お買物でご利益!銀座線沿線の百貨店は天空のパワースポット

お買物でご利益!銀座線沿線の百貨店は天空のパワースポット

更新日:2014/08/03 18:30

Naoyuki 金井のプロフィール写真 Naoyuki 金井 神社・グルメナビゲーター
東京メトロ銀座線は、9つの百貨店の本支店があるデパート路線です。
百貨店の前身である呉服屋などでは、商売繁盛や家内安全を祈願して稲荷社などが祀られました。現代に受け継がれ、時代と共ににビルとなった百貨店では、神様の上を人が歩くのはいかがなものかと屋上に祀られるようになったのです。
今回は、ショッピングしながら屋上でご利益をいただけるという、実に都会らしい百貨店をご紹介いたします。

創業400年、中京の雄「いとう呉服店」

創業400年、中京の雄「いとう呉服店」

写真:Naoyuki 金井

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上野広小路駅にあるのが「上野松坂屋」です。
江戸時代の1611年に名古屋で創業した「いとう呉服店」が始まりで、1768年には江戸に進出し、当時、上野にあった「松坂屋」を買収して「いとう松坂屋」と改称したのが、現在の上野松坂屋です。
本社は名古屋市栄区で、2011年には「いとう呉服店」創業400周年を迎えた中京圏の老舗百貨店です。

この松坂屋に祀られているのが「護(かくご)稲荷神社」です。
江戸時代末期の1815年、当時の根岸(現在の荒川区東日暮里)に伏見稲荷大社より勧請され、関東大震災や日暮里の大火にも、社殿はおろか松坂屋の社宅まで無事だったことから、火防の神として信仰され、守護稲荷の鶴に雨を降らせて火事を消すという縁起から、雨と鶴の一部を合わせた字「」を当てたのが、現在の社名です。
そして昭和4年上野松坂屋竣工の際に、明治からの縁により分霊され、上野松坂屋と共に85年、上野の町を守っているのです。

灯籠に刻まれた松坂屋のロゴは印象的です。
昨年まであった銀座松坂屋の屋上にも同じ護稲荷神社が建立されていましたが、再開発のため東日暮里の本社に遷座され、現在では上野店だけとなっています。

商売の原点、百貨店の祖「越後屋」

商売の原点、百貨店の祖「越後屋」

写真:Naoyuki 金井

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文字通り三越前駅にあるのが「三越本店」です。
江戸時代の1673年、店頭販売・現金取引・切り売りという現在では当たり前の商法で創業した「越後屋」呉服店が前身で、現在の商号「三越」は、三井家の『三』と越後屋の『越』をあわせたものです。
日本で最初の「デパートメントストア宣言」を行った日本の百貨店の祖といわれている老舗デパートです。

屋上には「三囲神社」と「活動大黒天」が祀られています。
向島に本社のある三囲神社が、三井家からの鬼門に当たり、更に三囲神社の『囲』の文字に三井の『井』が入っているため、「三井を守る」と考えられ三井家の守護社となり屋上に勧請されたのです。
一方、活動大黒天は、三囲神社本社境内に大黒神があることから祀られ、動的な姿を見せることからこの名が付き、商売繁盛と幸運をもたらす神として親しまれています。

紅白の社殿のコントラストが美しい境内です。
銀座三越にも三囲神社は祀られておりますが、逆に向島の本社・三囲神社には閉店した池袋三越のライオン像が奉納されているのも興味深いものです。

関西の誇るバラの花「たかしまや」

関西の誇るバラの花「たかしまや」

写真:Naoyuki 金井

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日本橋駅にあるのが「高島屋日本橋店」です。
江戸時代末期の1831年、京都烏丸松原で古着・木綿商「たかしまや」が創業の始まりで、木綿呉服商として明治31年に大阪店、明治33年に東京店が開店し、現在、大阪市難波の大阪店が本社です。
特筆すべきは、当時の座売り販売から陳列販売方式に変更し、日本におけるショーウィンドウを早くから導入した百貨店として知られています。

