半世紀を経て、今ここに蘇る!九州最大級の料亭建築「三宜楼」

半世紀を経て、今ここに蘇る!九州最大級の料亭建築「三宜楼」

更新日:2014/06/20 14:27

「三宜楼(さんきろう)」は、門司港の繁栄と共に料亭としてその栄華を極めました。しかし港の衰退により廃業を余儀なくされます。その後、老朽化により取り壊しか、せめて形だけでも保存するべきか。この葛藤を乗り越えて、なんと2014年4月「料亭・三宜楼」として奇跡の復活を果たしました!その経緯は?その裏に隠された努力とは?そこまで人の心を魅了する「三宜楼」とは?この謎に迫ります!

三宜楼が辿った光と影

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創業は1911年。1931年に現在の清滝地区、門司港を見下ろす高台で高級料亭として開業しました。当時の門司港は神戸や横浜と並び、国際航路として日本三大港のひとつに数えられていました。大戦景気の波に乗り港はますます盛んに利用され、商業施設も爆発的に拡大されます。門司港の発展とともに、旅館や料亭なども次々と建てられ、「三宜楼」もそのひとつだったのです。

出光興産創業者の出光佐三氏ら財界人が集まり、俳人の高浜虚子がここで句を詠む……「三宜楼」はそんな各界の著名人が集まる、華やかな社交場でした。当時は門司の地価も高騰し、一坪の単価が現在で言えば4百万円以上!「三宜楼」はそこに約232坪という広大な敷地を有していたのですから、門司港を代表する料亭と言われていたのも不思議ではありません。

しかし終戦とともに港は縮小し、衰退していきます。栄華を誇った「三宜楼」もそれに伴って1980年に閉店。その後、経営者家族が住居として利用していましたが、その維持費も大変なものだったのでしょう。建物の老朽化により相続を放棄、地主も承諾し、とうとう取り壊しが決まったのです。ここで門司に灯っていたひとつの大きな灯りが、消えていきました。

地元有志の願いが、届いた日。

地元有志の願いが、届いた日。
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土地の所有者が売却を決めたのは2005年のこと。しかし売却のうわさを聞きつけた地元有志の人々が翌年、「三宜楼を保存する会」を結成します。門司出身の写真家・藤原新也さんや小倉育ちのイラストレーター・わたせせいぞうさんも保存会に参加。さらに建物を公開しながら、一般の方々からも寄付金を募りました。募金活動によって集めたお金で土地を取得し、さらに1万7千人分の署名を集めます。建物の所有者から承諾を受けた上で、北九州市に無償譲渡を依頼し、ようやくその努力が実を結びます。

市は献身的な活動に感銘を受け、保存を決定。2009年に市への寄付が完了し、「三宜楼」の保存が北九州市の事業のひとつとなりました。そして改修工事と整備が始まったのです。

当時は観光名所としての整備と老朽化の修繕が目的でした。しかし料亭として復活する姿を望む声が、少なくありません。そこで「料亭・三宜楼」としての立て直しを図ることに決定します。当初6000万円弱を見込んでいた総工費用でしたが、料亭へと改築するため、その経費に2億円近くまで充てられたと言われています。

現存する九州最大級の料亭建築「三宜楼」とはこれだ!

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通称「三宜楼坂」を上って行くとその先に、大きな石垣。その上には数寄屋造り三階建ての「三宜楼」が鎮座。その風格はまさに空中に浮かぶ楼閣のようです。延べ床面積が1,200平方メートルあり、現存する料亭としては九州でも最大級。中へ入ると大小さまざまな部屋が用意され、欄間や床の間、階段や椅子、机など調度品が当時のまま残されています。随所に行き届いたデザインが施され、和の奥ゆかしさや粋を見て取ることができます。

1階は料亭「三宜楼」と展示室があり、料亭では異なる意匠でデザインされた個室の座敷席とテーブル席。これだけ由緒ある建物での食事ですが、そのお値段が意外とリーズナブルなのも注目すべきところ。この道30年以上という料理人が彩る御膳は、なんと1500円からなのです(平日限定)。庭から門司の街並み一帯を眺められ、ゆっくりと懐石料理を楽しむ贅沢を味わってみてはいかがでしょうか。展示室では当時の写真や照明、家具、各所に施された意匠の説明などがあり、どんなお客様がお越しになったのか、受付からチラリと覗く小窓など、ちょっとした工夫が見られるのも楽しいですよ。

2階は「百畳間」と呼ばれ、舞台まで入れて80畳という大広間があります。当時、毎日のように宴が催され、ここで宴会を開くことが企業のステータスでもあったとか。成功者だけが許された贅沢だったのかもしれません。現在では一般の方が借りることもできます。(貸し出し中は見学不可)

3階は「俳句の間」と呼ばれ、高浜虚子が俳句を詠んだ場所と言われています。関門海峡が一望でき、そこからの眺めは圧巻。ただしガイドさんがいるときでなければ、見学できませんので事前に問い合わせてください。

大切のお客様をもてなそうとするしつらえが随所に見られ、「三宜楼」はどれだけ優雅な時間を提供してきたのでしょうか。足を踏み入れた途端、私たちも当時の著名人達と肩を並べて宴を催しているような、そんな幻想に包まれる空間です。

おわりに

大きな料亭には欠かせない荷物運搬用エレベーター、大広間の維持やさらに3階部分を支える数々の柱や梁。当時の建築技術から見れば、見事と言えるほど緻密に計算されています。そして画期的な建築物でもありました。「三宜楼」を見ると、いかに当時の門司港が盛んであったのか、計り知る事ができると思います。そして「三宜楼」自身、この高台から、門司の街並みを半世紀以上に渡って眺めてきました。みんなの願いが通じて、解体の窮地から救われた歴史的建物。一度足を運んで、その歴史をゆっくり味わってください。大広間の廊下に立ち、「三宜楼」と同じ目線で、門司の街を眺めてみるのも悪くありません。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/06/11−2014/06/12 訪問

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