睡蓮の画家モネが愛したフランス「ジヴェルニー」で光のマジックに酔う

睡蓮の画家モネが愛したフランス「ジヴェルニー」で光のマジックに酔う

更新日:2014/08/01 19:19

吉川 なおのプロフィール写真 吉川 なお 台湾在住ライター、元旅行会社勤務の旅行マニア
フランスが生んだ印象派絵画の巨匠、クロード・モネの代表作と言えば『睡蓮』です。パリ郊外ノルマンディー地方に位置するジヴェルニーには、『睡蓮』の世界そのままの風景が今も広がっています。日本びいきのモネの足跡をたどりながら、彼の魂がこもった絵画の世界に浸りましょう。

睡蓮に魅せられるまでの道のり

睡蓮に魅せられるまでの道のり

写真:吉川 なお

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1840年11月14日、パリの裕福な商店主の家庭に生まれたモネは、5歳の時、セーヌ川河口の街ル・アーブルに移り住みます。10代の頃からデッサンを学び、風刺画を描いていた彼が画家になることを決意したのは18歳のとき。同郷の画家ウジェーヌ・ブーダンとの出会いがきっかけでした。「自然の光をアトリエで再現することはできない」と屋外での制作に誘われ、以後、光と色彩の魔術に魅せられるようになりました。

1859年パリに出て、画塾やアトリエで学び、後に印象派の仲間となるピサロやルノワール、シスレーらと知り合います。初のサロン入選も果たし、1871年12月に妻カミーユと長男ジャンと共にパリ北西部、セーヌ川右岸の街アルジャントゥイユに転居します。

1873年12月にルノワールらと「画家・彫刻家・版画家・無名芸術家協会」を結成。翌年4月にパリで「第1回印象派展」が開催され、印象派の名前の由来となる『印象・日の出』を出展します。ル・アーブルの夜明けの情景を描いたものの、当時の画壇からは全く評価されず、未完成の下絵と非難されます。しかし、日の出により刻々と推移する水面のきらめきが鮮やかに浮かび上がったこの作品は、西洋美術史に革命を起こした1枚となりました。この傑作はパリの「マルモッタン美術館」で見ることができます。

1878年8月にセーヌ川50キロ下流のヴェトゥイユに移り、翌年3月に次男ミッシェルが生まれました。しかし、妻カミーユが病のためその年の9月に亡くなります。モネは臨終に際して『死の床のカミーユ・モネ』を描き、その7年後に再び亡きカミーユをイメージして『日傘の女』を描いたのを最後に、以後人物画を描くことはありませんでした。

1883年4月に後妻アリスと子どもたちと共に、終の棲家となるジヴェルニーに転居します。モネは自然と太陽の光が満ち溢れるこの街を気に入り、睡蓮の池を中心とした「水の庭」とさまざまな色彩の花を植えた「花の庭」を精魂込めて造ります。

彼はその庭の池に咲く睡蓮を、異なった時間、異なった光線の下で描き、時間や季節とともに移りゆく光と色彩の変化を連作として描きます。1899年から200点以上が制作され、白内障を患い失明寸前の状態になりながらも、フランス国家に寄贈する『睡蓮』の大壁画の制作にも励みました。

1926年12月5日、モネは86年間の生涯を閉じました。現在、その大壁画はパリのオランジュリー美術館に展示されており、そこでモネの壮大な睡蓮の世界を間近で鑑賞することができます。

創作への熱い思いが詰まった家

創作への熱い思いが詰まった家

写真:吉川 なお

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1883年、43歳の時にモネはジヴェルニーに移り住み、1890年に住んでいた家を購入、以後、亡くなるまでのちょうど人生の半分をこの家で暮らしました。現在はクロード・モネ財団が管理し、毎年4月から10月末の間だけ一般公開されています。

ピンクの壁にグリーンの窓枠、蔦が絡みつく2階建ての家は、モネの功績や暮らしぶりを伝える資料館になっています。各部屋は色調が統一され、家具やインテリアは生前使われていたものがそのまま置かれています。どの部屋にも生活感が感じられ、幸せな日常生活がしのばれます。

