蕪村の愛した丹後・天の橋立のゆかりの地を歩く

蕪村の愛した丹後・天の橋立のゆかりの地を歩く

更新日:2014/08/09 16:59

与謝蕪村は、初老の頃丹後に遊び3年余りをこの地で暮らし、画俳2道を貫く後半生を準備しました。
そんな蕪村の見た丹後のゆかりの地を辿る旅をご紹介します。

またのぞき発祥の地・大内峠の一字観公園

またのぞき発祥の地・大内峠の一字観公園
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大内峠は京丹後市・大宮町から隣町の与謝野町へ抜ける府道651号線にあり、ここからは遠く若狭湾が一望でき、天橋立が横一文字に眺められる名勝地です。
かっては加悦や奥丹後への往来に利用された峠路に当たり、現在は一字観公園としてパノラマ・コテージ、キャンプサイト、炊事棟の諸施設が整備され、体験型レジャーパークとしてアウトドア・ファンを迎え入れています。
近年まで橋立の股のぞきはここでなされていたとみえ、与謝野鉄幹(本名:寛)、晶子も昭和5年に当地を訪れ橋立を詠んだ歌が歌碑として残されています。

海山の青きが中に螺鈿おく峠の裾の岩滝の町   晶子

楽しみは大内峠に極まりぬまろき入江と一筋の松  寛

蕪村の愛した橋立の景観もまた、この峠からみたものだったと思われます。
峠をくだったところにはクアハウス岩滝もあり、アウトドアで疲れた身体を癒すこともできます。

与謝野町大内峠一字観公園施設
施設利用期間 4月1日〜11月30日
予約は利用日の2ケ月前から
調理用具・バーベキューセット・テント等貸出(有料)あり。
予約・お問い合わせ TEL0772-46-0052
京都府与謝郡与謝野町字弓木小字坂尻3211番地
徒歩でのアクセスは丹後鉄道岩滝口駅から約2時間

蕪村の屏風絵を伝える宮津市須津の江西寺

蕪村の屏風絵を伝える宮津市須津の江西寺
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江西寺の開基は古く、平城天皇の御代の800年代にさかのぼるといわれますが、現寺院は、延宝4(1676)年、弓木村(現・岩滝)玉田寺の弟子・祖傳首座(そでんしゅそ)を招じ開山の祖とし、天台宗より改宗して臨済宗妙心寺派天橋立智恩寺に属することにより始まったと言われています。

この寺院には、檀家の依頼で蕪村が一気に描き下ろした墨画の「風竹屏風」(京都府指定文化財)が伝えられています。丹後時代の蕪村の作品は、これまでに10数点見つかっていますが、この屏風絵は、中国山水画を咀嚼してきた蕪村がようやく独自の画風を打ち立てた会心の作と言われています。当寺は、拝観寺ではなく、写真の「風竹屏風」は、残念ながら常設展示しておりませんので、蕪村展が開催される折には、是非この丹後時代の逸品をお見逃し無きよう。
江西寺の寺宝はこれにとどまらず「十六羅漢図」(京都府指定文化財)、地蔵菩薩二童子像(宮津市指定文化財)、また寺苑は京都府指定名勝とされています。

この寺院は、丹後鉄道橋立駅の隣の岩滝口駅から徒歩5分の観光地のはずれにありますが、須津の集落のやや奥まった処にあるため、訪れる人も少なく、観光地の喧騒を離れて静かに橋立を楽しみたい人にはもってこいの心のふるさと。寺院脇から奥の院に当たる愛宕神社へ至る道中には、石仏が点在し、その脇からは様々なきのこも顔をのぞかせていて、愉しいことこの上ありません。
寺院は与謝の海に面して大内峠同様、一文字の天橋立から若狭湾までが一望できます。
交通の不便な大内峠へ登るのがやや不安な方は、ここからの橋立を楽しむのも一興かと思われます。

蕪村の恋人がいたと伝えられる溝尻の舟屋集落

蕪村の恋人がいたと伝えられる溝尻の舟屋集落
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橋立の北の付け根には丹後一の宮籠神社と股のぞきの笠松公園があり、その少し西に溝尻という漁師村があります。ここは、丹後時代の蕪村が足繁く通い詰めたといわれる若い恋人がいたところと言われています。
この漁村は伊根の舟屋とはまったく趣きの異なる阿蘇海という内海専門の舟屋が小規模ながら残されています。かって、橋立名物・金太郎鰯の漁で賑わったとは、江西寺の前住職・尾関義昭の談。
宮津よりこの地へは、小舟で直接通うか、橋立の南端まで徒歩、或は駕篭で来て、文殊あたりから舟を頼んで乗りつけたと思われます。溝尻の穏やかな波打ち際に立つと、小舟の蕪村が手を振っているのが見える思いがします。

蕪村寺・宮津の見性寺

蕪村寺・宮津の見性寺
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宮津市城下のやや西よりの山際の河原や小川の地は、蕪村の俳諧仲間がいた寺が密集しており、丹後時代の蕪村の動向を知る上で欠かすことのできないところです。
とりわけ見性寺の当時の住職・触誉上人こと竹渓を訪ねて宮津入りした蕪村は、そののち3年余りもの間、この寺を拠点に俳諧仲間に支えられながら丹後一円を遍歴し画業にいそしみました。

蕪村逗留当時の寺の面影はわずかに山門に残るのみですが、見性寺の現住職・梅田慈弘さんは、蕪村顕彰に生涯を捧げており、本堂を蕪村ファンのために開放して、忙しい仏事の合い間を縫い来訪者のために時間を割いて丹後時代の蕪村のすべてについて応えてくださいます。
写真は、蕪村の丹後時代の作品や画業のすべてが一覧できる本堂脇の展示場。

蕪村の俳諧仲間の住職のいた真照寺と無縁寺。

蕪村の俳諧仲間の住職のいた真照寺と無縁寺。
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見性寺の裏手の北近畿丹後鉄道のトンネルをくぐったところには蕪村の俳諧仲間の住職・輪誉上人こと両巴の住む無縁寺、七世恵乗こと鷺十の住む真照寺が隣り合わせになって迎えてくれます。
無縁寺は現在無住寺。真照寺は浄土宗の寺で山門は宇治の万福寺を模したものです。こちらの寺の寺宝は宇治万福寺第2代木庵上人の書による山門の扁額「閉雲」。鎌倉時代初期の木造阿彌陀如来像。そして正徳3(1713)年、狩野派片山尚景83歳の作になる「花鳥図(襖貼付)」。
写真は、鉄道トンネル越しにみる無縁寺。この左に真照寺の山門が並んでいます。

まとめとして

宮津、天橋立の観光スポットも少し視点を変えるだけで、随分と違った丹後の風光に触れることができます。
観光地めぐりに飽きた人たちにおすすめの旅は、一つのテーマに絞って観光地を異なるネットで結ぶこと。きっとこれまでの旅では決して味わえなかったあなただけの旅の思い出をつくることができると思います。
丹後は、京都の奥座敷ではあっても外洋に面していて、山間部の京都とは全く異なる開放的な印象を来る人に与えます。
海の京都と言われる所以でしょうね。
ここから更に外洋を目指すには丹後半島一周が一番です。かっては交通の途絶した孤島の様相を呈していましたが、近年バス路線も整備され比較的ゆったりと一周できるようになりました。
機会があれば丹後半島の穴場スポットの紹介もいたします。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/08/02−2014/08/03 訪問

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