写真:磯本 歌見
地図を見る標高430mの臥牛山に立つ備中松山城は、現存天守を持つ山城としては最も高いところにあります。城内には、天守、二重櫓、土塀の一部が現存し、国の重要文化財に指定されています。鎌倉時代、秋庭三郎重信が大松山に城を築いたのを起源とし、1683年、水谷勝宗によって修築され、今の天守の姿になりました。
「登城心得 よくぞまいられた!」など、登山道の要所にある看板に励まされながら登ること20分ほどで、「大手門跡」の石垣が目の前にドーンと現れます。
天然の岩盤の上に石垣を築き、さらに土塀を建てるという特殊な造り。そのスケールの大きさに圧倒されます。
写真:磯本 歌見
地図を見る三の丸、二の丸を経て登ること5分ほどで、本丸へ。美しい天守が現れます。二層二階の典型的な山城ですが、三層に見えるようにデザインされています。篭城戦を想定し、囲炉裏や装束の間が設けられ、2階には神棚があるのが特徴です。
天守内の資料室には、赤穂藩・大石内蔵助良雄とのかかわりが記されています。水谷家は三代で世継ぎがなく断絶。この際、お城明け渡しの使者として来たのが、赤穂藩の大石内蔵助でした。備中松山藩家老の鶴見内蔵助との話し合いにより、無血開城に成功。「二人内蔵助会議」として語り継がれています。
臥牛山・中国自然遊歩道の途中には、大石内蔵助が城地調査などでたびたび登城し、その際休んだとされる「大石内蔵助腰掛石」が残っています。
天守までは、臥牛山8合目のふいご峠から徒歩約20〜30分。平日はふいご峠駐車場まで車を乗り入れることができますが、土日祝日は、城見橋公園駐車場からシャトルバス(往復300円)を利用してください。
写真:磯本 歌見
地図を見る頼久寺は、足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つです。境内には、備中松山城主らのお墓があります。まずは、寺号にもなった開基、備中松山城主・上野頼久公のお墓、織田信長の中国制覇と毛利一族の中央進出の戦、備中兵乱で非業の死を遂げた備中松山城主・三村元親公ら。
国指定名勝の庭園は、備中国奉行・小堀遠州公の初期の作品です。
写真:磯本 歌見
地図を見る石火矢町には、両側に土塀が続き、格式ある門構えの家並みが残り「石火矢町ふるさと村」に指定されています。
旧折井家は天保年間に建てられ、200石前後の武士が住んでいた建物。母屋と長屋門からなり、母屋は書院造り、中庭の池や庭石などはほぼ当時のまま残っています。
旧埴原家は、江戸中期から後期にかけて、120〜150石の、近習役や番頭役を勤めた武士の住宅。寺院建築や数奇屋風の要素を取り入れた珍しい造りで、市の重要文化財にも指定される建物です。
写真:磯本 歌見
地図を見る累計1000万部を超える大ベストセラーとなった、あさのあつこさんの人気小説が原作の映画『バッテリー』。平成18年、全編岡山でロケが行なわれ、高梁市でも多くの場所で撮影が行われました。
主人公・原田巧の自宅、井岡家も町並みの中になじんでいます。そのほか、先ほど紹介した石火矢町ふるさと村や高梁高校などもロケ地に。作品の舞台となった高梁の美しい風景、城下町の佇まいを映画と重ねながら巡るのも、もう一つの楽しみ方かも。
このほかにも、江戸時代から昭和初期にかけての生活用具約3000点を並べる「高梁市郷土資料館」、どこか懐かしいの香りがする街道筋「松山往来」、どこをとっても絵になる街・高梁。ゆったりと時が流れ、ちょっと昔へタイムスリップしたかのようです。
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(2024/3/28更新)
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