東京の内藤新宿・大宗寺で人喰い伝説の残る閻魔像と奪衣婆に会う!

東京の内藤新宿・大宗寺で人喰い伝説の残る閻魔像と奪衣婆に会う!

更新日:2014/05/22 18:08

すがた もえ子のプロフィール写真 すがた もえ子 妖怪伝承収集家、フリーライター
死者の死後の行き先を振り分ける冥府の王、閻魔様。
閻魔様というと年中無休のようなイメージですが、実は年に2回、1/16と7/16は「閻魔の斎日」という休日があるんです。
別名「地獄の釜開き」とも言われ、閻魔様だけではなく鬼も亡者もお休みする文字通り地獄の休日で、この日は閻魔像を祀るお寺の多くでご開帳が行われます。
今回はその中でも有名な「内藤新宿・大宗寺の閻魔像」(東京都新宿区)をご紹介します。

閻魔の斎日にだけ公開される「閻魔像」に会う

閻魔の斎日にだけ公開される「閻魔像」に会う

写真:すがた もえ子

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大宗寺の閻魔様は江戸三大閻魔にも数えられており、その大きさは都内最大級の5.5m。
文化11年に安置されましたが、火災や震災に合うたびに修復され、現在は頭部のみが当時のままなのだとか。
体は昭和8年に作り直された物です。
実際向き合ってみると、さすが都内最大級だけあって閻魔様の迫力に圧倒されます。

新宿区指定有形民俗文化財に指定されており、「内藤新宿のお閻魔さん」と呼ばれ、地元の人々に親しまれています。
大宗寺の閻魔像は、弘化4年(1847年)に泥酔者が閻魔像の目玉を取るという事件が起こり、錦絵に描かれるほどの大騒ぎになりました。
昔から大衆信仰を集め、大切に守られて来た事が伺える逸話です。

閻魔像・奪衣婆像のご開帳 は閻魔の斎日にちなんで1/15、16 と7/15、16の年に2回。
それ以外の日はお堂の扉が閉められています。
ただし中を見る事ができないわけではなく、格子ごしに閻魔像を覗き見る事が可能です。

別名「つけひも閻魔」には子供を食べたという伝説が

別名「つけひも閻魔」には子供を食べたという伝説が

写真:すがた もえ子

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大宗寺の閻魔様は、別名つけひも閻魔とも呼ばれています。
この名前は、なんと閻魔像が子供を食べたという伝説から由来しています。
内容は次のようなもの。

『まだ大宗寺の周りが宿場町でにぎわいを見せていた頃。
一人の乳母が境内で子供を背負い、子守をしていました。
ある時子供が泣き始め、いくらあやしても止まなくなってしまいます。
乳母が「そんなに悪い子だと閻魔様に食べられてしまうよ」と赤ん坊に言うと、鳴き声はぴたりと止みました。
ほっとした乳母でしたが、ふと違和感に気づきます。
振り向くと背中から赤ん坊の姿が消えていました。
あわてて境内を探すと、閻魔像の口から紐がぶら下がっているのを発見。
それはさっきまで赤ん坊をおぶっていたおんぶ紐でした。
子供は閻魔像に食べられてしまったのです。』

閻魔様が子供を食べる、というなんとも珍しいエピソードです。
通常であれば、子供を取って食べるのは閻魔様ではなく鬼の役目のはず。
鬼と閻魔様を同一視している、というよりも「嘘をつくと舌を抜かれる」という程度の話では効果がないイタズラな子供を、おとなしくさせるために考えられた逸話なのかもしれませんね。

三途の川の亡者の着物をはぎ取る「奪衣婆」

三途の川の亡者の着物をはぎ取る「奪衣婆」

写真:すがた もえ子

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三途の川に渡し賃の六文銭をもたずに来た亡者の着物を剥ぐのが奪衣婆。ちなみにこの剥いだ着物の重さで死者の罪が軽減されるとも言われています。
奪衣婆は衣を剥ぐところから、宿場町である内藤新宿の妓楼の商売神として信仰されていたとも伝えられています。

大宗寺の奪衣婆は、別名「しょうづかのばあさん」と言われて親しまれてきました。
閻魔像と同じく、こちらも新宿区指定有形民俗文化財に指定されています。

片手に亡者からはぎ取った衣を持ち、恐ろしい表情で訪れる人々を出迎えてくれます。

別名「新宿ミニ博物館」とも

別名「新宿ミニ博物館」とも

写真:すがた もえ子

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大宗寺は安置されている文化財の多さから、新宿ミニ博物館という別名を持っています。
敷地内に入ってすぐ目に飛び込んでくる銅造地蔵菩薩坐造は「江戸六地蔵」の3番目としても有名で、あの夏目漱石も子供の頃この地蔵の元で遊んだと伝えられています。

他に、願掛けの返礼に地蔵に塩を掛ける塩地蔵や三日月不動像(区指定文化財)、切支丹灯籠や新宿 山の手七福神・布袋尊像などがあり、内藤家墓所とその副葬品(区指定文化財)なども保管されています。

その中でも特に見ていただきたいのは塩地蔵です。
塩地蔵は塩をいただいて帰って、願いが叶ったら倍の量に塩を増やしてお返しします。
毎年一度、塩を拭ってお地蔵様の姿が見えるようにするらしいのですが、御利益があるのかいつ行っても山のような塩に覆われており、その全貌はなかなか見る事ができません。
塩に埋まったお地蔵様、なかなか不思議な光景です。

昔は宿場町、現在は新宿2丁目

昔は宿場町、現在は新宿2丁目

写真:すがた もえ子

大宗寺の建っている界隈は、江戸時代には甲州街道沿いの宿場町としてにぎわった場所です。
奪衣婆を信仰していた妓楼なども多く存在していました。

その後空襲で被災、今はかつての宿場町としての趣は無く、新宿2丁目という混沌とした雰囲気が漂う町並みに。
大宗寺は同じ場所に、今もたたずんでいます。

最後に

閻魔の斎日は「藪入り」とも呼ばれ、商家の奉公人が休暇をもらえる日でした。かつては縁日などが出て賑わいをみせていたそうです。
今は縁日は出ませんが、ご開帳では閻魔・奪衣婆像とともに曼陀羅・十王図・涅槃図なども公開されています。
この機会に貴重な文化財をご覧になってはいかがでしょうか?

閻魔像・奪衣婆像のご開帳 1/15、16 ・7/15、16

太宗寺(たいそうじ)
東京都新宿区新宿2-9-2
03-3356-7731
東京メトロ丸ノ内線 「新宿御苑前駅」下車 徒歩1分
都営地下鉄新宿線 「新宿3丁目駅」下車 徒歩3分

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/07/16 訪問

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