中でも興味深いのは、黄色い壁の明るいダイニングルーム。壁いっぱいに日本の浮世絵が飾られています。モネは浮世絵の色彩や構図に魅せられ、それを数多く収集していました。昼食は浮世絵に囲まれたその部屋で必ず家族一緒に取っていました。家庭菜園を作り、モネ自ら料理も作りました。十数年前にそのレシピが発見され、資料館に併設されたレストランで、一家の食卓に並んだ料理を味わうことができます。

モネのアトリエは3カ所。第1アトリエは1階、第2アトリエは家から向かって左側の蘭の温室の傍、第3アトリエは現在売店になっているところで、ここで『睡蓮』が制作されました。2階には家族の寝室が並び、ここから見る庭の景色も素晴らしいです。室内は残念ながら撮影禁止となっています。

時間があれば、モネの家から50メートルのところにある「ジヴェルニー印象派美術館」にもどうぞ。印象派を中心にした企画展・展示会が行われ、庭園には花々が咲き乱れています。

光に満ち溢れたモネの理想の庭園

光に満ち溢れたモネの理想の庭園

写真:吉川 なお

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色とりどりの花が咲き乱れる邸宅の正面の「花の庭」、地下通路で結ばれ、竹林の先に広がる「水の庭」、そのふたつの庭はモネが心を込めて作り上げた「生きたキャンバス」です。

「私は絵を描くことと庭を造ること以外は何もできない」と絵の創作と同じように情熱を傾け、世界各地から種を取り寄せ、1年中花が絶えないように工夫を凝らし、自慢の庭を造り上げました。

浮世絵に強い影響を受けたモネは、日本庭園をイメージして池に睡蓮を浮かべ、藤棚がある緑色の太鼓橋も架けました。しだれ柳が水面に影を落とし、時間とともに変化する池の睡蓮の情景をモチーフに、連作を描き続けます。

「私は昼間描きます。夜にも描きます。というのはそれを夢に見るからです」。彼は日の出前から日没まで、睡蓮の池に映る光と色彩の移ろいを描き出すことに没頭しました。時には庭師をボートに乗せ、棒で睡蓮の位置を移動させました。

絵の創作以外の時間は庭の手入れに費やし、創造の源泉として美しく保たれていたその庭も、モネの死後は放置されてしまいます。現在の庭は史料を基に忠実に再現されたもので、多くの庭師によって手入れされ、四季折々にきれいな花を咲かせています。

家族と仲良く眠る墓

家族と仲良く眠る墓

写真:吉川 なお

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モネは愛する家族と一緒に、ジヴェルニーに眠っています。庭園から歩いて約10分のところにある赤い屋根の村の教会。草花が植えられた墓石には家族の名前が刻まれ、上には白い十字架が立てられています。天寿を全うしたモネの傍らには、常に家族の愛がありました。

オランジュリー美術館で大作を鑑賞

オランジュリー美術館で大作を鑑賞

写真:吉川 なお

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ジヴェルニーでモネの絵画の世界に浸ったあと、どうしても見たくなるのはモネの集大成とも言える『睡蓮』の大壁画です。パリのオランジュリー美術館1階のふたつの連なる楕円形の間に、8枚の作品が展示されています。高さ2メートル、一番大きな絵は幅17メートル、8枚の絵の長さを合わせると90メートルにもなります。

モネの希望通り、展示室は照明を使わず、天井からの自然光が作品を照らしています。1つの部屋に4枚ずつ360度囲むように展示され、その場に立った途端、ぐっと水面に引き込まれます。

空と雲と池がひとつになり、澄み渡る青空や燃えるような陽光が睡蓮咲く池の水面に反射した瞬時の情景を、みずみずしく情感込めたタッチで描いています。とても同じ池とは思えない、まさに「光の画家」がなせる技です。

モネが極めた光のマジック

『睡蓮』の他に手掛けた連作『積みわら』『ルーアン大聖堂』などにも見られるように、モネは生涯において、季節や時間が織りなす光のあやをテーマに描き続けました。まさにモネの芸術は光の探求そのものであったと言えます。私たちがモネの絵画に魅せられるのは、日常生活の中で見逃してしまいがちな光の移ろいを思い出させてくれるからではないでしょうか。

掲載内容は執筆時点のものです。 2011/05/10 訪問

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