写真:Ise Shinkurou
地図を見る江戸末期、黒船の来航が続く中で、日本の未来に危機感を持った長州藩は、大砲の近代化に取り組みます。日本従来の青銅砲ではなく、より長い飛距離を持つ洋式砲の製造を模索し始めたのです。
そのためには、脆い鉄を強靭な鉄にする「反射炉」が不可欠。鎖国政策の下、手探りの状態でその建設が始まりました。長州のサムライ達は、まだ見ぬ新しい世を夢見て大砲の近代化を進めました。そしてその夢を現在に伝えるのが「萩反射炉」。
まるで彼らの夢を一身に背負ったように、堂々とした威風を持って建つ「反射炉」は、まさに日本の産業革命の申し子!前に立つだけでサムライの心意気を感じ、身震いしてしまう程の存在感があります。
全国に現存する「反射炉」は2基で、ここ萩ともう一つは伊豆にある「韮山反射炉」ですが、共に「明治日本の産業革命遺産(九州・山口及び関連地域)」として世界文化遺産登録を目指しての活動が始まっています。
写真:Ise Shinkurou
地図を見る「反射炉」を作るためには耐火レンガが必要とされ、そのためレンガを製造する技術も、同時に発達しました。そしてこの技術が明治維新の西洋建築に利用され、現在も趣のある建築美として、日本中で人気のあるスポットになっています。
この歴史的事実が証明するように、「反射炉」は大砲だけでなく、日本の建築史にも大きくかかわる事になりました。
前に立って眺めると、耐火レンガと下部の安山岩のコントラストは言葉で言い表せないほどの素晴らしさ!木造とは違った雰囲気を醸し出す景観に、きっと満足して頂けるでしょう。
写真:Ise Shinkurou
地図を見る写真は遺構の全体像ですが、現在残っている部分は10.5メートルあります。上部が二つに分かれているようにも見えますが、これは各々独立した2本の煙突になっており、これでも建築当時の約7割!想像を絶する大きな建造物だったのですね。
緑の木々に囲まれるように建つ、激動の時代を見つめてきた歴史の証人!じっくりと堪能して頂きたい産業革命の遺構ですね。
写真:Ise Shinkurou
地図を見るこの地域には鋳物師(いもじ)と呼ばれる伝統的な技術職人がおり、中でも郡司家は数多くの青銅製の大砲を製造しました。
その鋳造所が「郡司鋳造所(ぐんじちゅうぞうしょ)遺構広場」として市内に再現されています。ここには「こしき炉」と呼ばれる在来の鋳造施設が実物大で再現されているので、日本古来の技術を実際に目で確かめて頂けるお勧めの場所です。
この日本独自の技術をベースにして、西洋の技術を取り入れるという、まさに日本ならではの産業革命を納得して頂けます。
先にご紹介した「反射炉」からお車で10分程の場所(松陰神社から徒歩3分)ですので、是非お立ち寄り頂きたいお勧めのスポットです。
写真:Ise Shinkurou
地図を見る幕末に製造された長州砲はイギリス・アメリカ・フランス等で保存され、残念ながら国内には残っていません。ですが青銅製の大砲が一基、パリから下関に貸与されていますのでご興味のある方はそちらへもお立ち寄りください。(下関市立長府博物館蔵)。
また長州砲のレプリカが、下関「みもすそ川公園」に数基、そしてこの遺構広場に一基再現されています。郡司鋳造所では100基以上の大砲が造られたと記録にあり、戦争の武器ではありますが、列強の国に追いつきそして追い越そうとした、幕末のサムライ達の夢を感じる大砲です。
江戸末期から明治維新の日本の産業革命は、長い鎖国から目覚めようとする時代の叫びを感じますが、この歴史の証人が「反射炉」です。日本に2カ所しか現存しない遺構ではありますが、「萩の反射炉」は時代の流れをそのまま表現している趣のある建造物。そしてその西洋化をささえた日本古来の「こしき炉」。萩市で長州藩のサムライの夢を感じる旅はいかがでしょうか?
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(2024/3/29更新)
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