心霊現象?ベルリンの壁!人骨の仏像〜大阪ミステリースポット4選

心霊現象?ベルリンの壁!人骨の仏像〜大阪ミステリースポット4選

更新日:2014/05/15 12:03

沢木 慎太郎のプロフィール写真 沢木 慎太郎 放送局ディレクター、紀行小説家
大阪市内の路上で、客待ちをしているタクシー。お客さんの姿はないのに、突然にドアが開いた。タクシーはドアを閉めると、お客さんを乗せずにそのまま走り去った――。
「……ワシ、乗せてもうた」「何をや」「女の幽霊や……」
確かに若い女性客を乗せたのに、バックミラーをのぞくと誰の姿もない。運転手の顔が青ざめていく。――あそこでは、もう商売できん……。あなたの知らない世界。今夜は大阪編をお届けします。

40年前の大惨事――千日前通りに面した小さなほこら

40年前の大惨事――千日前通りに面した小さなほこら

写真:沢木 慎太郎

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大阪市内を走るタクシー運転手仲間のうちで、幽霊が出るという噂が絶えない場所があるのをご存じだろうか?
“食いだおれの街”として知られる大阪の難波(ミナミ)の一角を占める千日前。しかし、幽霊騒ぎは一時期に比べてずいぶんと減った。あの事件のことが人々の記憶から忘れ去られていくのと同じように。

あの事件とは――。今から約40年以上前の昭和47年(1972年)5月13日土曜日午後10時27分。7階建てのビルから火が出た事件のこと。「千日デパートビル火災事件」だ。死者は118名、負傷者は78名という、単体では日本のビル火災で、最悪の大惨事となった。

火災が起こった千日デパートビルはしばらくの間、放置されていたが、ショッピングビルとして新しく建て替えられ、その後、家電量販店の「ビックカメラなんば店」となっている。千日前通りに面した、ビル北側の荷物搬入口に小さなお地蔵さんのほこらが、ひっそりとたたずんでいる。犠牲者の冥福を祈るために建てられたものだ。
このほこらの前に立つと、強い霊気を感じる。事件の風化を悲しんでいる声が聞えてくるのだ。

「千日デパートビル火災事件」があった現場 事件後に奇妙な噂が

「千日デパートビル火災事件」があった現場 事件後に奇妙な噂が

写真:沢木 慎太郎

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「千日デパートビル」は7階にキャバレーが入り、逃げ場を失ったホステスや従業員、お客さんが犠牲者となった。非常口にはカギがかかっていた。煙が充満し、息ができず、苦しみのあまりに7階から次々に人が飛び降りた。千日前商店街を覆うアーケードの屋根を突き破り、亡くなった方々。多くの人たちは7階のフロアで降り重なりあうように亡くなっていた。亡くなった女性はホステスをしながら苦しい家計を支えていた。低賃金で働かされ、お客さんからもらえるチップだけが頼りだった。

火災事件が起きてから、奇妙な噂が立ち始めた。千日デパートビルがあった場所は、かつて処刑場で、ここで処刑された人は火災の犠牲者と同じ118人というのだ。
タクシーの運転手が若い女性客を乗せたが、後ろを振り返ると誰もいなかった。このタクシーがお客さんもいないのにドアを開閉し、走り去っていくのが千日前で目撃されている。
千日前デパート付近の飲食店で、夜中にシャッターを激しくたたく音がする。警察にも連絡したが、外には誰もいない。また、新しく建て替えられたショッピングビルの従業員の多くはお守りを持っていた――など。

筆者は流通業の出身。千日前デパートの火災事件で、出火原因とされる大手スーパーに勤めていたことがある。犠牲者の冥福を祈るため、新しく生まれ変わったビルの7階フロアを訪ね、黙とうを捧げた。顔に女性の長い髪がかかるのを感じ、耳もとで何かを囁かれた。すぐに目を開けたが、まわりには誰の姿もいない。それ以来、千日前を訪ねる時は、通りに面したほこらに手を合わせることにしている。

大阪にたたずむ「ベルリンの壁」 南北の統一を願う想い

大阪にたたずむ「ベルリンの壁」 南北の統一を願う想い

写真:沢木 慎太郎

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続いては、「ベルリンの壁」。さきほどの千日前がある難波から、地下鉄御堂筋線で3駅先の天王寺駅の近くにある「統国寺」(とうこくじ)。“国の統一”を連想させる名前のお寺だが、ここに東西ドイツの統一に伴って取り壊された「ベルリンの壁」が設置されているのをご存じだろうか?