その屋上の一角に高島屋のロゴの入った賽銭箱と七角形の形をした『七福殿』が鎮座しています。
正面に大黒天と記され、両脇に恵比寿神、布袋尊と書かれたプレートがあり、七角形が七福神を祀っているお堂です。
つまりこのお堂を一周すれば、七福神めぐりが成就する、恐らく日本で一番短い七福神めぐりです。
かつて屋上には「笠森稲荷」が祀られていましたが、現在は従業員休憩所に遷され、現在は、この七福殿がご利益を授与しているのです。

情緒ある日本庭園の中の珍しい七福神です。
現在は、どの扉も施錠されていて七福神を拝顔することは出来ませんが、七福神の七倍パワーでご利益をいただきましょう。

贅を尽くした内装「鶴屋呉服店」

贅を尽くした内装「鶴屋呉服店」

写真:Naoyuki 金井

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銀座駅にあるのが「松屋銀座本店」です。
明治2年に横浜石川町で「鶴屋呉服店」を創業したのが始まりで、明治32年に神田の「松屋呉服店」を買収し東京に進出、明治期に事業を拡大しました。
大正14年に開業した銀座本店は、ステンドグラスやモザイク、漆喰模様などで飾られ、地上7階までの吹き抜けのある豪華絢爛な百貨店でしたが、東京オリンピックにあわせた大改装などで、現在、当時の面影は殆ど残っていません。

その屋上にあるのが『龍光不動尊』です。
昭和4年に高野山龍光院より勧請された「龍光不動尊」の本尊は、鎌倉時代の名匠の作で、家内安全・商売繁盛のご利益が授与されます。
緑あふれる境内の社殿は、平安神宮や神田明神などの設計を行った青池安太郎の作で、毎年正月、5月・9月28日には例祭も行われ、「龍光」は「流行」に通じるということで、ファッション関係の祈願にも霊験あらたかです。

境内の一画には国の名勝・須賀川牡丹も植樹され、都会のオアシス・龍光不動尊で、お洒落でスタイリッシュな参拝はいかがですか。

僅か4年の百貨店「美松」

僅か4年の百貨店「美松」

写真:Naoyuki 金井

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最後は松屋と並びにある「銀座三越」です。
こちらの屋上には、本店同様「三囲神社」は建立されていますが、ここでの注目は隣に建立されている『銀座出世地蔵尊』です。

銀座出世地蔵尊を祀っているのは、銀座三越ではなく「銀座出世地蔵尊奉賛会」なので、ここには社務所があります。
この地蔵尊は、明治初期、三十三間堀の工事中に発見され、当時の銀座四丁目に安置され、篤い信仰から明治〜昭和初期の東京を代表する縁日が開かれるほどとなりました。
そして、戦災により行方不明となりますが、再び現在の有楽町1丁目の日比谷交差点角で見つかります。この場所は、かつて伊勢丹移転候補地であり、伊勢丹から独立し、昭和6年から僅か4年間存在した「美松百貨店」跡地だったのも何かの因縁でしょうか。
その後、昭和43年に銀座三越が開店するまで鎮座し、現在の銀座三越屋上には、昭和に造られた大きな身代わり立像とともに、銀座出世地蔵は安置されています。

名前の由来は不明ですが、地中から見つかり、平地の百貨店跡地に鎮座し、更に百貨店屋上に昇ったことから出世地蔵と呼ばれたとも言われています。
唯一社務所のある銀座出世地蔵尊では、「根付手彫り御守り地蔵尊」が授与されていますので、文字通り出世を望むサラリーマンやその家族で参拝するのも一興です。

最後に。。。

デパートの屋上といえば、かつては小型遊園地のある子ども達のワンダーランドでした。
遊園地、或いは遊具すら残っているデパートは貴重な存在である昨今ですが、稲荷社や鎮守社などは数多く残っています。
多くが商売繁盛、家内安全といったところですが、中には変わり種のご利益があるのも興味深いところです。
日頃から利用されている方の多いデパートですが、屋上を利用される方は少なく、更に参拝をする方は極僅かでしょう。
今回ご紹介したデパートはそれぞれ歴史も由緒もありますので、それらと一緒に普段と違った角度で百貨店を眺めてください。
きっと貴方にも、程よいご利益と天空の癒しを与えてくれるでしょう。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/07/02−2014/07/18 訪問

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