城のない城下町 丹後・宮津のおもしろスポットを歩く

城のない城下町 丹後・宮津のおもしろスポットを歩く

更新日:2014/08/10 11:05

宮津は、海の京都の玄関口に当たります。名勝天橋立を控え、昔から観光の町として、また西廻り船の立ち寄り港として江戸時代以降大いに発展しました。今は素朴な港町に戻りつつある宮津の栄華の跡をさぐる旅は奥深い丹後の秘密を知る上で素通りすることができません。まずは城壁なき城下町を探る旅に出かけましょう。

現役の木造教会としてわが国最古のカトリック宮津教会

現役の木造教会としてわが国最古のカトリック宮津教会
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宮津城は丹後を領有した細川藤孝・忠興父子によって宮津湾岸に築かれたことに始まります。忠興の正室は、明智光秀の娘玉子、すなわち細川ガラシャ夫人です。
そんな縁かどうか、この宮津には現存する木造教会としては日本で2番目に古く(明治29年5月6日竣工)、現役で使用されているものとしては日本最古のカトリック宮津教会があります。
ロマネスク様式の高い天井の下、フランスから取り寄せた祭壇、祭具、ステンドグラスで荘厳され、畳に正座して祈る和洋折衷の聖堂は一見の価値はあります。

宮津城跡の痕跡を伝える大手川べり

宮津城跡の痕跡を伝える大手川べり
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宮津の町の中央部を南北に京街道(現・中町通)が走り、それと平行してやや東には、大手川が宮津湾にそそいでいます。その川こそが宮津城のかっての外堀に当たります。その川べりにある宮津小学校の正門には宮津城太鼓門が移築され、また、川岸には城壁も復元され、かっての面影をしのぶよすがとなっています。

この宮津城は細川氏移封のあと、いったん焼失しましたが、京極氏によって再建されました。が、次々と領主が変わり、城そのものは再び消滅してしまいましたが、城下町の町筋はほぼそのまま残されて現在に至っています。宮津の不思議な魅力は、城壁なき城下町といったそんな町並みにあるのかもしれません。

廻船問屋で栄えた豪商・三上家邸宅

廻船問屋で栄えた豪商・三上家邸宅
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三上家は、元結屋(もっといや)の屋号で鳴らした城下町・宮津の旧家。廻船問屋と酒造りを兼ね、維新の際には、山陰道鎮撫使・西園寺公望の本陣となりました。重要文化財の屋敷は言うまでもなく、その庭園はとりわけ有名で、京都府指定名勝となっています。また角を曲がったすぐのところには江戸時代から続いている醤油醸造家もあり、江戸時代にタイムスリップしたような錯覚に見舞われます。

入館料:350円/中学生以下250円
開館時間:午前9時〜午後5時(入館午後4時30分まで)
休館日:年末年始
宮津市字河原1850 電話0772-22-7529

宮津の語り部・仏性寺

宮津の語り部・仏性寺
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仏性寺の開基は天正18(1590)年、本願寺顕如上人により寺号を授与された浄土真宗の寺院です。細川幽斎の田邊籠城の際に馳せ参じ功労を成した明誓に幽斎が妹を妻として与え、仏性寺を建立したことにはじまると言われています。嘉永年間に建立された山門には細川の紋所「細川九曜」が打たれています。

寺宝は天保年間に勤王の画家・佐藤正持が描いた「源氏物語澪標図」。また本堂阿弥陀如来立像は鎌倉時代のもので唇に水晶板を当てている珍しい作風。
そして本堂の置き欄間は、与謝蕪村の経が岬・波濤の図を下絵にして彫刻されたものと伝えられています。

またかたわらにさりげなく置かれた金屏風には、応挙の絵とおぼしき鶴の絵が貼られていて、その無頓着で開放的な寺風には感激します。
この仏性寺こそが城のない城下町・宮津の語り部のように思えます。
写真は蕪村の下絵によると伝えられている「波濤」置き欄間。

おわりに

宮津市は海の京都の玄関口。まずは、古くから観光と西廻り船寄港地として栄えた静かなかつての城下町・宮津を手始めに、丹後のさまざまな魅力を探っていきます。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/08/02 訪問

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