門司港の象徴と言えば、レトロ感覚たっぷりの外観を持つJR門司港駅の駅舎でした。
そして、門司港駅はレトロ地区を観光で訪れる人々にとって、玄関口でもあります。
ところが、2012年9月末から始まった門司港駅舎の改修工事により、その姿も2018年3月末まで目にすることができなくなっています。
ところで、門司港はかつて日本の「海の玄関口」だったことをご存じでしょうか?
明治から昭和初期にかけて、日本の植民地だった台湾の基驕iキールン)や旧満州(現・中国東北地方)の大連、さらに日本郵船の欧州航路でマルセイユやロンドンへと向かう客船が、門司港から出て行きました。
航路の数にして約40、ひと月におよそ180便が就航したと言われた門司港は、横浜や神戸と並ぶ国際港だったのです。
門司港駅がその美しい姿を隠してしまったのと入れ違いに、2013年7月に国際港時代の華やかな面影を今に伝えるスポットが復活しました。
それが「旧大連航路上屋(うわや)」です。
上屋とは、船と倉庫との間の荷さばきの中継作業が行われる施設のこと。
ふ頭で船舶が接岸係留する場所に近いところに設けられ、荷さばきのほかに乗降船客の待合室にも利用されます。
簡単に言ってしまえば、国際旅客ターミナルという感じです。
このターミナルは、今から85年前の1929(昭和4)年に「門司税関1号上屋」として建てられました。
そして、大連航路の便数が一番多かったことから、人々の間で「大連航路上屋」や「大連航路待合室」と呼ばれるようになっていきました。
ここはおおぜいの船客や見送りの人たちで賑わったといいます。
しかし、太平洋戦争後の昭和25(1950)年にアメリカ軍により接収され、大連航路上屋は国際旅客ターミナルとしての役割を終えることになりました。
昭和47(1972)年に日本へ返還され、門司税関の仮庁舎や公共上屋として平成20(2008)年まで利用されていました。
この「旧大連航路上屋」は、当時流行していたアール・デコ調(1910年代から30年代に フランスを中心に流行した美術工芸の様式)を取り入れた鉄筋コンクリート造りの建物でした。
これが門司港の繁栄を象徴する近代遺産だったということで、上屋を保存・活用するため、2013(平成25)年に休憩・展望施設として北九州市が整備したのです。
旧大連航路上屋は2013年7月19日にリニューアルオープン。
門司港駅を出て左手の海岸通りを、関門海峡ミュージアム「海峡ドラマシップ」に向かって直進すると、この古くて新しいスポットにたどり着きます。
入口左右には、画像の「階下 旅具検査場」ともうひとつ「上階 待合室」と表示された小部屋があります。
漢字を右から左に読むこの施設は、当時のものを再利用しています。
なお、入場は無料です。
それでは、門司港が華やかなりし時代へのタイムスリップを始めましょう。
入口のドアを開けると、すぐ目の前にはエントランスホール。
でも、まずは1階ではなく、右手にある階段を使って2階に行ってみましょう。
このルートのほうが、世界の海とつながる門司港レトロ時代を、より肌で感じられるからです。
まずは階段に注目。
手すりなどに、アール・デコ様式が使われています。
2階の待合室へ向かう、当時の旅客たちの息づかいが聞こえてきそうです。
そんな階段を上りきれば、長いコリドー(回廊)が見えます。
この建物の中で最も往事の雰囲気を残しているであろう、全長130メートルにも及ぶコリドーです。
当時、上屋の前を走る海岸通り一帯は海となっており、このコリドーの欄干のすぐ真下は岸壁だったそうです。
乗船客はここで手を降りながら客船に乗り込み、見送る人々もやはり手を振って、洋行や外地に向かう人々を見送ったのでしょう。
客船と見送る人たちの間には五色のテープが無数に伸び、出港の汽笛とともに、それらはどんどん切れて、海へと落ちてゆく。
そして煙を残して、船は水平線の彼方へ・・・。
今、コリドーの目の前は埋め立てられ、海峡ドラマシップの建物が視界をさえぎる形となっているため、海が広がっているわけではありません。
でも、関門海峡大橋や、それをくぐり海峡を往来する船の姿を見ることはできます。
門司港レトロ地区を歩き疲れたとき、ぜひ、ここに来てみてください。
コリドーにあるベンチに腰かけて、戦前の船旅へのタイムスリップができますよ。
また、このコリドーの先には門司区役所やレトロ地区の人気スポットの一つ・九州鉄道記念館などへの連絡橋もあり、観光にも便利です。
この2階には、かつての待合室もあります。
現在はホールとなっており、休憩室や貸し出しスペースとして利用されています。
かなり現代風にリニューアルされてはいますが、ここも、当時の雰囲気を少しだけ味わうことができます。
それでは1階に下りてみましょう。