「統国寺」の信者さんの多くは在日韓国・朝鮮人の方たち。戦争で南北に引き裂かれた朝鮮半島(北朝鮮、韓国)の国をひとつにしたいとする願いが、「ベルリンの壁」に込められているのだ。二枚の壁にはスプレーの落書きや、むき出しとなった鉄筋が生々しく残り、この壁に刻まれた民族統一への願いがひしひしと感じられる。壁の高さは約3・5メートル。この壁を乗り越えようとして、銃殺された若者も多い。

「ベルリンの壁」は信者さんから寄贈されたもので、朝鮮半島の平和だけでなく、朝鮮半島と日本の和解を願うシンボルにもなっている。今もなお、先の戦争を巡って対立する東アジアの国々。これからは観光の時代だ。人の交流や観光経済による波及効果で、東アジアの精神的な「ベルリンの壁」が早く取り払われることを願いたい。

人間の骨で作られた仏像を祀る「一心寺」 夏には怪談トークも

人間の骨で作られた仏像を祀る「一心寺」 夏には怪談トークも

写真:沢木 慎太郎

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大阪の「ベルリンの壁」から近い、天王寺公園に隣接した台地に、「一心寺」(いっしんじ)というお寺がある。平安時代末期に登場したお坊さん、法然(ほうねん)が草案を結んだ地に建てられたお寺だが、人の骨を砕いて固めた仏像が祀られているのをご存じだろうか?
もともとは江戸時代末期に、数万体の遺骨を集めて大きな骨仏(こつぶつ)を作ったのが始まり。骨仏というのは、亡くなった人の遺骨を使って作られた仏像のこと。写真の仏像が骨仏だが、人間の骨で作られているのかと思うと、最初は少し不気味だった。しかし、骨仏に向かい、静かに手を合わせている多くの人たちの真摯な姿を見ていると、亡くなった人たちの魂が集まって仏となり、見守っていてくれるような安らぎを感じる。

骨仏は遺骨を粉末状にして、コンクリートやセラミックなどに混ぜて作る。明治から今日まで、10年ごとに1体ずつ開眼。13体の骨仏が作られたが、戦火で6体が焼失。生き残った7体の骨物が一心寺に安置されている。
また、一心寺では「一心寺シアター倶楽」という名前の劇場があり、8月のお盆のシーズンには怪談トークや、巨大スクリーンに心霊写真や怪奇現象を映し出して鑑賞するといったイベントを開催。リンクに貼り付けたので、興味のある方はどうぞ。

遊郭跡地にたたずむ大門跡 目に見えない高い壁は今も

遊郭跡地にたたずむ大門跡 目に見えない高い壁は今も

写真:沢木 慎太郎

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最後に紹介するミステリースポットは、一心寺や統国寺から約1キロ南に位置したところにある巨大な門の跡。外の世界を拒絶するようにコンクリートの高い壁がそびえ、あたかも大阪の“ベルリンの壁”のよう。手前に交番所(飛田交番)があるので、刑務所の塀のように見えるかもしれない。
ここは西成区の一角、かつて日本最大の遊郭街があった場所で、通称・飛田新地。大正時代に築かれた遊郭街は当時、女性が逃げ出せないように巨大な高い塀で取り囲まれていた。その西側には、メインゲートとなる大門(おおもん)が。飛田新地は1945年(昭和20年)の大阪大空襲で一部が焼失したが、大門は生き残り、今も当時の面影をとどめている。同じ遊郭街で西区にあった松島遊郭は空襲で全焼。遊郭街を取り囲む高い壁があったために、多くの女性が逃げることができず、無残に焼け死んだという。

飛田新地の大門跡は夕方になると、悲しみを慰めるかのようにちょうちんに明かりが灯り、哀愁を漂わせる。今は自由なんだろうか? 逃げ出したくても、逃げ出すことができない。だから、壁で囲む必要がない。この街は、囲いのない動物園。この大門を見ながらそう思う。

おわりに

ご紹介した大阪のミステリースポットは観光地ではないが、筆者には印象に残る場所。強い霊気が張り詰めている。いったい、何を語りかけているのだろう。どうして欲しいのだろう。
機会があったら、どうぞ訪ねて下さい。無念な思いで亡くなられた方々に、慰霊の想いを捧げていただきたいと思います。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/05/10 訪問

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