「みちのくの仏都」会津の寺院建築〜平安時代から続く会津の仏教文化

「みちのくの仏都」会津の寺院建築〜平安時代から続く会津の仏教文化

更新日:2014/07/30 17:37

東北地方で有名なお寺というと、やはり平泉の中尊寺や松島の瑞巌寺あたりでしょうか。会津の仏教文化はあまり知られていないかもしれませんが、本格的に仏教が民間に広まったのは平安時代初期で、東北地方ではかなり早い時期でした。仏教は会津の民衆に根付き、仏像や寺院建築など多くの関連する文化財が現代にも残されています。本記事では特に見ごたえのある会津の中世寺院建築5件と関連する文化財を紹介します。

国宝仏のある勝常寺では重文の薬師堂も必見

国宝仏のある勝常寺では重文の薬師堂も必見
地図を見る

会津は素晴らしいお寺がたくさんあるのですが、まず優先していただきたいのが湯川村にある勝常寺です。ここには地方では珍しい国宝の仏像があるのです。「木造薬師如来及両脇侍像」が国宝指定を受けたのは1996年。これは地方仏の国宝指定ではかなり早い時期で、2004年に中尊寺(岩手県平泉町)の「金色堂堂内諸像及天蓋」が国宝になるまで東北地方では唯一の国宝仏でした。平安初期の仏像でありながら天平の古様も感じさせる素晴らしい仏像です。勝常寺では他にも平安初期の仏像が多く残されており、6件9躯が国指定の重要文化財です。

さて、国宝仏のある勝常寺ですが、その国宝仏を安置するお堂もまた貴重で、現在は国指定の重要文化財です。このお寺で最も古いこのお堂は室町初期の再建でもともとは講堂として建てられています。写真で伝わるといいのですが、なかなか大きな建築です。地方寺院でこれだけ大きな中世の堂宇が残っているのは結構珍しいことです。全体的に和様の構造を残しつつ、出組の詰組、桟唐戸、粽のある柱に台輪をのせるといった禅宗様という様式の手法がふんだんに使われています。このように、会津の寺院建築では、和様を基調に禅宗様の装飾性を巧みに利用した事例がいくつかあり、次に紹介する「奥之院弁天堂」もその秀作です。

薬師堂外観はいつでも見学できますが、薬師堂内部や諸仏の見学は期間が決まっているので注意して下さい(詳しくは下記の湯川村の公式ウェブサイトで)。事前に連絡してから行ったほうがいいです。

虚空蔵尊で有名な円蔵寺では奥之院へもぜひ

虚空蔵尊で有名な円蔵寺では奥之院へもぜひ
地図を見る

会津柳津というと虚空蔵尊を本尊とする円蔵寺が有名です。柳津の町自体が円蔵寺の門前町として発展した町で、古くから多くの参拝客で賑わっていました。ここの寺院建築というと、只見川畔にたつ大きな本堂が印象的ですが、ちょっと離れた奥之院へも足を伸ばしてみて下さい。奥之院の弁天堂は室町後期の建築で、国の重要文化財の指定をうけています。

勝常寺薬師堂に比べると小さなお堂ですが、洗練された意匠が特徴です。禅宗様の意匠が勝常寺薬師堂とも共通していますが、花頭窓、弓欄間、横への広がりをもつ出組の斗きょうが勝常寺薬師堂と異なっていて、より禅宗様の特徴が濃い建物です。扉や窓の上の欄間部分には波型の連子がありますが、これが「弓欄間」。禅宗様建築に特徴的な装飾ですが、それなり手間がかかるわりに構造に必要なものではないので、建物の格が低いと省かれることがよくあります。茅葺屋根の素朴な小堂でありながら、とても丁寧に建てられています。

本格的な禅宗様建築の田子薬師堂(常福院薬師堂)

本格的な禅宗様建築の田子薬師堂(常福院薬師堂)
地図を見る

次は会津美里町へ。ここは「田子薬師堂」とよばれる本格的な禅宗様の寺院建築があるのです。田子道宥という人物が鎌倉時代に造影したと伝わっていることで「田子薬師堂」とよばれていますが、常福院という寺院の薬師堂です。様式上は室町中期の建築。先に紹介した二堂は和様を基調に禅宗様の意匠を取り入れた建築でしたが、これは本格的な禅宗様建築です。軒下の意匠が素晴らしいです。軒下にずらっと並んだ部材は「垂木」とよばれていますが、平安以前の和様では垂木を平行に並べる「平行垂木」を用いますが、禅宗様では広げた扇の骨のように配置する「扇垂木」にします。勝常寺薬師堂も奥之院弁天堂も平行垂木ですが、垂木の配置が違うだけで、凛とした雰囲気がより強く感じられます。