エントランスホールでは港や客船などの海事資料の展示が行われています。
門司港から出入りした大連、台湾、そして欧州航路などで活躍した客船の模型。
客船で提供された食事のメニュー。
当時の旅客が使った旅行かばん。
さながら、「門司港海事ミュージアム」といった雰囲気ですね。
また、門司港と中国の大連との交流を示すコーナーもあり、さすが旧「大連」航路上屋なんだなあ、と思わせられます。
エントランスホールからさらに先に進むと「松永文庫展示室」と呼ばれる資料室があります。
松永文庫はもともと1997(平成9)年に、門司在住の松永武さんが映画研究ためにおよそ60年にわたって収集した映画芸能関連の資料を、自宅を開放して無料公開し始めたもの。
2009年に資料すべてを北九州市に寄贈し、2013年の旧大連航路上屋オープンと同時に「松永文庫展示室」を開設しました。
終戦後、松永さんが収集した1万2千点を超える貴重な映画 関連の資料(ポスター・パンフレット・シナリオ・新聞スクラップ・映画雑誌・スチール写真等々)があり、映画資料館として見応え充分です。
そしてここも無料開放されています。
その他の空間は多目的スペースとなっており、市民に貸し出されています。
旧大連航路上屋では、戦前の門司港の賑わいを感じることができます。
さらに日本の海の玄関口として発展した門司港の街を体感したい人に、オススメのスポットがあります。
それは旧大連航路上屋のすぐ近くにあり、しかもまたまた無料なのです。
海岸通りを隔てて建つ関門海峡ミュージアム「海峡ドラマシップ」。
入場有料なのですが、1〜2階の「海峡レトロ通り」だけは無料で入ることができます。
ここには大正レトロ時代の門司港の街並みが再現されています。
アール・デコ様式の建物群や路面電車が再現され、街をゆく当時の人々の等身大人形が各所に配されているだけでなく、その会話も聴くことができるのです。
なかでも門司港発祥の「バナナの叩き売り」が音声付で再現されているので、こちらは必聴!
バナナの叩き売りは、台湾の基隆で積んだバナナのなかで、輸送途中で熟れてしまったり、加工中に不具合が生じたものを門司港で換金するために始まったといわれます。
とにもかくにも、国際的でハイカラな雰囲気が漂っていた門司港を無料で体験できる、お得な空間ですよ。
旧大連航路上屋を訪れたら、真向かいの「海峡レトロ通り」にも寄ってみましょう。
そんな門司港レトロの輝ける時代も、戦争によって終止符が打たれます。
旧大連航路上屋は、欧州や中国大陸に向かう客船が出入りした華やかな一面のウラにもうひとつ影の側面も有しています。
太平洋戦争中はここからあまたの兵士や軍馬が出征していきました。
かつて船旅の花形といわれた欧州ゆき豪華客船の代わりに、200万人を超す将兵が軍船にのせられ、大陸やはるか南方の戦線に赴いていきました。
そして半数の100万人の将兵は、生きて再び故国の地を踏むことが出来なかったそうです。
旧大連航路上屋からJR門司港駅に向かう途中にある「門司港出征の碑」は2009年3月に建てられました。
ここから出港した多くの命が失われたことを忘れないために。
また、この碑のすぐ近くには「出征軍馬の水飲み場」が残されています。
戦時中、日本全国の農村から100万頭もの農耕馬が軍馬として徴発され、この門司港から軍用船で戦地に渡りました。
そして、馬は、再び日本の地を踏むことはありませんでした。
馬にとって最後のお別れの水を飲んだところとなってしまったのが、この水飲み場です。
当時は西海岸通り周辺に数ヵ所あったといわれていますが、今は一つだけが残っています。
戦争は人だけでなく多くの馬の命をも奪ったのですね。
門司港レトロ地区はこの日も多くの観光客で賑わっていましたが、この碑と水飲み場に気をとめる人はほとんど見られませんでした。
大正レトロ建築の街並みが、華やかな門司港レトロ地区。
かつてはアジアやその先のヨーロッパの港町とつながる、ハイカラな港町でした。
そのシンボルだったのが、今回紹介した旧大連航路上屋でした。
しかし、戦雲が覆うと、国際旅客ターミナルには軍靴の音が響き、多くの人や馬にとって永遠の別れの地となりました。
昭和初期までのおしゃれな時代と、戦争中のつらい記憶。
二つの対照的な時代の舞台となった旧大連航路上屋は、平和のありがたさを実感できるスポットとも言えます。
現在の門司港は観光客で賑わい、楽しい時間が流れています。
ここを訪問したら、ぜひ、こちらの上屋にも足を運んで平和のありがたさを少しでも感じてほしいと思います。
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(2024/4/25更新)
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