写真:乾口 達司
地図を見るけはや座の最大の魅力は、館内に再現された本物の土俵にあがれるという点。ご存知のように、大相撲の世界では女人禁制が厳しく守られていますが、けはや座の土俵には、誰があがっても構いません。本物の土俵を実感する機会など滅多にないはず。この機会にぜひ、おあがりください。
ちなみに、土俵の手前には、観覧席も設けられています。大相撲における観覧席といえば、やっぱり枡席。枡席から土俵を眺めると、実際に大相撲を観覧しているような気分も味わえますよ。
写真:乾口 達司
地図を見るけはや座の土俵は、日本相撲協会呼出の秀さん(大相撲の議事進行役である「呼出」では、下の名前しか使われません)が作っただけあり、大相撲で使われる本物の土俵が忠実に再現されています。写真にも写り込んでいるように、中段に設けられた俵は「踏み俵」といい、正面に1つ、その他の三方にそれぞれ3つずつ作られています。ほかにも、大昔、土俵の上にたまった雨水を外へ流すために設けられたものの名残りであるとされる「徳俵」まで再現されていますが、一口に土俵といっても、じっくり観察すると、それぞれの部位に深い歴史がそなわっていることを教えられますね。
桶と柄杓、塩が入った塩箱は、テレビの大相撲中継などで目にした方も多いでしょう。桶には「力水」と呼ばれる水が入っており、力士が神聖な土俵の上にあがる際、その身を清めるために「力水」を口に含みます。土俵にまく塩が入った塩箱、こちらは説明不要でしょう。けはや座では土俵にあがれるだけでなく、実際に塩を撒くこともできるのです!土俵にあがる際、塩も一緒にまいて、力士になった気分を味わってみましょう。
写真:乾口 達司
地図を見るもちろん、相撲にちなんだものも、数多く展示されています。写真は横綱北の湖使用の化粧廻し。この三つ揃いの化粧廻し、本来は大関増位山(先代三保ケ関親方)のために作られたものなのです。実は、昭和24年の春場所で大関に昇進した増位山は続く夏場所でも優勝し、それに沸き立った後援会の人たちが横綱昇進の決定を待たずに、この化粧廻しを作ってしまいました。ところが、その後、増位山は怪我や疾患に苦しみ、横綱に昇進することなく土俵を去ってしまいます。後年、弟子の北の湖が横綱に昇進。増位山と後援会の思いをくんだ北の湖は師匠になり代わってこの化粧廻しをつけ、土俵入りをおこないました。そういった由来を踏まえると、まさしく珍品中の珍品であるといえるでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見るけはや座では、地元・奈良出身の力士のゆかりの品も展示されています。写真は明治時代に活躍した鶴ケ濱熊吉の開け荷。開け荷とは、化粧廻しなど、必要なものを収納しておく力士専用の行李のこと。早くも江戸時代から使われており、大相撲の世界では十両以上の力士しか持つことを許されていませんでした。「鶴」と「濱」が記された相撲字からは、それが熊吉のために作られた特注の開け荷であることがうかがえます。
写真:乾口 達司
地図を見るけはや座を訪れたら、建物の正面に立つ大きな五輪塔にもお参りしましょう。これは相撲の神さま・当麻蹴速のお墓と伝わる蹴速塚。『日本書紀』によると、蹴速は垂仁天皇の御代に活躍した当地出身の力士。強力の持ち主として知られていた蹴速は出雲国から呼ばれた野見宿禰と立合いを演じ、遂には野見宿禰に敗れて亡くなったとされています。けはや座が相撲の神さま・蹴速ゆかりの地に建てられている理由が、このエピソードからもうかがえますね。
館内にはほかにも相撲の歴史を紹介した数々の資料、現代の大相撲関連の書籍などが数多く展示されており、相撲ファンには、ぜひ、訪れていただきたいスポット。あなたも土俵にあがり、力士になった気分で相撲の魅力を堪能してみてはいかかでしょうか。
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(2024/3/28更新)
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