありますが、川へ降りていく階段があり、かつては洗い物等の作業をした水場がこの周辺には今も数箇所残ります。

昔の旅人も多く渡ったであろう橋

昔の旅人も多く渡ったであろう橋

写真:古都の U助

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一番奥に写るのは三条通りに架かる白川橋で、手前は土居ノ内橋です。土居ノ内橋から東山を登っていくと、京都三庚申に数えられる尊勝院があるので、通称は庚申橋と呼ばれています。

奥の白川橋東側には延宝6年(1678年)と刻まれる京都市内で最も古いとされる道標があり、是より左知恩院、祇園、清水道、と旧仮名使いで刻まれています。
あと数百メートルで三条大橋、東海道の終着地点という所です。

京都・白川の様々な楽しみ方

町の中でも川や山など自然の地形を楽しめるのも京都の魅力のひとつです。まだまだ当方など知る由もない歴史がたくさんあろうこの界隈、歴史を味わう散策もよし、親水テラスで風景と休憩を楽しむもよし、それぞれの楽しみ方で過ごしていただけたらと思います!

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/08/19 訪問

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