ペリーも龍馬もやってきた歴史の大舞台!伊豆下田を街歩き

ペリーも龍馬もやってきた歴史の大舞台!伊豆下田を街歩き

更新日:2018/10/26 15:39

月宮 うさのプロフィール写真 月宮 うさ ブロガー
南伊豆の観光拠点、静岡県「下田市」。
この地は幕末に200年以上続いた鎖国時代から、マシュー・ペリー率いる黒船来航によって開国へと向かう大きな歴史の舞台になった場所であり、また坂本龍馬が脱藩を許され飛躍するきっかけとなった地でもあるのです。
今も街のいたるところで、時代の名残を感じることができる、歴史情緒あふれる街並みを歩いてみましょう。

旅の始まりは寝姿山で偉人が愛した下田の町並みを眺めよう

旅の始まりは寝姿山で偉人が愛した下田の町並みを眺めよう

写真:月宮 うさ

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旅の始まりは伊豆急下田駅の目の前にある「下田ロープウェイ(寝姿山ロープウェイ)」に乗り、「寝姿山」から下田の絶景を眺めてみましょう。山頂は「寝姿山自然公園」として整備されており、黒船来航の歴史の舞台「下田港」を見渡すことができます。

寝姿山のお楽しみは、風景を楽しむことだけではありません。
カップル・良縁を願う皆さまはぜひとも「愛染堂(あいぜんどう)」へ!ここは縁結びの神様「愛染明王(あいぜんみょうおう)」を祀るパワースポットです。ハートの絵馬に願い事を書いて良縁を願うのもよいでしょう。他に、子宝・安産・家内安全・商売繁盛にもご利益を得ることができますよ。

受験や試験を控えている方は、「活力の楠」とも呼ばれる「石割楠」にお願いしましょう。石を割って枝をまっすぐ伸ばす楠からは、どんな難関も切り開くパワーをいただくことができるはずです。

他にも自然と歴史を感じる見所満載の寝姿山ですから、ここでは時間を長めにとってゆっくり歩いてくださいね。ちなみにこの山は、女性の仰向けの寝姿に似ているから、寝姿山と名付けられたちょっぴりセクシーな山…でもあります。

幕末浪漫感じる美しき小路「ペリーロード」

幕末浪漫感じる美しき小路「ペリーロード」

写真:月宮 うさ

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平滑川を挟む石畳の道と、なまこ壁や伊豆石造りの建物が織り成す、風情ある景観が美しい「ペリーロード」をお散歩しましょう。(伊豆急下田駅から約15分の距離です)

ペリーロードは「下田公園」から「了仙寺」まで続く約700mの道。ここはかつて黒船に乗ってやってきた、ペリー提督が日米下田条約締結の為に行進した道です。
現在はアンティークショップやカフェが立ち並ぶ、観光客に大人気のエリア。ステキなお店を見つけたら気軽に立ち寄ってみましょう。

また、下田公園はあじさいの名所としても有名です。夏に下田に訪れた時は、15万株・3万輪のあじさいが織り成す風景を楽しむのもオススメですよ。
※下田公園のあじさいの風景は、一番下のMEMO内『山を埋め尽くす3万輪のあじさい!伊豆「下田公園 あじさい祭」』の記事をご参照ください。

日米下田条約締結の舞台「了仙寺」

日米下田条約締結の舞台「了仙寺」

写真:月宮 うさ

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ペリーロードを歩いてゆくと、やがてお寺に到着します。
ここは1635年に創建の日蓮宗のお寺「了仙寺(りょうせんじ)」。日米下田条約締結の舞台となった場所です。境内には約1000株のアメリカジャスミンが植えられており、「ジャスミン寺」の別名も(見頃は5月〜6月上旬)。下田条約締結の地として、国の史跡に指定されています。

歴史に興味のある皆様には「了仙寺宝物館」にも、ぜひ立ち寄ってみましょう。
数千にも及ぶ開国の資料が展示されており、当時の風俗・文化なども知ることができる興味深い場所となっています。先代住職が私的に集めた「秘仏コレクション」なる、性と宗教の関わりをテーマにした、大人の展示もありますよ!

なまこ壁の民家を訪ねてみよう「旧澤村邸」

なまこ壁の民家を訪ねてみよう「旧澤村邸」

写真:月宮 うさ

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下田では、白と黒の碁盤目が斜めに交差する「なまこ壁」の建物をよく見かけます。この壁は、骨組の上に土を何層にも重ね平瓦を並べ、継ぎ目に漆喰をかまぼこ状に盛り上げたもの。その盛り上がり方が、ナマコに似ていることから「なまこ壁」と呼ばれる、築100〜200年の歴史ある建築技術です。

そんな、なまこ壁の民家の1つ、ペリーロード沿いにある「旧澤村邸」にて、当時の暮らしを覗いてみましょう。ここは、下田造船の経営や市長を務めた方の住んでいた民家で、現在は下田市に寄贈され一般公開されています。
旧澤村邸では、建物内部や庭を眺めながらお茶をいただき、休憩することもできますよ。ひとやすみにもオススメです。

坂本龍馬飛翔の地「宝福寺」を訪ねよう!

坂本龍馬飛翔の地「宝福寺」を訪ねよう!

写真:月宮 うさ

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伊豆下田と言えばペリー提督の黒船来航の歴史のイメージですが、坂本龍馬ゆかりの地でもあることをご存知でしょうか?

黒船の歴史が過ぎ少し経った1863年、下田の「宝福寺(ほうふくじ)」では、第十五代土佐藩主「山内容堂(やまうちようどう / とよしげ)」と、武士「勝海舟(かつかいしゅう)」の会談がありました。 その内容は土佐藩を脱藩した「坂本龍馬」について。海舟は容堂に龍馬の脱藩の罪を解き、その身を自分に預けてほしいと懇願したのです。その願いに容堂は、海舟が酒を飲めないことを承知の上で「ならば、この酒を飲み干してみよ」と…。しかし、ためらうことなく酒を飲み干した海舟。こうして龍馬の脱藩が許可され、ここから飛躍してゆくのです。

宝福寺にはもう1つ、別の顔もあります。
日本総領事ハリスに仕え、唐人お吉(とうじんおきち)の名でも知られる、悲劇の女性「斎藤きち」の墓があることで有名なお寺です。
下田奉行の命令でハリスの看護婦名目の侍妾となったお吉。しかし、わずか3日で解雇されてしまいます。当時の日本人は外国人に身を任せることを恥とする風潮が強かったため、その後のお吉には人々の冷たい視線が…。やがて酒に溺れるようになり、事業を起こすも失敗を続け、満48歳の時自ら川へ飛び込みこの世を去りました。
華やかな時代の影の悲しい歴史の物語です。

境内には龍馬の木像が建ち、お吉とハリスの遺品や写真を見ることのできる「お吉記念館」もあります。お吉が静かに眠るお墓もありますので、そっと手を合わせてあげてくださいね。

下田観光は歩くのが一番!

下田観光の魅力は、狭い範囲に見所が密集しているため、歩いて観光ができる嬉しい街です。歴史を感じながらゆっくりと街歩きを楽しみましょう。

余談ですが、みなさんは「幕末」はいつからいつまでかをご存知でしょうか?
日本では主に、黒船来航から明治維新までを「幕末」と呼んでいます。下田は、幕末歴史のスタート地点でもあるのです。

掲載内容は執筆時点のものです。

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