ちょっと変わった禅宗様仏殿の藤倉二階堂(延命寺地蔵堂)

ちょっと変わった禅宗様仏殿の藤倉二階堂(延命寺地蔵堂)
地図を見る

ここまで禅宗様という言葉をたくさん使ってきましたが、鎌倉時代に宋から禅宗を取り入れたことで成立した様式です。禅宗様成立当初は「正規の禅宗様仏殿」という決まった構造形式のものが建てられていました。この形式で有名なのが「功山寺仏殿」(国宝、山口県下関市)、「円覚寺舎利殿」(国宝、神奈川県鎌倉市)、「正福寺地蔵堂」(国宝、東京都東村山市)などです。共通するのは桁行三間、梁間三間の身舎のまわりに裳階(もこし)とよばれる庇を付ける点です。この形式の建築は会津若松市にもあって、「藤倉二階堂」とよばれています。

正式には「延命寺地蔵堂」という建物で、室町中期の建造。屋根が二重なので二階堂といわれますが、実際には庇がついているだけなので二階建にはなってはいません。裳階付の禅宗様仏殿は、裳階内部を堂内にとりこんで堂内の空間を広くするのですが、この建築では裳階部分は堂外で縁になっているという点が普通の禅宗様仏殿とは変わっています。身舎部分の軒下は扇垂木になっていたりと、本格的な禅宗様建築でありながら、禅宗様にありがちな凛とした印象はあまりなく、親しみやすい素朴な雰囲気が魅力的です。

中の立木観音とあわせて見学したい恵隆寺観音堂

中の立木観音とあわせて見学したい恵隆寺観音堂
地図を見る

最後に紹介するのは会津坂下町にある「恵隆寺観音堂」。ここまでに紹介した四堂は禅宗様が特徴でしたが、これは和様建築です。簡素ですっきりさせつつも、繊細というよりも力強い印象のお堂です。向拝(入口の庇部分)は新しいようですが、鎌倉時代の築とされる古い建物です。

この建物も重要文化財ですが、中の「木造千手観音立像」も重要文化財です。俗に「立木観音」とよばれる千手観音像で、立ち木のままの木を彫ったと伝えられています。「立木観音」の名称が有名なので、お堂も「立木観音堂」とよばれたりしています。この千手観音像もお堂と同様に鎌倉時代のもので、総高8.5 mという巨像で見る者を圧倒させます。千手観音というと二十八部衆・雷神・風神を眷属にするのですが、全国的にみても古いものは少ないので、眷属もあわせて残っているという点でも貴重です。

ちなみに寺院の隣に「旧五十嵐家住宅」という江戸時代の民家が移築されていて、これも重要文化財です。仏像、寺院建築、民家建築の重文をあわせて見られるということで、とてもおトクです。ここから見る会津の田園と磐梯山の風景も見事なものです。

最後に

本記事では会津の寺院建築を主体に、おすすめの5ヶ所を紹介してみました。会津は独特な仏教文化があって、関連する文化財も多くあります。では、その由来はなんでしょうか。それには「徳一」という法相のお坊さんの宗教活動が大きく関係しています。奈良時代に生まれた徳一は、南都興福寺で学んだあと20歳の若さで都を離れ、地方で布教活動をします。そして行きついた先が会津で、大同元 (806)年に磐梯山のふもとに慧日寺を建立します。

この徳一が建てた「慧日寺」の遺跡もぜひ訪れていただきたいところです。戦国時代に荒廃して古いものはあまり残ってはいませんが、史跡公園として整備されています。「磐梯山慧日寺資料館」という資料館もあり、会津仏教の歴史について学ぶことができます。また、創建当時の様式で復元された金堂と中門も必見。

慧日寺の立地は修行には適していたようですが、布教には不向きで、交通の便のいい平野部などに寺院を新しく建立していきました。勝常寺もその一寺で、勝常寺諸仏も徳一と直接的な関わりがあったことでしょう。勝常寺本尊が薬師如来というのもまた重要なことで、現世利益の仏様を広めることで、会津の人達の精神的な支えとなったことと思います。また、当時のお坊さんは薬の知識があったりもしたので、大いに民衆を助け、支持されたことと思います。

会津の仏教文化は権力者によるものではなく、会津の人々が支えてきたもの。会津の旅では、そういう会津の空気を感じていただけたらと思います。

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/11/17 訪問

- PR -

条件を指定して検索

- PR -

この記事に関するお問い合わせ

- 広告 -