奈良、大峰山の女人結界門!この先「女性」立ち入り禁止!!

奈良、大峰山の女人結界門!この先「女性」立ち入り禁止!!

更新日:2014/08/07 18:41

旅人間のプロフィール写真 旅人間 はらぺこライター、旅ブロガー
大峰山は1936年に吉野熊野国立公園に指定され、2004年にはユネスコの世界遺産に登録されました。しかし、ここは女性が立ち入れない世界でも類を見ない珍しい場所!
女性の立ち入りが認められていない事から「男尊女卑を肯定する象徴」として多くの物議が繰り返されてきましたが、現在もなお宗教的理由から女性の立ち入りは認められておりません。それでは、大峰山の「女人禁制の結界門」まで探索してみましょう!!

大峰山と洞川温泉郷を一望出来る場所!

大峰山と洞川温泉郷を一望出来る場所!

写真:旅人間

地図を見る

霊山大峰山(山上ヶ岳)の登山口は洞川温泉と言う温泉街となっています。ここは名水百選に選ばれた「ごろごろ水」を中心に水が美しく美味しいことで知られ、「面不動鍾乳洞」の観光などが雑誌やテレビで紹介され多くの観光客で賑わいを見せています。
ところが、この洞川(どろがわ)に宿泊される方の大半の方の目的は、大峰山に登り修行する修険道の人々。そして大峰山には女性が入れないこともあり、旅館に宿泊する人は男性客の割合が多い場所でもあります。このように独特な風習のある洞川温泉を一望し、大峰山も見られる場所は、面不動鍾乳洞の入り口付近の展望台!ここはとても景色が良いですよ♪

洞川を一望できる高所にある「面不動鍾乳洞」は真夏でも冷っ♪

洞川の町を一望できる「面不動鍾乳洞」は、高所にある事から電動モノレールに乗って行く様子がテレビで紹介され話題となり関西で大人気の観光名所の一つとなりました。
この面不動鍾乳洞は奈良県の特別天然記念物に指定され、洞窟内は無風で平均気温は8度で夏は冷蔵庫の中のように涼しく、冬は比較的暖かい感覚を味わうことが出来る場所。何万年もの歳月をかけて形成された地下宮殿のような光景が広がり、天井から鍾乳石、地面からは石筍が伸びているので異世界を楽しめます。

洞川を一望できる高所にある「面不動鍾乳洞」は真夏でも冷っ♪

写真:旅人間

地図を見る

母子堂は本来の女人結界門のあった場所!

大峰山の「女人結界」は昭和の初期まで現在の場所よりはるか手前にありました。その場所は現在の母子堂がある付近で、当時はここに大きな黒門があり、明け六つに開き暮六つに門が閉じられ、この母公堂は女人禁制の関所のような場所だったと言われています。そして現在では、その場所に当時の結界の碑だけが残っています。

この母子堂は、大峰山(山上ケ嶽)を開いた役の小角が母を伴ってここまで来た際に、ここから先は道が急で、とても女性の足では登れないと思い涙を飲んで別れた所と言われています。そして母はここで息子(役の小角)の無事を祈るために小さなお堂を作ったとされ、それが現在の母子堂の場所と伝わっています。

また、一方で次のような伝説も残っています。それは、役の小角の母が息子のみを案じて訪ねてきた時、この場所で一匹の大蛇がトグロを巻いて行く手を防いでいました。困り果てた母は洞川の里に引きかえし、大峯の山に向かって手を合せると一条の光が輝き阿弥陀如来が現れ、「小角はまだまだ難行苦行を重ねていきます。修業が終わるまで山へ入ってはなりません。小角が下山するまで、里の人々を助け待ちなさい」とお告げがありました。それから役の小角母は里の人々に仏の教えを説きながら、里の女の出産を助けたりしながら息子の下山を待ったそうです。その場所が現在の母子堂のある場所だったと言われています。

母子堂は本来の女人結界門のあった場所!

写真:旅人間

地図を見る

これが現存する女人結界門!女性は立ち入りが出来ません。

女人結界は霊山と呼ばれる多くの山に、かつてこのような「結界門」は多く存在していました。ところが明治時代以降、多くの山の女人結界が解除されて行くようになるのです。そんな中で大峰山では「女人結界門」は今もなお現存しています。
この大峰山に関しては、昭和45年に登山口の大橋と洞川間の林道が開発をキッカケに、母子堂に設けられてた女人結界は、現在の大橋遙拝所まで後退されることとなりました。しかし他の山々とは異なり、この大峰山では今も尚、女性の入山を禁じています。この女人結界門より先は女性は入ることができません。

この女人禁制に関して「男尊女卑を肯定する象徴」として反対する意見もあれば、ここには「男尊女卑などの差別を推進する意図はない」として伝統的な風習を残すべきと言った考え方もあります。答えを出すのにとても難しい問題のようです。

これが現存する女人結界門!女性は立ち入りが出来ません。

写真:旅人間

地図を見る

そもそも一体なぜ女人禁制になったのか?

そもそも一体なぜ女人禁制になったのか?

写真:旅人間

地図を見る

そもそも一体なぜ、このような女人禁制制度が始まったのでしょうか?
この問題の原点は昔々古代の頃まで遡ります。一説によれば、古代の日本では巨大な山は魑魅魍魎(ちみもうりょう)が住む危険な場所と信じられ、子供を産む女性は安全のために山に近づいてはならない場所とされていました。そして年月が過ぎ、今から1300年ほど前頃から女性が近づかない山の奥こそ異性に煩わされない厳しい修行の場と考えられるようになり、修験者は山岳を選び修業したと言われ、霊山と呼ばれる山には女人禁制が定着するようになったと言われています。
大峰山(山上ヶ岳)では、現在も女人禁制を通していますが、その南に位置する「女人大峯」とも呼ばれる稲村ヶ岳は女性も入山することが出来ます。だから男性が大峰山を修行場として山に登る時、女性は稲村ヶ岳に登るのが一般的となっています。この稲村ヶ岳は昔から雨乞いの山として名高く、山頂付近には石楠花が群生し、特に5月〜6月の開花期には人々の顔が赤く映えるほど見事な花をつけるので女性に人気の場所でもあります。

現存する「女人禁制」の結界門の前で記念撮影を♪

大峰山では現在も「女人禁制」の看板に書かれている通り、女性は結界門より先に進むことは出来ません。だから余計にここの前まで来て記念撮影をしていく人が女性が多いようです。世界でもあまり類を見ないこの現存する「女人禁制」の結界門。奈良県天川村の「面不動鍾乳洞」などを観光の際に、ぜひ一度立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

掲載内容は執筆時点のものです。 2012/06/16−2012/06/17 訪問

- PR -

条件を指定して検索

- PR -

この記事に関するお問い合わせ

- 広告 -