武士の鑑!備中高松城主・清水宗治が残したものとは?(岡山市)

武士の鑑!備中高松城主・清水宗治が残したものとは?(岡山市)

更新日:2014/10/31 12:42

塚本 隆司のプロフィール写真 塚本 隆司 ぼっち旅ライター
岡山県岡山市。JR吉備線の備中高松駅から最上稲荷の赤い大鳥居をくぐった先、徒歩10分のところに、高松城址公園がある。今では7月になれば可憐な蓮の花が咲くこの公園で、戦国時代を華々しく生きた男・清水宗治が命をかけた戦い、備中高松城水攻めの地を辿ってみる。

400年の時を越えて咲いた「宗治蓮」

400年の時を越えて咲いた「宗治蓮」

提供元:おかやま旅ネット 岡山県観光連盟

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高松城址公園に着けば、「ここにどんな城があったのだろう」と感じずにはいられない。周囲一面に広がる田園風景の中、高い建物や石垣などがあるわけではない。中央に広がる7000平方メートルあるという広大な沼池のところどころに橋がかかる、のどかな公園があるだけのようにも思える。

七月中旬にもなれば池一面に蓮の花が咲く。昭和57年(1982年)からはじまった歴史公園造営計画で復元された池(沼地)に、自ら400年の時を経て芽を出し花を開かせたのだ。地元の人達はこれを“宗治蓮”と呼ぶことにしたのだという。

この名の主、清水宗治(しみずむねはる)という武将が戦国史を語る上では外せない“備中高松城水攻め“における備中高松城の城主なのである。

備中高松城とは

備中高松城とは

写真:塚本 隆司

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水攻めが行われた備中高松城。蓮の花が咲くこの池(沼地)を天然の堀と成して敵を阻む形で、本丸・二ノ丸・三の丸と備えた梯郭式(ていかくしき)平城であったという。

江戸時代の地理学者は、掻揚城(かきあげじろ:掘りあげた土砂で土塁を積んだ手軽に築き上げた城塁)だったと説明している。本丸の標高も5m弱と低く、石垣は使われず土塁で囲われ、矢倉と板塀があるだけの容易に攻め落とせそうな構えだが、沼地が人馬の行く手を阻む天然の要害であったことが想像ができる。

現在、高松城本丸址には高松城水攻め之図の看板と清水宗治城跡之碑と書かれた石碑が立っている。

水に浮かぶ城

水に浮かぶ城

写真:塚本 隆司

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この地を攻めた羽柴秀吉は、調略を試みるも義を重んじる城主・清水宗治はこれに応じない。力攻めも沼地に阻まれ難儀する。「水に阻まれるなら水で攻めよう」と軍師黒田官兵衛の奇策を受け入れ、戦国史上稀に見る水攻めが行われたのだ。

写真は、公園内にある高松城址資料館に展示されているジオラマだ。水攻めの堤防が延々と築かれたように作られているが、発掘調査などから主に山裾にできた自然の地形を利用し、蛙ヶ鼻築堤跡(かわずがばなちくていあと)など一部のみ堤を作ったと考えられている。蛙ヶ鼻築堤跡は高松城と共に国の史跡に指定されている(高松城跡 附 水攻築堤跡 昭和4年12月17日指定)

資料館には、高松城や清水宗治に関する資料が所狭しと展示されている。なかでも近年におきた洪水時の写真をみると、いかに水没しやすいところに城があったのか想像できるだろう。

高松城址資料館
開館時間:午前10時〜午後3時 
休 館 日:月曜日、年末年始
入 館 料:無料
高松城址公園は、常時無料開放

清水宗治という武将

清水宗治という武将

提供元:おかやま旅ネット 岡山県観光連盟

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水攻めの攻城戦は、和睦という形で決着する。毛利側がその裏に本能寺の変による信長の死という大事件があったのを知っていたかは定かではないが、主家(毛利家)の安泰と城兵5千人の命と引き換えに城主・清水宗治は切腹して果てることになる。

切腹が一般的ではなかったこの時代、籠城中に身だしなみを忘れたと思われたくないと、清水宗治は切腹する前に髭を抜き、死後の身だしなみを整えたという。小舟で秀吉の陣の前まで進み、ひとさし舞い潔く腹を切った姿は、「武士の鑑」「日本一の武辺(ぶへん)」と称され後世に名を残したのである。切腹が武士にとっての名誉ある死という認識が広がり、刑罰としても用いられるようになるのは、この後である。

写真は、清水宗治の首塚である。今でも地元の人に愛され毎年6月の第1日曜日には、宗治祭(むねはるさい)が開催されている。

お土産に水攻め饅頭

お土産に水攻め饅頭

写真:塚本 隆司

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高松城址公園の隣に清鏡庵という和菓子屋がある。清水宗治にちなんだ名物「宗治饅頭」、備中高松城水攻め連想させる「水攻饅頭」がある。どちらも上品な和菓子で土産物に喜ばれるに違いない。また、包装紙に備中高松城水攻めの陣営図が描かれている。記念に是非手に入れたい一品だ。お願いすれば、そのまま包装紙をいただけるのも嬉しい。

おわりに

荒々しいイメージの戦国時代が統一の時代へと舵をきった時に散った一人の武将・清水宗治。義に厚く勇猛果敢で「武士の鑑」と云われた人物の幕引きは、歴史の転換期がこの武将の命を欲したかのように思わずにはいられない。備中高松の地は、そんな思いに浸りながら巡ってみると何倍も楽しめる場所なのである。是非、時代の転換点に命を捧げた男のゆかりの地を巡って欲しい。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/02/26 訪問

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